ある青年による幸福論



 ――こんな男がいました。

 ・・・違う、そんなつもりはなかった。なかったんだ、俺はただアイツを引き止めようと。だって、俺がフられるなんて、そんな。アイツは間違ったんだ、アイツがおかしかったんだ。押す? 突き落とす? そんなつもりなかった、俺はただ、アイツを止めようとしただけなんだ、それだけ、ただ・・・

 駅のホームでした。一組の男女でした。女が言います。「別れましょう」男は呆然としてしまいます。女はそれだけ告げて、駆け去っていきます。男は追いかけます。追いついて、跡がつくほど強く、その腕を握りしめ、なぜだ、なぜだと叫びます。女は振りほどこうと暴れます。ホームに電車が入ります。勢いあまって、男は女を突き飛ばします。女は落ちていきます。見開いた目を男に向けたまま、ホームに入ってきた電車に、ひかれます。

 

 ――また、こんな夫婦がいました。

 ・・・ああ、素晴らしい、もう何も未練はない。これでいい。私は満足だ。今日はなんていい日だろう。もう何も、思い残すことはない。子どもは育った、妻は一緒だ。空はあんなにも青い。なんという日だろう、何もかもがふさわしい・・・

 崖の上でした。古びた車でした。運転席に夫、助手席に妻。彼らは微笑みながら、落ちていきます。下は海です。そして岩です。打ちつけられて、耐え難い痛みに襲われますが、それもすぐに薄れていきます。やがて、それも消えていきます。

 

 

 

 人の幸せはそれぞれでしょう。そして、いつまでも同じものだとは限らないでしょう。

 

 明日は明日の風が吹く。私にこの一言を教えた恩師は、もうとうに亡くなっています。今日が良ければ全て良し、こう銘した友人は、怪我一つなく元気に過ごしています。

 明日というのは、必ず、今日とは違う形でやってくるのですね。

 

 

 相槌をつき聞いていた老人は、ではと静かに尋ねる。

 ――あなたの明日は?――

 私は柔らかく微笑んで、言った。

 私は、自首するのです。今日、人を殺すのです。

 ・・・冗談ですよと笑い飛ばして、考える。はたして、私の明日は、どうなっているだろうかと。

 それは幸せであるだろうか、と。



A4用紙に書き殴ってあった昔の文章。多分十分くらいで書いたと思う。

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