歌詞のない歌
彼女の歌には、歌詞がない。たったの一片の歌詞もない。 彼女はただ、リズムをとる。歌い、拍子をとり、あるいは足を打ちつけて。 ラでもアでもウでもない音。その喉から届くのは、まるでその声自体が楽器のような、一つの歌。時に高く時に低く、鳴り響く。 ・・・ある時彼女は言った。 「歌じゃだめなんだ。ただ、音さえあればいいんだ」 何故かって、その時訊いたけれど、彼女は教えてくれなかった。 彼女はある時ぱたりと歌うのをやめて、言った。 「言葉はいらないって言葉、知ってるかい」 もちろん知っていると頷いた自分に、彼女はさらに問いかけた。 「じゃあ何故、言葉を使うのかな」 私には声がある。けれどこの声も、言葉として為さなければ、何の意味もない、と。 彼女が目指した、言葉のいらない言葉。 ・・・もう疲れちゃったと、彼女は笑った。歌詞のない、歌。それはけれど、誰も聴かない、すでに歌ではない声という音。 「結局、言葉にしないとだめなのさ」 諦めた、と泣きそうに笑った。 何故と、その時言えなかった。音のみの歌を、聴いている自分という存在に、彼女は気付かなかった。とても寂しかった。悲しかった。 そして、望まれもしないのに、その志を継いだ。悔しくて、見返してやりたかったから。 歌詞のない、声という音を、今歌っている自分。彼女の目指そうとした何かはいまだ見えやしないけど。彼女のような楽器のごとき素晴らしい音色は出せないけど。 ・・・でも、ただこの音の美しさ。きっと、彼女の見ようとした言葉の何かちょっとでも、今の自分は知っている。
結構昔のです。データが残ってました。
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