宰相の弟子

グレフィアス歴648年   8





 次の日は一日、運河の見学に回した。

 大きな川が街の真ん中を流れていることを活用して造られた運河の上流からは、小さな流れがそこかしこに伸びている。流れの先には地区ごとの共同洗い場がある。上下水道も作られており、下流から流されている排水はただの泥水のようなもののようだ。底にたまった泥を、一年に一回清掃するらしい。運河全体は小舟が通行する水路となっていて、下流をずっと下った先の海から街まで、荷が運ばれることもある。運河を使い荷を運ぶ者は通行手形を下流の関で見せ、区画ごとに設けられた船の発着所で荷を下ろす。この関や発着所の管理は役人によってなされ、運河全体が国によって統括されている。

「運河ですか・・・こういうものなんですね」

「見事、地の利を活かしてるもんだろ?」

「水路を作ったから、街の区画もしっかり整備されているのよ」

「・・・ってことは、そこに住んでる者達の名簿とかは」

「勿論、あるわ。そういうものを取り扱う役所があるもの。だから、アドレアに住むにはある程度裕福でないといけないのよ。税も定期的に徴収されるの」

「そうなのですか」

 ――運河を国家事業に仕立て、管理する。アドレア国の興りは、グレフィアス国とはまるで違う。

 その日の工程はそれで終わった。夕前に宿へ帰り、運河と国の関わり、それについて感じたことなどをメモにまとめたら、もう夕食の時間だ。フィリウス達四人は宿の一階で食事を取り、ザギとシィザの部屋で談話し、それぞれの部屋に戻った。

 

 

 ――夜の最中のことだ。

「・・・?」

 フィリウスは、ふと目を覚ます。わずかに衣ずれの音をさせベッドに上半身を起こす。

 エルーは静かに寝息を立てている。隣の部屋で何かが起きた様子もない。気のせいかな、と思う。だが、どうしても気になり、ベッドから出る。時期は秋の終わり。下ろした足元が冷やりとする。靴を履き、少し様子を見てこようと上着を羽織り部屋を出る。足音を殺して階段を下り外に出れば、寒気が直に肌を刺した。

 体を震わせながら、しばらくその場に立ちすくむ。先ほどの声・・・叫び声が、もう一度聞こえるかもしれないと耳を澄ましながら。

「――!!!」

 そして、それはフィリウスの耳に確実に届いた。途端、駆けだす。静寂に沈んだ街中に、足音が一つ響く。

「・・・って、・・・けんな!」

「・・・せ、・・・か、・・・だろっ!」

 何か言い争う声。良くない予感を覚え足を速める。角を曲がった時、目の前に続く路地で、

「っ!」

 二つの人影が接近しており、その片方が、もんどりうって倒れるところだった。

「・・・えが、悪いんだ。お前が悪い、お前が」

 ぶつぶつと呟きながら後退する男の手には、月明かりを反射する冷たい輝き。

(・・・刺し、た?!)

 倒れ伏す者はぴくりともしない。暗くてよくわからないが、もしあの輝きが本当に刃物ならば・・・動かないということは、

(死んで・・・る、の?)

 フィリウスは愕然とする。縫い止められたように、足が動かない。刃物を持った男が、ようやっと周囲に目をやる・・・。

 と同時に、フィリウスは誰かに強く腕を引かれた。

「っ?!」

「しっ」

 体を押さえられ口を塞がれる。一瞬恐慌状態になりかけるが、静かにと繰り返す声に安堵して力を抜く。見上げれば、いつになく真剣な目をしたザギがいる。

「・・・」

「・・・落ち着け」

 口を塞がれたままあやすように肩を叩かれ、徐々に落ち着いていく。いつの間にか激しく震えていた体に気付き、しばらくされるがままザギに支えられていた。

 その間に男は我を取り戻し、自分が刺した者を前に激しくうろたえながら、どこかに走り去っていった。今のうちにと刺された者に駆け寄ろうとすれば、ザギがそれを制す。

「ザギさん!」

 フィリウスが抗議の声を上げれば、ザギは、もう手遅れだと首を振る。そして、宿に戻ろうと提案する。嫌だと首を振るフィリウスをどうにか説得しようとするが、そのうちにまた誰かが近付いてきた。しかも今度は複数だ。

「っ! 黙ってろ」

 ザギはまたフィリウスを押さえつけ、物陰に身を潜める。抵抗し損ねたフィリウスは、不満げな顔で体を縮める。息を殺す二人の下に、先ほどの男と、さらに数人の者達との会話が届く。

「・・・でどうだ」

「足りない、・・・だ」

「ちっ、わかったよ。・・・ちゃんと流してくれよ」

 ちらりと顔を出してうかがえば、人影は四人。先ほどの男が、向き合う三人の中の代表者に何か手渡す。三人はそれから、倒れた者を布に包んで抱え上げ、どこかへ運んでいった。刺した男はほっと胸を撫で下ろし、去った。

「・・・戻るぞ」

 それを見届けてから、ザギはフィリウスを引きずるようにして、宿屋への道を進んだ。

 

 宿屋の部屋に戻れば、エルーとシィザが起きて彼らを待っていた。どこに行っていたと問われ、ザギが短く言う。

「厄介なことになった。明日の朝、ここを出るぞ」

 どういうことだと不審げな顔をする二人に、声を潜め告げる。

「・・・殺人現場を、目撃した」

 二人とも、言葉を失った。

「だ、大丈夫でしたの、あなた達」

 エルーの心配に頷いて答えたザギは、ちらりとフィリウスを見る。一言も発せず、うつむいている。

「・・・フィリ?」

 様子がおかしいことにようやく気付いたシィザが名を呼ぶ。フィリウスは視線を誰とも合わせないままに、

「・・・あれは、何ですか」

 そう問う。それに答えられるのは、一緒にいたザギ一人。

「・・・多分、金を渡して、死体を処理してもらうんだろうな。川から海に、流すんだ」

 ぱっと顔を上げるフィリウスにザギはため息をつき、

「ここには、そんな噂が、前々からあるんだ。金を払えば、どんなものでも海まで流してくれるってな」

 フィリウスは間髪入れず、誰に頼むのですか、と訊く。ザギはさらにため息。

「わかってんなら、わざわざ訊くな。お前の予想は合ってる。・・・役人だ」

 さらに目付きをきつくするフィリウスに、俺を睨んでもしょうがないだろ、と頭を掻いたザギは、いいかよく聞け、と負けない強さで視線を合わせる。

「どこにでもいるんだ、そういう奴らは」

 ――相手は国だと、ザギは言う。

「理想と綺麗事だけじゃ、国は立ち行かない。そういう汚いことをしてるのは下の奴らだろうが、上が気付いてないと思うか? ・・・気付いてて、放置してるんだ」

 ザギの言葉が途切れ、しんと沈黙が下りる。数拍の後、

「フィリ。お前が抱えるのは、そういうものだ。・・・覚えておけよ」

 疲れたように、締めくくった。

 

 

 次の日の朝早く。フィリウス達四人は、シェドを旅立った。次の目的地は、神のおわす聖地がある、アデア聖国だ。




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