グレフィアス歴648年 1
夢見る年頃の若者には、とても受けたらしい。夢見る世代でなくなった大人にも、何か思うところはあったようだ。 今年の花祭りは、去年に引き続いて“花の乙女と騎士の祭典”をやることとなった。それに伴い、今年の趣向を考える。乙女と騎士を選んで春告げをするのは、去年通り。では一体何によって今年の見せ場を作るか。 フィリウスとレイは考えた。結果、去年の花の乙女と騎士達に、花祭りの始まりを宣言してもらおうということになった。城下に掲示を出す。全員が集まるとは、端から期待していない。だが、絶対に出てもらいたいペアというのもあるわけで。そのために、フィリウスは直談判に向かう。 ――アルゼ・クルスの家は その家の門の前に、フィリウスは立っている。守衛に事情を話してここに立たされたまま十分弱。さすがに遅いな、という気はしている。 (歓迎されてない・・・かな?) 薄々そう思う。けれど、だからといって帰るわけにはいかない。 ようやく帰ってきた守衛は、やけに慌て緊張していた。 「お、お待たせいたしまちた! どうじょこちらへ!」 派手に噛んでいる。それに苦笑いして、フィリウスは招かれるままにクルス家へ足を踏み入れ・・・そして、やや狼狽した。 (な、何? 何でこんな出迎え方?) 屋敷の扉を開くとすぐに、侍女や小間使い、料理人まで、多分雇い人全員だろう、左右にずらーっと並んで頭を下げフィリウスを迎える。異様だ。あまりに異様だ。戸惑うフィリウスを、守衛から役を交換した侍女頭と見られる女性が、正面の階段を上り、二階の一室の前まで案内する。ついていきながら、何が起きているのか考える。 何のために来たか。アルゼを花祭りに誘うため。アルゼのペアとなった少女を迎えるためだけにあそこまでするか。否。その少女に、それをやるべき価値があるから、そこまでしたと思うべき。 (価値・・・) 思い至った時には、部屋の中に押し込まれていた。 ・・・宰相の弟子だと、ばれている? そこにいたのは、アルゼ本人。久方ぶりに会う青年は、やや艶っぽく成長しているように思えた。老若男女落とせそうな微笑み。その表情を見て、確信する。 (知ってる。絶対に、このひとは知ってる) ――花祭りのペアを頼みに来ただけなのに、とんでもない話し合いになりそうな予感で、つと冷や汗が背に流れた。 向き合ってくる硬い表情にぞくぞくする。別れてから今日まで、いつまた会えるかと待ちわびていた。つい先日の掲示内容からして、多分訪ねてくるだろうとは思っていたけど、実際会うと色々こみあげてくるものもある。結構本気でこの少女をものにしたいと思っていることに、今ようやく気付いた。 (可愛いね、フィリ。・・・今は、罠にかかったウサギの気分かな?) 大した罠ではない。回避の手口などいくらでもある、出来損ないの罠だ。それでも・・・罠にかかった獲物というのは、逃げようと慌ててしまって、かえって網の奥へと入っていってしまうもの。 「久しぶり、フィリ。今日は、次の花祭りの話をしに来たと、思っていいのかな?」 さあ、どんな反応を返すか。じっくり追い詰めようと、そう思う。 今にも弓矢で射抜かれようとしている獲物の気分。瞬間的にそれを味わったフィリウスは、けれどただ臆するのではなく・・・表面上は余裕たっぷりに、微笑みを返す。 「久しぶり、アルゼ。そう、花祭りのことで、話に来たの」 アルゼは微笑みを絶やさないまま、 「よく、ここがわかったね」 フィリウスも微笑みを浮かべたまま、 「クルス家のアルゼは、有名なのね。街で訊いたら、すぐわかったわ」 アルゼは驕る態度を欠片も見せず、 「そう、なら良かった。迷わず、フィリが俺に会いに来られたんならね」 じっと熱い視線を注がれているのが、嫌でもわかる。フィリウスは顔が引きつりそうになるのを堪え、 「うん。私も良かった。・・・それで、一緒に出てくれる?」 早々用件に入る。長居は無用だ。するとアルゼはすっと目を細め、何か仕掛けてくるなと直感する。案の定、アルゼは渋る真似をする。 「うーん・・・出ても、いいんだけどね。俺の条件を、飲んでくれるなら」 警戒するフィリウスに対して、艶やかに笑みを深める。あっという間に腰を抱かれて引き寄せられたフィリウスは、近距離からアルゼと対峙する。 「・・・ねえ、フィリウス・ラドアリア。その名前と地位に依拠した誠実を、俺に示してくれない?」 やっぱり知っていたのかと、鼓動が大きく一度跳ねるのが、フィリウスはわかった。 覚悟はしていたのだろうけど、名前を言い当てれば一瞬顔が固まった。それでもすぐ取り繕うところは流石だと思う。こうして交渉していてもただの少女。でも、宰相の弟子と、扱われているだけはある。 (普通の女の子なら、俺がこんなことしただけで狼狽するんだけど。・・・さすがに無理か) 使えるものは全部使う。それが商人。顔で仕事が貰えるならば、いくらだって自分を磨く。俺は商人だ。根っからの商人だってことは、自分でもわかってる。 「・・・取引ですか?」 そう、取引。俺はわざと至近距離からフィリウスに向かって微笑む。フィリウスは微笑を返して、貴方のお望みは、と訊いてくる。・・・大したものだ、やっぱり頭の切り替えが早い。そういえば一年前より大人っぽくなったかな、とその笑みを見つめながら、 「まず、ラドアリアの名を持った者として。・・・ラドアリア家お抱えの商人として、認めてくれないかな?」 そこで一旦言葉を区切るも、フィリウスは答えを出そうとせず、先を促す。促されるまま先を続ける。 「そして、宰相の弟子として。・・・クルス家を、王宮御用達の商人にしてよ」 さて、しばらく反応を待つ・・・つもりだったんだけど。ほぼ間髪置かず、 「どちらも無理です」 と返されてしまった。あらら。 アルゼとの至近距離を逆に利用して、挑戦的にその目をのぞきこんでやる。 「ラドアリア家は、所詮養子で立場の弱い私にどうこうできるものではありません。王宮についても同様、宰相の弟子でしかない私の一存で何かを決定するなど、無理です」 真実そうなのだが、これで引くはずがない。この後にくる言葉は予想できている。 「フィリが宰相の弟子だって、市井に言いふらされてもいいの? ・・・何の力もない庶民の女の子が、顔と体だけで国の中枢に入り込んで、最終的に王様を籠絡するつもりだって、あることないこと言っちゃうよ? 困るよね、風評で波風立たされるのは」 予想はしていたが、不快だった。フィリウスは微笑みを消し、真っ向からアルゼを睨む。 「それで私の立場が根底から揺らぐようなことは、ありません。・・・けれど、私を敵に回しても、何もいいことはありませんよ。アルゼ・クルス」 アルゼはなおフィリウスを腕に抱いたまま、その視線にほんの少し、怯えたようだ。 ・・・言い過ぎだよなとは思ったけど、ここまで底冷えする目で見られると思わなかった。これは怖い。確かに、色々な意味で敵に回すべき相手じゃない。 しばらく睨みあってみたけど、これ以上争っても絶対いい結果にならない。大人しく引くことにして、抱えていた柔らかい体を少し名残惜しみながら放した。 「・・・降参。いいよ、祭りに出よう」 俺は何も要求しないし、知っていることは全て黙っていることにする。元々、取引の材料としてはほとんど無駄な情報。罠は見事、失敗だ。 フィリウスは、俺の残念そうな顔を見て、苦笑する。 「・・・友達としてならいくらでも、お付き合いしますよ。ねえ、アルゼ?」 俺も答えて苦笑いを浮かべるけど。・・・友達として、か。 交渉はすぐに終わって、それから二人、お茶を飲んだ。アドレアのものだというそのお茶は、色は黒っぽくて少し癖があったが、渋みも強くなくすっきりした味わいだった。 色々と話した。――どうやってフィリウスの正体を見破ったのかって、フィリウスとお兄さんの姓が違っていたから。気を付けた方がいいよ。ええ、わかった。――この間買ってあげたネックレスとブレスレット、それに指輪。着けてる? 着けてない。着けてきて。――馬には乗れる? 乗れる。今度遠乗りにでも行こうか。いいわね。・・・そんな会話。 実際時間に押されていたので、それほど長い間ではなかった。フィリウスは慌ただしくクルス家を出たが、帰りには行きと同じように総員に頭を下げられた。その中にはアルゼの父親もいたのだが、彼はアルゼに何か言われているのか、揉み手でゴマすりしたいのを必死でこらえて、頭を下げていた。アルゼが門のところまで送ってくれる。 「じゃあ、また後で。気を付けて帰って、フィリ」 不意打ちで額にキスをして、やや赤くなったフィリウスにしてやったりの微笑みを見せる。フィリウスはそれにむっとして、同じようにキスを返す。 「・・・やられっぱなしは性に合わないの。また後で、アルゼ」 アルゼが全く余裕で、結局、悔しかった。
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