宰相の弟子

グレフィアス歴648年   10





 アデア聖国は北と南に分かれ、その中心に聖地を抱く。聖地には神がおわすという。アデアは神を頂点とし成る国で、大神官が神の託宣を受けて国を治めている。

「すごい・・・ですね」

 フィリウスは南アデアに一歩足を踏み入れた地点で、ほうと感嘆のため息をついた。

 人々は白を基調とした服。頭から足の先まで覆うローブのような布を被って、顔だけがぽっかりのぞいている。中には口元も白布で隠した者もいる。地肌を直接見せてはいけない、そんな国柄だということは、近隣諸国では知られている。

 何でも、アデアは神のための国。神はひとの上にあり、ひとは神に統一されるべき生き物。神への忠誠心と人間という種の画一性を示すために、人々は白で身を覆うらしい。

「何と言うか・・・」

「圧巻、ですわね・・・」

 グレフィアス国の外交を担当するエルーも、アデア聖国を訪れるのは初めてだという。白き人々と緑を多く残す街並みに、ザギ以外の三人は感嘆のため息をつく。

 三人が足を止めてぼんやりしている間に、ザギは露天にかかる白のローブを四着買い求め、着とけと手渡す。

「それ着るのがこの国の約束事だからな。特に、フィリ、エルー。女は男より厳重に素肌を隠すから、お前らも気を付けろよ」

 郷に入ったら郷に従う、それが世の常。フィリウスとエルーはこくりと頷きローブを羽織った。一拍遅れて同じようにローブを着るシィザに、ザギは不意ににやりと笑みを向けた。

「そうそう、お前もしっかり着といた方がいいよな? シィザ」

 シィザはきっとザギを睨みつけ、けれど自らの女顔を――女装までしておいて――否定するような意味のないことはせず、結局苦笑を浮かべた。

 

 

 アデア聖国に来たならば、することは一つしかない。

 大分早い夕刻に辿り着いた一行は宿を決め、保存食や少なくなってきたランプの油などを買い足し、その日の行程を終えた。夕食を済ませ、四人大部屋で夜を過ごす。ぽつぽつとした会話、息苦しくない静寂がゆるゆると流れる。

「ねえ、フィリ。ここは神様の国だけれど。神様って、本当にいるのかしら?」

「さあ・・・どうなのかな。サジタス兄様にでも、帰ったら訊いてみようか」

 グレフィアス国では珍しい神学者であるサジタス。フィリウスがその名を出せば、エルーが話題に乗る。

「そう、そういえば貴女、ラドアリアの方々は、どうなのかしら? 三兄弟全員、違う雰囲気だけれど・・・誰がお好み?」

「ちょ・・・何訊いてるの?!」

 ごく普通の年頃の女子の会話。しかしそれは、フィリウスとエルーという二人には、あまり縁のない話題だ。旅に出て、そろそろふた月。いい感じに打ち解け、気が抜けてきた証拠である。

「・・・なんか、居づらいんだけど」

「まあ、しょうがないだろ。あいつらだって“女の子”だしな」

 対して、部屋の隅でこそこそと小声で言葉を交わすザギとシィザ。いい年したザギはともかく、立派な若者であるシィザには、女子のそういう話題は何となく気まずい。もぞもぞと身をよじっていれば、

「まあ、何だ。・・・お前、好きな女、いるのか?」

 あろうことか女子の話題に便乗したザギが、そう訊く。シィザは一瞬大声で怒鳴りそうになり、慌てて手で口を塞ぐ。それからひそひそと、別にいない、と告げる。本当に?とにやにやしながらさらに問うので、鋭く睨む。

「いないったらいない。俺で遊ぶなよ」

 若い身空で悲しいこった、とわざとらしい憐れみの表情を向けてくるザギに、シィザは大きなため息をつく。ザギはシィザのそんな様子を見て、からから笑っていた。

 

 順調に進んでいく旅はそして、次の朝を迎えた。

 

 

 神御座すアデアの民は、朝夕二回、聖地に向かって祈りを捧げる。月に一回、聖地に巡礼する。定められた巡礼日以外聖地への立ち入りは認められておらず、他国の者であるフィリウス達はそもそも聖地へ足を踏み入れることはできないので、その手前で聖地を見やるに留めた。

 聖地と呼ばれる土地は、こんもり茂った森である。青々とした木々は冬でも枯れない。聖地を挟んで向こう側には、北のアデア聖国がある。

 聖地と言えど、神に祈る用のない者にとってはただの森。森から流れるたいして大きくもない川の流れを儀礼として口に含み、両の手を清めて、聖地を目に止めた彼らは、とっととその場を去った。森の規模は大きいが、直線距離ならば一日とかからず北へ着いてしまう程度のものである。ずっと見つめていても特に何の関心もわかない。

 むしろ、この真っ白な民を観察している方が、楽しい。皆変化なく白というのは異様な光景だが、よくよく見れば色々いる。フードを下ろして頭を露出させている男、ローブの隅に小さく可愛らしい花の刺繍を施している少女、物珍しそうに周囲を見回す青年の目は緑で、異国の者は結構ちらほらと混じっていた。

「珍しい国よね・・・」

「ええ、そうね。でも、観光には向かないわ」

 昼前、四人は適当な店に入り、食事を頼む。サービスで出された花の香りのする紅茶を味わいつつ、フィリウスは暑苦しいローブのフードを数度ぱたつかせ風を送る。時期は冬。とはいえ、室内はひとが多く、むっとしている。

 ・・・と、その様を見ていたシィザが、眉をしかめる。

「それ、どうしたんだ?」

 きょとんとしたフィリウスは、小さく首を傾げる。

「何?」

「いや、その手。黒い・・・痣?」

 言われ、右手の甲を見たフィリウスは、ぎょっとした。慌てて左手の甲も見る。

「何・・・これ」

 ――服の袖に隠れた腕の方から、枝のように伸びる、無秩序な、黒の、痣。こんな痣、つくった覚えはない。袖をまくれば、ちょうど肘の辺りから、それは両腕に広がっていた。

「ど、どうしたの? それ、痛くはないの?」

「知らない、何、これ。痛くはない、よ・・・。痣? これ、痣、怪我、なの?」

 動転するフィリウスの腕を、右横にいたザギがぐいと掴む。何だこれ、と見当もつかないらしい。心配げな顔をするシィザが、大丈夫か、とフィリウスを見る。

「気分悪いとか、他に何かおかしなところは?」

「とりあえず、宿に戻った方がいいわ。フィリ、立てる?」

「平気」

 そんな会話を繰り広げていたため、気になったのだろう。隣の客がちらりとこちらを見やり、フィリウスの腕を見て目を見開く。

「せ、聖痕・・・だっ!」

 男が大声を上げて椅子を蹴倒し立ち上がれば、周囲の者達も同様に驚愕した様子で、次々に席を立った。

「な・・・」

「聖痕だとっ? 本当に?」

「あの女か。・・・異国の者だぞ?!」

「おい。何だ、その・・・セイコン?」

 フィリウスとエルー、シィザを背後に隠す形で立ちはだかったザギは、鋭い声音と目付きで、詰め寄る者達に対しそう制止の声をかけた。だが、ざわめきたつ者達の興奮は収まる様子がない。

「ちょ、あんたどいてくれよ!」

「聖痕なんて滅多に見られるもんじゃないんだぞ!」

「・・・落ち着いて! 事情を!」

 と、フィリウスが声を張り上げる。そして、ぴんと背を伸ばし、ザギの背中越しに騒ぐばかりの者どもを睨む。

「説明・・・して、ください」

 それは、宰相の弟子として培った、ひとに命ずる強い言葉。

「・・・あ、ああ。説明、するよ。お嬢さん」

 それをまさか、アデア聖国で使うことになるとは、思ってもみなかった。

 

 “聖痕”。それは、神に仕えし者の体に浮かぶ痣。つまりは――巫女の証。

 ローブを脱ぎ腕をまくって、両腕の痣を確かめる。黒い痣はなるほど、痣というよりは刻印に近く、その形は木の枝のようでも、鳥か何かの足のようでもあった。フィリウス以外の誰も、体のどこにも、そのような痣は出ていない。現状では、この痣の原因がわからない以上、聖痕と言われざるを得ない。

 そしてすぐ、聖痕が現れたと聞いた神官が店に来た。神に仕える巫女よ、神殿へおいでください、と丁寧に、しかし断る方法を与えず、まるで罪人を連行するかのようにフィリウスをザギ達から引き離す。

「ザギさん。北アデアへ。先に行って、待っていてください。すぐに追いつきます」

 腹を括ったフィリウスは、暴れてでもこの場を逃れようするザギ達にそう告げた。何が何やらわからないながら、この場でその“神の巫女”とやらではないと主張するには、あまりに状況が悪い。

「誰か、その方達を、北アデアにお連れしてください。私の仲間です。どうぞ、丁重に」

 フィリ! と非難するように声を揃える三人に、フィリウスは微笑む。

「すぐ、行くから。心配ないよ、大丈夫。・・・ザギさん、頼みますよ」

 何をとは言わないが頼まれたザギは、嘆息して嫌そうに頷いた。

「わかった・・・待ってるぞ」

 神殿へと連れ去られるフィリウスを、エルーとシィザは諦め悪く呼んだ。時折さっさと退いたザギを、危険はないと宥める人々や暴れないよう押さえつける者達をきっと睨む。

 ・・・いつまでも留めてはおけないぞと、ザギは引いた貧乏くじに空を仰いだ。




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