宰相の弟子

グレフィアス歴648年   3





 またやったのか、という思いを何度も抱くと、しまいには怒る気も失せるということを、身をもって知った。

 騎士が二人、フィリウスの隣にいる。俺を呼びに来た者も合わせれば、三人。全員何とも言えない表情をしている。

「・・・お前なあ」

 多分、自分も同じような顔をしている。

「何ですか?」

 ・・・フィリウスの前に、縄でぐるぐる巻きにされている男は、フィリウスが見つけて、追いかけて、捕らえた犯人。

「何度も何度も何度も! 頼むから、危険なことに首を突っ込むな!」

 要人が自分から不審人物を追いかけるなんてことをされては、騎士の出番がない。第一そんなことをされては、守れるものも守りきれない。

 いいかげん、宰相の弟子という立場を自覚してほしい。本当に。

 

 

 正論を言ったはずなのに拗ねられる。本当に報われないな、とそう思う。

 午前中、日が高くなる前のこと、フィリウスはスリをした男を見つけ、追いかけ、捕らえた。勿論周囲の人々が協力したが、主にそれを成したのはフィリウスだ。その後、騎士を呼びに来た。スリの現行犯で捕まえた男を引き取りに来て、と。

 グランはそれを聞いた瞬間呆れ、フィリウスを気が済むまで叱りつけてから、また呆れ直した。そしてその事件から二時間ほど、ユリウスがその出来事について訊いてきて、拗ねて首都の外に遊びに行ってしまったから迎えに行ってくれ、と命じられた。

 何だそれ、と思う。グランはこの日、いつも通りに貧乏くじを引いた。

 それにしても、城都の外に出るのは久々だと思う。少なくとも第一騎士隊の隊長になってからは一回も出ていない。もう数年間、首都の中に居続けていたのだ。

 数年ぶりの外は畑が連なっていて、遠くガエトの山がある。しばらく行くと畑は終わり、一面の野原が道の両脇を埋める。かっぽかっぽとアリデシアの背で規則的に揺れながら、春らしくなった野原を見やる。目を細めると、少し先にある木の下に馬が一頭いる。そして、その馬の横に、ひとが一人・・・。

 さらに近付いてわかる。それはフィリウスと生涯契約を結んでいる傭兵、ザギだ。

 ザギはグランよりも数センチ背が高く、がっしりしている。緑がかった髪と目が不思議な色合いで、割と穏やかな眼差しでひとを見る。だが穏やかなのは見た目だけだろう。何しろ傭兵である。騎士とはまた違う、戦いを生業として生きる者だ。

「おう、グラン次期団長。どうした?」

 こちらに気付いて先に問うたのはザギ。答えて手を振る。

「ちょっと捜しものを。ザギさんは、ここで何を?」

 するとザギは、野原のずっと奥の方を示す。アリデシアから下りつつ目を凝らせば、人影がぼんやりと三つ。

「フィリの護衛さ。・・・と言っても、こんなのどかなところで何が起こることもないだろうけどな」

 遠くのフィリウスは、二人の子どもと遊んでいる。その和やかな風景に、グランは声をかけるのを躊躇う。

「何だ、次期団長は、フィリを連れ戻しに来たのか?大変だな」

 ザギの労いは何とも軽くて、逆に心地よい。グランは苦笑すると、アリデシアをバルの隣につなぎ、フィリウスに声をかけることなくその場に座った。

「いいのか。捜しものは、フィリだろ?」

「いいんです。別に、急がなくてもいいんだから」

 グランの隣に腰を下ろしたザギは、しばらく黙る。それから唐突に、

「・・・まず、その敬語を止めるか。さん付けもいらねえよ。で、俺はグランって呼びつけの方がいいか?」

 全て一気に訊く。グランは目を丸くして、

「あ、ああ、わかりま・・・、わかった。じゃあ、呼びつけで頼む」

 ザギの目をバツが悪そうな様子で見る。

「俺がその呼ばれ方居心地悪かったの、ばれたか・・・?」

 ザギは小さく笑う。

「まだ若いしな。実力はあっても、次の団長だなんて言われ方には、不安もあるだろ?」

 頷いたグランは、今だって大変なのに団長なんて勤まるのか、と顔を曇らせる。そして、

「あいつは、すごいよな」

 野原を駆ける、少女を見つめる。・・・宰相の弟子という肩書きに沿うべく、歩き続けるフィリウス。

 ザギはふと真顔になる。

「・・・すごいのは認めるがな。フィリだって、まだ十九歳の若造だ。支える者がいなければ、そのうち重みに負けて潰れちまう」

 そして、痛いくらい真剣な眼差しを、グランに向ける。

「重い荷を背負う者同士、支え合えよ。俺達大人は、力の及ぶ限り手伝ってやるから」

 グランはその言葉を受け止め、深く一度頷く。・・・少なくとも、グランはもう二十代も半ばで、フィリウスよりは少し大人だ。その分の年月の積み重ねがあるだけ、フィリウスよりは慎重で、臆病かもしれないが、一人の少女を支えられないほど、弱くもない。そんな自分達を、さらに支える人達がいる。それはありがたいことだと思う。

 ――今は支えられるばかりの二人は、いつか宰相と騎士団長となり、王になったリアリスの手足となる。

 そんな場面が、明確に頭の中へ浮かぶ。グランは、ありがとうと微笑む。

「俺は、頑張るさ。フィリだって、頑張ってるんだから」

 ザギは笑みを返して、応援してるぜとグランの肩を叩いた。

 

 それから三十分ほど経ち、フィリウスが戻ってきた。グランを見て嫌そうな顔をしたが、第一声は、

「さっきはごめんなさい。・・・軽率でした」

 これだ。グランはもう怒ってはいない。苦笑をもってそれを受け、

「俺も言いすぎた。・・・ただ、心配かけないでほしいって気持ちは、わかってほしいんだ」

 実に真剣な顔でそう言えば、はい、とフィリウスは神妙な様子で頷く。その二人を見てにやにやしているザギは、

「あんまり無茶されると気が気じゃないんだ、くらいの熱い言葉、言ってみたらどうだ?」

 と、茶化す。グランはザギ! と怒り、フィリウスも睨みつける。二人から怒気を向けられたザギは怖い怖いと笑い、帰るか、と一人歩きだす。

 フィリウスはバルを、グランはアリデシアの綱を解き、徒歩のザギに合わせて馬には乗らず首都への道を戻る。

 

 穏やかな毎日、ただ歩いていくこと。それは、道のりの果ては見えずとも、一歩ずつ進むということ。




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