涙、一つ。



 ――この涙が、いつか誰かを救えるよう。

 いつも、想っています。

 

 

 深い森がありました。森の中には、秘められた小川がありました。小川は、湖につながっています。湖はとても広く穏やかですが、そこもまた、誰一人として立ち入ったことのない秘境なのでした。

 さあ、私はここにいます。この湖です。この水の中です。青く澄んだ水の中、たった一人でずっとずっと暮らしているのです。

 ――遠く遠い昔、ここは海でした。海だった頃、誰もがそこに、仲良く住んでいたのでした。けれど海は、少しずつ水を減らし、徐々に徐々に陸地となって乾いてしまったのです。けれどそこには小川が通じ、清い水をたたえる湖となったのでした。

 この陸地は、閉ざされています。木々の話や風の噂によると、今、この世界は揺れているそうです。天と地が争い、命は枯れ、消え、なくなっているそうです。

 けれど・・・ここには何一つの争いもありません。なぜなら、ここは閉ざされているのですから。この島も、その森も水も、ただ一人のためだけに今はあります。

 彼女は、遠く遠い遥かな昔、この地にただ一人居残り続けた人魚でした。その年月を示すように、光にふくらむ淡い黄金の髪は長く長く伸び、海の底にある宝石の輝きのようにその目は青く蒼いのでした。

 彼女はすでに、自分の名前も忘れました。覚えているのは、遥か昔の仲間のことばかり。けれど、もうその顔すらおぼろなのでした。

 彼女はいつも、泣いていました。たった一人この地に残った時にも。小川の清い清水がその身体に当たる時にも。そして、今も。ただ、彼女は泣いているのでした。

・・・彼女は、想っているのです。何もかもが遠くなりました。それでも彼女は、想っ

ているのです。想うべきものすらわからず、それでもただ、想っているのです。

 

 彼女は想うのです。孤独の自分を想うのです。遠い何かを想うのです。そしてまた、泣くのです。

 彼女は木々の話に、風の噂に、また泣くのです。

 ――遠いどこか。こことは違ったそこで、誰かが、何かが泣いています。

 それを想って。




小説目次へ