異国の民(仮)

領主と赤ん坊





 グレオン国ガースーズの地を治める領主であるハイト・ランディス。彼の茶がかった長い髪と鋭い目は、日に当たると金色じみた光を宿す。低めの声は耳に心地よく、性格は気さく。治める土地の民からの評判は、いたってよい。

「……何だ、これは」

 その彼が。今、誰も見たことのないような渋面を作り、ちらほら降り出す雪空の下の路地で、立ち止まっている。

「…………どうしろ、と?」

 騎士としての実力も高いハイトが、立ち竦むほどほとほと困るほどのもの。――目の前にいたのは、真新しい産着に包まれた、一人の赤ん坊だった。

 

 

 

 

「お帰りなさいませ、ハイト様……って、それ、何、ですか?!」

「何だ、どうし……ええぇ? あ、赤ん坊?! ちょ、どこから奪ってきたんですか!」

「人聞きの悪い。奪ってなどくるものか、落ちてたんだ」

 ハイトは自分の補佐二人に苦々しげにそう言い、片腕で荷物のごとく抱えた赤ん坊を、魔術師の補佐であるジェイスにぽいと手渡す。軽く投げるようにして渡された赤ん坊を慌てて支え、危ないですよ! と抗議の声を上げるジェイスに、予期せぬ拾いもののため不機嫌になっていたハイトは、知るか、と吐き捨てる。

「全く、忌々しい……。こんな日に、あんな路地裏に捨て置かれた赤ん坊など、捨て子に決まってる。放っておけないだろうが、見つけてしまったのだから」

 ハイトは領主一筋であるから、妻も子もいない。今までもこれからも、そうしたものは無駄で不要だとすら思っていた。ところが、だ。そうしたハイトをたしなめるかのように、どこから湧いたか知らないが、赤ん坊が現れた。

「俺には、世話などできん。ジェイス、その子どもをどうするかは、お前に任せる」

 見逃せなくて拾ったはいいが、育てる気などない。親を捜すも、孤児院に入れるも、どこか引き取り手を募集するも、ハイトはやる気がなかった。何しろ、赤ん坊を腕に抱いてすぐ思ったことが、しょうがない、ジェイスに押し付けよう、だ。

「ちょ……、ハイト様! 拾ったものには、責任もってくださいよっ?!」

「知らん。俺は何も知らん、それはお前にやる」

「いりませんよ!」

「二人とも、声抑えてくださいよ。折角静かに寝てんのに、起きちまう!」

 赤ん坊を押し付けあっているハイトとジェイスを叱ったのは、もう一人の補佐である騎士、ガルドだ。彼は慣れた様子で赤ん坊を腕に抱くと、その寝顔を見て顔をしかめる。

「まあ、よく寝てることで。うちのと大違いだ」

 その言葉を聞き、そういえばガルドには今年三歳になる息子がいた、と二人は思い出す。一時は夜泣きが酷くて大変だったらしく、げっそりとこけた顔をしていた。

「そうか、お前、子どもの扱いは慣れてるな。じゃ、頼んだ」

 どうでもいいがとりあえず赤ん坊を誰かに押し付けたいハイトは、あっさりとガルドにその世話を頼む。ガルドは渋々首肯し、それから、

「それにしても、変わった子ですな。肌が随分白っぽいし、薄っすら生えてる毛の色も淡い。ここらの子どもなら、いくら赤ん坊でももっと色が濃いですよ」

 まさしく、毛色が違う。首をひねり、どこの子だろう、と呟くガルドに、誰も答えを返せない。捨て子なら親は捜すだけ無駄であるし、他国の子どもなら何か犯罪がらみの可能性すらある。というのも、ガースーズの地はごく普通の田舎にすぎず、わざわざ観光で訪れる異国人などまずいないし、いたとしても赤ん坊を置いていくなどよっぽどの事情だ。

「……相当に厄介な拾いものを、したようだな」

 ますます苦くなるハイトの言葉に、ジェイスとガルドは、不安そうに顔を見合わせた。

 

 

 

 

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 それから数日、ジェイスと数人の魔術師や騎士が赤ん坊について諸々調べて回ったが、収穫はなかった。そしてその間、ガルドを台頭とした子持ちの魔術師と騎士が赤ん坊の世話をしていた、のだが……、

「ちょ、わ、やば、……ハイト様!」

 窓の向こうから名を呼ばれたハイトは、苛々しながら返事する。

「俺に頼るな! 魔術師もいるんだろう、お前らでどうにかしろっ!」

 無理ですよ! という間髪入れない叫びの後、開け放たれた窓の向こうから突風が室内に吹き込み、カーテンをばたばたと揺らし積まれた書類を巻き上げる。何度目だ、と嘆息し、書類を全て拾う。そしてしばらくは元通り机に向かっていたのだが、外の騒ぎがまた大きくなり始め、とうとう席を立った。

「……泣かせるな! 笑わせるな!」

 窓から顔を出して怒鳴る。と、その顔目指して、飛んでくる赤ん坊。

「ああもう!」

 ハイトはそれを危なげなく抱き止めて、部下達を睨みつける。

「お前達は、赤ん坊の世話一つできないのか!」

 部下達は揃って情けない顔をし、そんな子どもをどうやって世話しろと、と困り果てる。そこに、駆けつけてきたガルドが息せき切って扉を開ける。ハイトの背後から、

「怪我は!」

 そう問う。ハイトが赤ん坊を抱えたまま憮然とした表情で振り向けば、ガルドはほっと息をつく。無事で良かった、と。それもそのはず。ハイトの執務室は、建物の二階にある。赤ん坊とその世話係達がいたのは中庭で、一階部分に当たる。……赤ん坊は、一階分の距離を“飛んだ”のだ。

 この子は生まれつきの風使いだと、魔術師は断定した。それも、通常の風使いとは段違いの強さだ、と。

 ――風使いとは、魔術師とは違うものだという。魔術師は大気中の元素を何がしかの媒体を使って具現化する輩で、元素を感じる力さえあればなれる。“使う者”はそうではない。たとえ感じる力がなくとも、元素に愛されてさえいればいい。……つまりこの赤ん坊は、心底風に愛された子どもということだ。

 珍しいことに、赤ん坊の目は美しい紺。澄んだ夜空の色だ。わずかに生えた髪の色は青。しかも、春の空のような明るい水色だ。

「……全く」

 ハイトに抱かれうとうとし始めている赤ん坊はまるで安心した様子で、自分のことなどはなから説明できるはずがないとしても、少々文句も言いたくなる。ジェイス達の報告は、今日もはかばかしくないだろう。里親にしても、この力と色彩をもっていては、誰も欲しがらないという予想は容易に立つ。

 この赤ん坊と自らの未来が、そっくりそのまま見えたようで、ハイトはただ深いため息をついた。

 

 

 

 

==========

 

 そんなこんなでひと月経つと、皆慣れてしまった。確かに手に負えない力をもち、珍しいにもほどがある色の髪と目をしている。けれど、それだけだ。所詮、よく笑い、よく泣く、まだハイハイもできない赤ん坊なのだ。

 年配の者達は、すでに育った自らの子達の小さな頃や幼い孫と比べ、その愛らしさに心奪われる。まだ若い者達は、自らの子育ての延長として赤ん坊に接する。子のない者達にしても、屈託なく無垢な赤ん坊には、何かしら感じ入るところがあるらしい。それはハイトですら例外でなく、初め赤ん坊を見ても仏頂面しかしなかった彼が、今では微笑ましい風景を苦笑でもって眺め、時には自ら赤ん坊をあやすまでになった。

 親はもちろん、養子先もやはり見つからない。そもそも、拾ってきたのはハイトだ。事ここに至り、もう覚悟を決めるしかないか、とそう感じていた。

 ひと月経ってもまだ律儀に親捜しを続けているジェイスに、今日も収穫はありませんでした、と日課になってしまった台詞を告げられた、その夜、ハイトは心を決めた。

「ジェイス」

 立ち去ろうとしていた魔術師の補佐を呼び止める。何でしょうか、と振り向いた彼に、

「もう、実親も里親も、捜さんでいい」

 そう言えば、ジェイスは訝しげな顔をハイトへ向ける。

「……と、言いますと」

 孤児院にでも入れることにしたのですか、と心配げな顔で問われ、首を横に振る。援助をすれば入れることも可能だろうが、あれだけ特異な赤ん坊は、普通の場所で育てることなどできはしないだろう。

「いや。……俺の養子にする」

 ハイトがそう宣言すれば、ジェイスは一瞬驚いたものの、予測の範囲内であったらしく、しばらく後で、

「……子育ては、部下に丸投げですよね」

 悟ったようにため息をついた。ハイトは薄く笑い、明言は避けたが……まあ、そういうことだ。

「そうと決まれば、名前くらいは付けんとな」

 言いつつ、もう名前を決めていたハイトは、間髪入れず言葉を続ける。

「ルファにしようかと、思っているのだが」

 どうだろう、と問う。ジェイスは小首を傾げ、

「ルファ……ああ、ルウ・ファン、ですか?」

 思い付きぽんと手を打つ。いいと思いますよ、と微笑まれ、ハイトは満足げに頷いた。

 

 

 ルファ――ルウ・ファン。空の女神の名を貰った赤ん坊は、領主の息子とあいなった。




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