貴方の思い出
いつもひどく穏やかで、こっちが呆れてしまうほどにいつだって笑みを浮かべる貴方が、人気のない闇の、突き刺さる月の元、凍えるほどの寒さの風を受けながら泣いているのを、私は知っている。 貴方はある日突然ここへ来て、昔からいたようにすんなり私達に交じったけれど、皆が忘れてしまうことを、私は貴方の叫びを知っているから、覚えていられる。 貴方はいつか去っていく。旅人、放浪者、冒険者、言い方は色々あるけれど、ここでいつまでも幸せに暮らしていくなんて、そんなことあるはずない。 だって、あんなに泣いているのに。 喉が裂けるほど、叫んでいるのに。 どうして、貴方がずっとここにいるなんて、思っていられようか。 彼が私に触れる時、いつだって少ししか触れない。去っていく者と、自分でわかっているから。私が貴方を慕っていること、貴方は敏感だもの、気付いているはず。だからこそ触れない。 憂いも後悔も残さないように、私の思いを知っていながら、決して触れない、触らせない。私が思い出として残すことすら許さない。 ――きっと私が大人になって、おばあさんになって、死んでいく時、覚えているのはその指先だけ。 それですらたったの一度、私の話し続ける唇に当てられた、軽い感触。その体温すら感じないほどかすか、一瞬で離れてしまったけれど、たったの一度、触ってくれた、その指先だけが、私の貴方の思い出。 貴方が私に許した、たった一つの思い出。
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