その青い涙の味





 何だか悲しいから泣いた。すると誰かが、私の涙を集めていく。いつもそうだ。何で涙をとっていくのか、理由を訊いたことがある。そのおじさんはにっこり笑って、お前さんの涙は最高の調味料なんだよ、そう嬉しそうに言った。

 私は人じゃないらしい。父親に人間として育てられたし、姿形も親や友人や村の皆とそう変わりなくて、実感がわかない。でも、そう皆が言うならばやっぱり人じゃないんだろうな。

 私の涙を喜んで使ってくれるなら、私はそれでも別にいい。自分で舐めるとしょっぱいだけで、全然美味しくないけれど、それは私が人じゃないからで、自分の涙だからなんだって。皆は、私の涙が蕩けるほどに甘く、ほんの少しで乾きも飢えも疲れも癒える、魔法の雫なんだって言っていた。

 私が生まれてから今まで、皆、私の涙のお陰で幸せになったのだって。だけど私、明日にはこの村を出て行く。……私のことを風の噂で聞いた王様が、高いお金で、私を買った。村の皆は、泣きながら私を見送ってくれた。私はその涙を舐めてみたわ。全然甘くなんてなくて、やっぱり塩辛かった。

 最後だから泣いてくれと言われて、頑張って泣いてみた。皆が、私の涙を手にとって舐めた。甘くて美味しいね、ありがとう、そう言って。

 最後に私の涙を舐めたのは、私が好きだった幼馴染の彼。どうか幸せにと泣きながら微笑んで、私の涙を直に唇に含んで、舐めていった。瞼に触れた、その熱くて少しかさついた感触、きっと私は一生忘れないと思う。

 

 

* * * * *

 

 私がいたのは小さな小さな村で、迎えの馬車は、隣のもう少し大きな村までしか来れなかった。私は王様の使いと一緒に半日かけて隣村まで歩いて、そこからそのまま馬車に乗った。馬は見たことがあるけれど、こんなに大きくて立派で、つやつやした毛並みの馬は初めて。使いの人みたいな、さらさらした生地の服を着た、すべすべした肌の人も見たことがない。

 私は不安になった。こんなぼろぼろの服、かさかさで薄汚れた肌で、王様と会うのかな。せめて顔は洗わなくちゃ。こんな小汚い娘の涙、王様に飲ませたらきっと失礼だ。

 馬車でも何日もかかって、ようやく王様のいる城に着いた。私はまず、最初に考えた通り、王様に会う前に顔を洗わせてもらった。体も湿らせた布でごしごしこすって洗った。服と靴は、仕方ないからそのまま。使いの人は、すぐに連れてくるように言われていたから用意をしていなかったって言った。王様は村娘だと知っているからきっと気にしないって、そう言われたけど、私は気にする。

 いざ、王様とご対面。私は一目見て、とても驚いた。王様は透明な青い目をしていて、想像以上にずっと若くて、金色の長い髪はさらさら揺れる。すごく……すごく、綺麗な人。

「よく来た、無翼の民の娘」

 目を見開いていた私は、王様に声をかけられて慌てて頭を低くした。王様はそんな私に面を上げよと命じて、私はもう一度、恐々と王様を見る。

「そう怯えずともよい。娘、名は?」

 問われて答える。私は、セラ。セラです。

「そうか、セラ。私はウルスリード。ウルスと呼ぶがよい」

 頷いて、確かめるために小さな声で、ウルス様と呼んでみる。綺麗な王様はわずかに微笑み、満足そうに頷いた。

 私は王様に買われて、城に来て、今日からここで暮らしていく。

 

 

* * * * *

 

 今日こそは訊いてみよう、私はそう決心する。

 城に来てから二週間。私は今日も泣かないで済んでいる。何故? 理由は簡単。この城では、誰も私を泣かせようとしないし、泣いてくれとも言わないからだ。でも、どうしてだろう。王様は私の涙を飲むために、私を買ったんじゃなかったのかな。

 訊いてみなくちゃと思う。今日は王様に会う日だから、まず会ったらすぐにそれを訊こう。王様は定期的に私を側に呼ぶけど、いつもほとんど何も喋らずに、または喋っても、城の生活には慣れたかのような世間話で終わってしまう。王様が口を開くのを待っているからそうなるんだ。私から話しかければいい。

 計画通り、王様に会ってすぐ、どうして私に泣けと言わないのですか、とそう訊くことができた。王様は驚いた顔をして、泣きたいのか、と訊いてきた。意味がわからない。

「そういうわけではないですけど、だって王様、私の涙を舐めるためじゃなかったら、どうして私を買ったんですか?」

 そう尋ねたら、王様は困ったように眉を寄せた。

「無翼の民は希少で、乱獲されやすいから、保護対象だ。それは理由にはならないか?」

 うん……理由になるかもしれない。でも、王様、私は、涙を流すくらいしかできることがない。城に無条件で住ませてもらって、守ってもらって、村には大金が入って、私ばかりがいいこと尽くしだ。それは対等じゃないと思う。

 はっきりきっぱり、そう言った。すると王様はさらに困った様子になって、言葉を探すように視線を空に飛ばす。

「……では、セラ。お前はどうしたいんだ?」

 訊かれて即答する。私のできることなんて、一つしかない。

 その日初めて、王様は私の涙を口に含んだ。一言、ぽつりと、甘いな、そう呟いて。

 

 

* * * * *

 

 無翼の民は、天使の恋人の末裔だ。

 ずっとずっと昔、一人の天使が人間に恋をした。そして、その人間に祝福を与えてしまった。幸せに生きて、人としての生を終えた後、結ばれようと。でも天使が仕える神は、この祝福を許さなかった。天使の恋人は不死の存在となり、天使は逆に地へと堕とされ人になった。天使が死ぬ前に恋人と出会えれば、与えてしまった祝福を認めようと神は言った。二人は何度もすれ違い、そして天使は最後に、出会えたのだ。最愛の人に。

 祝福は認められ、神の呪いは解けた。天使と恋人との間には子ができた。その子孫は脈々と地に生まれる。……無翼の民の涙が甘いのは、天使の涙が甘露なのと同じ理由らしい。そう、翼はないが、天使の血を引いた者。それが、無翼の民だ。

 王様は多くを求めない。時々私が頼み込んで、それでようやく涙を口にする。けれどほんの少し舐めた後、すぐに私の目尻や頬を、優しく拭ってしまうのだ。

「無翼の民の涙は、そんな簡単に流していいようなものではない」

 そう私を嗜める王様の大きな手が私の髪をさらりと撫でて、出来の悪い子どもを見るような目をする。

 私と王様のそんな攻防戦は、どちらも譲らず続いていた。

 

 

* * * * *

 

 ある日、私の世話をしてくれていた少女が熱を出して目の前で倒れた。私はもう動転して、泣きそうになったけど泣かなかった。だって、無駄に泣いたらもったいない。でもその子の枕元に座って、つらそうなのを見て、やっぱり泣いてしまった。

 もったいないなって思う。流れるそれを手の甲で拭って、はたと気付く。そういえば村の皆は、この涙を飲むと癒されるって言ってた。

 早速涙を少女の口に流し込んでみる。すると、すごい。目に見えて楽になったようで、しばらくしたら目を開く。体調を聞けば、随分楽になったと言う。どうしてかと訊くから、私の涙をあげたんだと言えば、少女はとても驚く。私は得意げな顔で笑った。

 うん、私の涙は風邪にも効く。覚えておこう。

 その日も王様のところへ行くわけだったけど、この子の看病をするからといって行かなかった。王様は怒らなかったし、一つ返事で了承してくれた。

 王様、本当にいい人だと思う。あんな王様が治めている国なんだもの、きっと悪くなりようがない。村の皆みたいに、誰もを幸せにしてくれる。

 そうだ、村の皆。元気なのかな。今度、手紙を書こう。私は元気です、皆は元気ですかって。村か、懐かしいな。このお城は広くて清潔で素晴らしいけど、私はどうしても、あの村が懐かしくてしょうがない。生まれ育った場所だもの。大切な大切な思い出のある場所なんだもの。

 ……思い出すと泣きそうで、思い出さないようにと目を閉じた。

 

 

* * * * *

 

 何が起きたかわからないけど、ここはどこだろう。私は今、見知らぬ場所にいる。

 手足を縛られて口を塞がれて、埃っぽい床に転がされている。ここはどこかな。どうしてこんなところにいるのかな。

 思い出してみる。そういえば、後頭部が痛いな。ああそっか、殴られたのか。

 そう思い至った時、暗い部屋に明かりが差し込む。扉の隙間から入ってきたのは、男が三人と、少女が一人。

 あの子だ。私の世話をしてくれている子。何でだろう。助けに来てくれたわけではないようだし、目を合わそうとしない。

 そうこう考えていたら、男の一人が私の体を引き起こし、もう一人に刃物を突きつけられる。

「無翼の民の血ってのは、どんな重病も治すらしいな。それこそ、死人すら蘇らせるって話じゃねえか」

 そのナイフの刃先が、無造作に腕に食い込んだ。

「―――――っ!!!」

 痛い!痛くて、猿ぐつわの隙間からくぐもった悲鳴を上げる。涙が出る。最後の一人がその涙を手にとり舐めた。

「すげえ、本当に甘い!」

 興奮した様子で叫んだ男は、私の血も指先ですくって舐める。こっちも甘い、とそう恍惚の表情で笑う。

 これは何なんだ。私の腕から出た血を溜めた小瓶を受け取る少女。涙と血を舐める男。私に一体、何が起きている?

 気付けば痛みのあまり、私は意識を失っていった。

 

 

* * * * *

 

 目を開いた時、目の前にいたのは王様だった。王様は怒った顔をして、お前は馬鹿だと怒鳴る。どうしていきなり怒鳴られなければならないんだ。王様、理不尽。言い返したいのに、声が出ない。というよりも、体もうまく動かない。熱い、寒い。

「熱が出ている。傷は幸い酷くはないが、深い。しばらく絶対安静だ」

 よくわからない。私がそう思っているのを見抜いた王様は、何があったか覚えているか、とそう言う。働かない頭を頑張って回転させて、ようやく、何があったか思い出す。そうだ、私は、刺されたんだ。

 訊きたいことがいっぱいあって王様を見る。王様は一つ息を吐いて、後で説明してやるから、今は寝ろ、そうして問答無用、私の瞼を閉じさせる。抗うだけの気力もなかった私は、呆気なく眠りの世界にもっていかれた。

 それからしばらくして、事情を聞いた。私はあの少女の手引きで誘拐されて、怪我を負わされ、王様に助けられたそうだ。男三人と少女は、死刑になった。

 私が迂闊だったせいで、あの子が死んでしまった。あの子は私が無翼の民だと知らされていなかった。ただ王様の大事なものだと、そう説明を受けていただけ。私の涙には病気を癒す力がある、寝たきりの母親の病気が治るかもしれない、そう思ったところを、あの男達に付け入られた。

 あの子が死んだのは、私のせいだ。私が、あの子を殺してしまった。

 ……その時初めて、私は、自分の涙を疎ましく思った。

 

 

* * * * *

 

 怪我は思った以上にすぐ治った。そうすると私は風邪一つ引くことなく元気だ。夜、城の庭園を歩きながら、考えた。

 もう、私は泣けない。泣いてはいけない。

 私の涙が誰かを幸せにすると、私はずっと思っていた。幸せにできるのだと、そう信じていた。それが、どうだろう。無翼の民の涙は、人を殺すことすらできる、恐ろしい代物だとわかった。人を狂わせる、これは魔性のものだ。

 なんてものをもって生まれてしまったのだろう。今まで私の涙を飲み、幸せだと言ってくれた村の皆、本当に幸せだったのだろうか。本当は、幸せじゃなかったんじゃないだろうか。

 悲しくて涙が出そうになって、ぐっと堪える。泣いてはいけないんだ、泣く資格なんてないんだ。

「セラ、か?」

 体を震わせて立ちすくんでいたら、背後から呼ばれる名前。ああ、何でこんな時に、私に気付いてしまうのかな、王様。

「どうした、こんな時間に。そんな震えて、寒いのか?」

 ああお願い、王様、近付いてこないで。

 でも王様は私の願いを聞き入れず、すぐ後ろまで来てしまう。

「……セラ?」

 せめて、顔を見られないようにと、深くうつむく。王様はしばらく私の背後にたたずんでいたけど、やがて衣擦れの音をさせて、前に立った。

「……泣いて、いるのか?」

 そっと、私に触れ、優しく髪を撫でていく手。やがてそれは顎にかかり、私の顔は、前に向けられてしまった。

 王様、見ないで。泣かない、泣かないよ。だから、見ないで。

 耐えられず零れた雫を、王様は静かに見つめて。いつか、好きだった彼がしたように、そっと、瞼に口付ける。

「……甘い、な」

 慰めるように何度も何度も、震える瞼に唇で触れて。じれったいほどゆっくり髪を梳かして。

 流れないようにと頑張る私の涙を、いつしか王様は代わりに流してくれていた。その青い瞳から零れていく透明な水に、王様がしたように、唇を乗せる。

 その涙はしょっぱいけれど、何故だかとても、甘かった。

 

 

* * * * *

 

「泣いてはいけませんか?」

「いいや。泣きたい時、好きなだけ、泣けばいい。その時私が必要ならば、泣き止むまで、泣き止んだ後もずっと、側にいよう」

「私も、私もです、ウルス。貴方が泣きたい時にはいつでも、隣にいましょう。その涙を、私にもください」

「ああ。……無翼の民ではないこの私の涙が、お前には甘いのだろう? 好きなだけ味わえばいい。これが、お前が与えてきたものの甘さだ」

 

 

 ――無翼の民の少女は、いずれウルスリード王の妻となった。

 甘美な涙を誰へでも与えていた少女は、いつしかそれ以上の強みを得て、泣くだけしか能のない少女は、消えていった。

 このウルスリードとセラの下、国は治められ、人々は幸せに暮らしていくことだろう。




web拍手一弾。
恋愛目指し、ノリと勢いを武器に一、二時間で書き終えた作品。
色々とやってしまった感があるが、結構気に入っている。
ちなみに、一時あったセリオールの姓・ウルが王様の名前の元ネタとかいう混乱ぶりを呈す。

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