宰相の弟子

グレフィアス歴648年   11





 神殿に連れてこられてから、丸二日が経過した。

 いくら言葉を尽くそうとも、神官達はフィリウスを巫女だと断定して覆さない。案内された部屋の窓は嵌め殺しで扉の外には衛兵がおり、食事や衣服を持って部屋に入ってくる少女は共通語が通じない。勘違いだ、早く仲間のところに帰してくれ、そう言い募るのも、もうやめた。・・・これは軟禁以外の何物でもないと、自分の中で確定したからだ。

 情報を整理しよう。

 フィリウスの聖痕について。これは今、出たり消えたりしている。どうやら本当に、ただの痣や怪我ではないらしい。ただ、出たり消えたりする理由はわからない。

 軟禁状態について。聖痕は巫女の証で、今巫女はとても数少ないらしい。神の声を授かる存在がいなくなってしまうのは、神の国であるアデアの存亡にも関わる。

 フィリウスの特別性について。何よりフィリウスは他国の者であり、巫女であっても神の教えを信ずるとは限らない。神官側も扱いに窮している。

 ――結果、とりあえず軟禁するという事態に至る。

 

「さて、いつまでもこのままってわけにはいかないな」

 見上げた夜の星々から視線を室内へ戻し、呟く。持っている情報が少なく論証も定かではない今、まずすべきは情報収集だ。しかし、フィリウスはここから出られない。しかし、いくつかの幸運がある。

 フィリウスは巫女としてここにいる以上、手荒なことはされないこと。

 フィリウスの世話役に、言葉が通じないという理由だけで年若い少女が付けられたこと。

 フィリウスがグレフィアス国の次期宰相であることを、誰も知らないこと。

 最終的には、次期宰相という権力を用い、グレフィアス国に救出を頼むしかない。だがそれは最終手段だ。国同士に対話をさせれば、事は穏便にはすまなくなる。

(でも、言葉が通じないからって安心するなんて、なんて間抜けなんだろう)

 ・・・もしも、フィリウスの世話役となったのが、厳格で命令に忠実な大人であったなら。一朝一夕にその者を誘惑するなど無理だろうと初めから諦め、別の方法を考えたかもしれない。が、実際フィリウスの世話をしているのは、まだ年若い少女。フィリウスを見やる視線の中には、異国の巫女に対する興味と不安、そして罪悪感のようなものが、ちらりちらりと浮かんでいた。

(私をただの小娘だと思うのが悪い)

 ひとの弱みに付け込むのは好みではないが、この状況でそれを言ってはいられない。

 興味が、不安が、罪悪感があるならば、とことんそこに付け込んで、情報を引き出す。言葉などなくとも、伝える手段は山ほどあるのだから。

 

 

 ・・・部屋に入って、扉を閉めて。テーブルに食事を置き、どこにいらっしゃるのかしら、と姿を探して驚いた。ベッドに倒れ込むようにして、異国の巫女がむせび泣いている。

「み、巫女様! どうなされて・・・どこかおかげんでもっ?!」

 慌てて駆け寄れば、彼女は悲愴観溢れる泣き顔を私へと向ける。けれどすぐ、その涙を恥じるようにうつむき、力なく首を横に振る。

「巫女様・・・? どう、なされたのですか」

 話しかければ、わからない言葉が一言、返ってくる。そう、私は彼女の話す言葉がわからない。そっと肩を抱くように寄り添っても、何故泣いているのかわからない。

 誰か言葉がわかるひとでも呼んでくるべきだろうか、と扉に視線を走らせると、彼女が小さく服の裾を引いた。

「・・・巫女、様?」

 泣きはらした目と目を合わせれば、彼女は何事か必死に言い募る。同じ調子、同じ音。単音。それを幾度か繰り返す。何を求めているのか、私にはわからない。困惑した表情をしていれば、彼女はやがて、悲しそうな顔をして言葉を止めた。

「・・・ごめん、なさい」

 必死で何か伝えようとしているのに欠片も理解できず、申し訳なくなる。思わず暗くなる私に、彼女は微笑を向けた。そして、自らを指差して、

「フィリウス」

 再度繰り返す。またしても困惑する私と自分を交互に差しつつ、彼女は、フィリウス、と繰り返す。・・・やがてそれが、彼女の名前なのだと、気付いた。

「・・・フィリ、ウス?」

 発音を確かめるようにぎこちなく口にすれば、彼女はぱっと頬を染め、笑った。貴女は、と促すように掌を向けるので、私も、名を告げる。

「・・・ナィ、です」

 

 彼女は、数人の仲間と旅をしていたと聞いている。仲間と引き離されて、こんな場所にいきなり閉じ込められて・・・そうだ、泣きたくならないはずがない。言葉が通じないからできることは限られる。でも、少しでも安心させてあげられればいい。

 私はその日から、巫女・・・フィリウス様の仲間が今どうしているかということや、神官様達が話し合っているフィリウス様の立場についてなど、少しずつ彼女に教えていった。私は元々拾われっ子で、この神殿の下役でしかないから、詳しいことなどわからない。できる限りで教えた。

 フィリウス様は仲間の様子に安堵し、自らの境遇に眉根を寄せる。そして、首を傾げて聞いてくる。体に現れる聖痕と、それにまつわる諸々のこと。さすがにこれは複雑で、身振り手振りで説明するのは限度がある。

 仕事仲間の友人に相談したら、共通語が少し話せる警備兵を紹介してくれた。彼はフィリウス様の境遇に同情してくれて、私では伝えきれない事情を拙い言葉で説明してくれた。

 途中、フィリウス様の仰った言葉に、彼は苦笑していた。何だろうと首を傾げていると、フィリウス様のお言葉を訳して教えてくれた。

「無理矢理連れてこられて、正直嫌な国だと思っていたけど、親切なひとがいてくれてよかった、だってさ」

 自分の顔が喜びで綻ぶのがわかる。けれどそれ以上に申し訳なさが募り、深く頭を下げる。

「ナィ」

 張りのある綺麗な声で名を呼ばれ視線を上げれば、フィリウス様はそっと私の頭を撫でて、優しく微笑んでくれた。

 何て大人なひとなんだろうと、思った。

 

 フィリウス様以外でこの神殿におられる巫女様は、お二人。私は、警備兵と、彼を紹介してくれた仕事仲間と協力して、フィリウス様がお二人に会えるように計らった。神官様に知られたらどうなるかわからない危険な行為だけれど、その必要があると思った。

 淡い金髪の巫女様がラミル様、黒髪の巫女様がリーリン様。どちらもとても優しい方で、巫女の責務に誇りをもっている。フィリウス様と面会なさったお二人は、フィリウス様が巫女としてアデアに留まることを望みながらも、無理強いはしなかった。ただ、助言をした。――神に会いに行きなさい、おそらくそれで、問題は解決するはず、と。

 アデアの神は聖地の奥で、静かに座していると言われている。巫女のみに面会を許し、神託はするがそれを強制はしない。だから、巫女は誰にも命令をしない。未来を確約しない。元々アデア聖国は、神がいたからできた国だ。神を崇め敬う人々が集まり、国となったのだ。

 さすがに、聖地までフィリウス様をつれていく手助けは、私にはできない。私以外の誰も、巫女様や神官様ですら、その資格はもたない。

「フィリウス様・・・」

 八方塞がりの状況。お気を落とさないでください、と目に力を込めて言葉にすれば、わからないながらも私の気持ちを読み取ってくれたフィリウス様は、優しく微笑んだ。

 

 次の日。フィリウス様は、巫女様をお一人連れて、聖地に入られた。止めようとする神官様や他の者共全員を、無言で圧する。そして、フィリウス様のお隣にいるリーリン様が言う。神の下へ参る巫女を、何故止めようとするのか、と。

 そう、どうして思いつかなかったのか。・・・フィリウス様は巫女なのだ。神の下へ向かう巫女を止められる権限のある者など、誰もいない。当然の行動を咎める理由は、全くない。

 前を向き臆することなく聖地へと足を踏み出すフィリウス様は、私と一度も目を合わしてくださらなかった。

 

 

 神に会いに行くのは巫女だと認めたようで嫌だったが、実際巫女ではないと否定するには、今の状況ではあまりに頼りない。神に会えば解決するならば、手っ取り早い方法で会いに行ってしまおう、フィリウスはそう思い、行動に移した。

 無理矢理聖地に入り込む。フィリウスの行動に賛同してくれる巫女を供にして。当たり前に行動を制限しようとする神官や兵達を、巫女が一喝してくれた。騒ぎに集まってきた集団の中にナィや警備兵の姿もあったが、意識的に彼らから視線を逸らした。彼らがフィリウスに情報を与え、行動の補佐をしていたことを、知られるわけにはいかない。もしばれれば、彼らは勝手をしたと罰を受けるだろう。

 聖地で神に会ったら、もう戻らないつもりだった。ナィには感謝として、笑顔くらいは向けてやりたい。けれど、できない。

 ザギ、シィザ、エルー。彼らと別れてから、もう五日。・・・そろそろ、痺れを切らす頃だ。ザギはフィリウスの命令をきくが、シィザとエルーはそんなに長くは待てないだろうと予想がつく。色々面倒なことになる前に帰らなくては。

 巫女に案内されるがまま、聖地を進む。獣道のようなのに、何故か随分歩きやすい。それならそれで好都合なので、文句はない。

 

『神はおられるのですよ』

 別れ際、何か言われたけれど、理解できなかった。

 

 

 ――そして、北アデアに出る道。通り抜けた聖地の、一番奥で。

 フィリウスは、神に、会った。



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