終いの伝説





伝説の為り方を知っている?

 

 

 

 

 ランティスの王が死んだ。自業自得と罵る者がいれば、善い王だったのにと嘆く者もいた。

 彼の国の王であったガリードは、先王に仕えていた元将軍であった。彼は二十三の時に謀反を起こし、君主を倒し、ランティスの王となった。先王は暴君であったとはいえ、仕えるべき者を殺したガリードは、生涯『主殺しの王』の汚名を雪げなかった。

 それでもガリードは、善き王ではあった。その治世に乱はなく、民も飢えることはなかった。国はそれまで以上に栄えた。

 だが、因果は回る。ガリードは己が為したように、彼の将軍によって殺された。

 ガリードには、三人の息子がいた。彼が王となる前に妻との間に生まれていた、後の第一王子。王となった後に娶った第二妃との間に生まれた、第二王子と第三王子。ガリードの二人の妻と三人の息子も、父王とともに殺された。

「と、世間では言われている」

 淡々と、報告するように話す青年は、どこか浮世離れした容貌をしている。日に焼けていない肌。腰まである黒々とした髪。遠い海を映したような深い蒼の目。名をラギ。伝説に謳われている、エナの民である。

 エナの民は、尋常ならざる力を持つ種族だ。炎を水を操り、風を刃とし、歌で人を殺す。彼らは人里離れて隠れ暮らしており、その姿を見る機会など、一生に一度もないと言われる。

 ガリードは、エナの民であるレイワという男を、王座奪還の際に味方につけた。「我が友だ」と仲良く肩を組む姿を見た多くの者が、ガリードこそ王に相応しい、エナの民とですら友人になってしまうのだから、と感じた。

 ……けれど。

「お前は知ってるのか。お前の父が、本当はどのような男であったか」

 足を組んで腰かけたラギにそう問われるのは、やや伸びすぎた亜麻色の髪に目元を半ば隠された青年。動くたびちらとのぞく瞳の色は、鮮やかすぎる青。どこかに感情を置き忘れてきてしまったような、無表情をしている。

「知っている。……お前より、よほど」

 知らないはずがない、と唇を噛む。何しろ彼は、ガリードの子であるのだから。

 

 

 ガリードは世間では、民想いで、妻想いで、子想いな男とされていた。実際、彼は国を愛していたし、妻子を慈しんだ。

 しかし、彼は正妃よりも妾妃により愛情を注ぎ、第二王子に対する愛は他二人の息子とは違うものであった。また、彼には男娼もいた。叶うならば、彼との間に子をもうけたかったのだろう。王子としてもたいして必要でない第三王子などは目端にも入れようとしなかった。

 ガリードの妾妃というのがこれまた性悪で、第一王子一人しか生むことの出来なかった体の弱い正妃を、死にぞこないの欠陥女と罵った。生んだのがもし女子だったならば本当に何の価値もなかったわね、と。

 次期国王として最も期待をかけられていた第一王子は、女癖が悪かった。とっかえひっかえ女を換え、孕ませたことも数度あるが、全て金で解決した。第二王子は、父母の重すぎる愛を背負わされ、少し頭がおかしくなっていた。よく、物語の世界に逃げこんだ。

「民は父のことを、英雄だとか謀反者だとか、良くも悪くも覆いのかかった姿で思っていたらしい。けれど私にとっては、父だという事実以外何もなかった。絵に描いたような素晴らしさともおぞましさとも無縁で、何が特別というわけでもない。ただの、一家族の肖像だ」

 ガリードは恐らく、親として完璧ではなかった。人間としてすら、完璧ではなかった。

「お前は、レイワの息子だろう?」

「……気付いていたか」

 この状況で気付かない方がおかしい。解せないのは、ならば何故助けたのかということだ。

「何故だ? お前の父と私の父との間の契約は、もう切れているだろう」

 ラギはその言葉に眉をしかめ、契約など、と強い調子で吐き捨てる。

「そんなもの、そもそもまともに成立してなかったじゃないか」

 ガリードとレイワが結んだ“契約”は、エナの隠れ里に奇跡的に辿り着いたガリードに対し里長であったレイワが持ちかけたのであり、里の場所を公表しない代わりに、ガリードの願いを二つ叶えるというものだ。ガリードはレイワに、じき起こす謀反の乱にて、共に戦うことと、必ず勝利に導くことを願った。

 ガリードはレイワとの契約を守り、レイワもガリードとの契約を守った。友だなんて、嘘なのだ。契約を遂行するために、互いに立場を作っただけだ。

「それに契約は、二十年も前に完了してる」

「ならば余計に、何故だ。父は、エナの者にとってはただの厄介者だろう。その息子である私を助けて、一体何の益がある?」

「益はない。俺はただ、父の遺言を実行しただけだ」

「遺、言……?」

 ラギはずっと立ちっぱなしの青年を見上げる。わずかに視線を細めて。

「父は若くして死んだ。エナの力で人殺しをした呵責で、最後には精神を病んだ。あの男のせいだとは思うが、今さら謝罪なんていらない。何より、いくら不完全とはいえ、契約は父が自らの意思で交わしたのだから」

 遺言というのは、とラギが続ける。

「俺にも父の意図はわからないが……死ぬ前に一度だけ言われたんだ。もし、ランティスの血族が窮地に立ったら、あと一度だけ助けてやれ、と」

 兄は無視したようだけどな、とラギは小さく苦笑し、ゆっくり立ち上がる。すると視線が青年よりも上にきて、自然見下ろす形となる。

「父は、あの男を憎んでた。しかし……憎みきれなかったんだろうな」

 今のお前には父の善意など理解出来ないだろうが、と付け足すラギの目から、青年は視線を逸らす。ここに連れてこられてから何度も呑みこんだ言葉を、ラギには看過されている。彼らと一緒に死んでしまいたかったのに、などという想いを。

「お前を助けたのは、お前が一番助けやすい存在だったからだが……」

 ラギは言いつつその場を動き、窓を開ける。夜風がふわりと流れ込み、ラギの黒髪をさらりと揺らす。

「あの男にしろ、その妻にしろ、兄にしろ、さほど出来た人間ではないだろ。それでもお前は、あいつらと一緒に死んだ方がましだったか?」

 青年はうつむいて、はいでもいいえでもない言葉を紡ぐ。

「お前にはわからないか? 死した者は、語られる。特に、父のように、何事かを成した者は」

 ――人の世に関わらない種族を味方に付け、主君を倒して王となり、善い治世を敷き、己の部下に一族郎党殺される。

 ただでさえ、死者の人生は語られるものなのだ。ましてや、これほどに特異な人生は。

「わかるか。父の人生が終わって、これから“伝説”が始まる。……私は、そんなもの、聞きたくない。見たくない!」

 成し遂げた功績や罪を、死して後、誰かが囃したてる。語るのは自由だ。けれど。

「私は、父の息子だ! 身勝手な“伝説”など知りたくない! だから!」

 一緒に死んでしまいたかったのだ!

 ラギは、話しながら激昂していった青年を、静かに見つめる。肩で大きく息をつく青年の前髪がふわりと浮き上がって、ぽろぽろと零れる涙が、目についた。

 

 

 一年、十年、百年、千年。いつまで語られるかはわからないが、知ることの出来る限りの時間で、伝説の行く末を見てみないか。ラギは、そう問うた。

「伝説となって語られるのが嫌だというが、ならば、忘れられるのがいいのか? 誰にも知られないように生きていくのがいいのか?」

 一つの生が終わって、それが伝説となる。伝説の始まりと終わりは共に。形を変え、続くは人生。

「長く長く、語られるならば、生きたかいがあると、俺は思う」

 契約をしないか。泣き止んで視線を上げた青年に、ラギは手を差し伸べる。

「俺達の父とは違う、信頼からなる真っ当な契約だ。親が成し完成させた“伝説”を、子が知り伝える。そして俺達も、いつか“伝説”になるように」

 そして、戸惑う青年の手を取る。

「折角生き延びたのに、死ぬことばかりを考えるのは不毛だろう? とりあえずもう少し、生きてみたらいい」

 その言葉に微妙な顔をする青年に、ラギは笑みを見せた。

「さしあたって、名前でも教えてくれ」

 青年はしばしの躊躇の後、メイワと名乗る。

「似ているだろう、お前の父の名に」

 メイワとは変わった名だと、時々言われていた。何故こんな名にしたのかは、わからない。ただ恐らく、ガリードはレイワを忘れようと思ったことはない。

「私の父とお前の父は、契約以上に妙な関係を持っていたようだな」

「そうだな。……興味が湧くだろ?」

「……ああ」

 きっと、当人達しか知らない何かが、あった。それを知りたいと思うこの心こそが、伝説が語り継がれるための、礎となるのだろう。

「知ってみないか。旅をして、人と話して」

 身近にいたからこそ知りえなかったことを。そして、おそらく“伝説”に語られることはない、個人的な事情というものを。

 ――終りだと言いながら創られていく“伝説”のことを。

 

 

 

 

伝説の為り方を知っている?

それは、個として生まれて、名を得るところから始まるもの。




web拍手三弾。
薄ら暗くてずっと対話してるだけの話。
伝説は、死して後本当の始まりを得るもの。

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