異国の民(仮)

領主の部下と赤ん坊





「ハイト様っ! ルファがいな……あ」

 駆け込んできた若い騎士は、室内の主であるハイトを目に止め、尻すぼみに声を消した。ハイトの腕には、しっかりと赤ん坊が抱えられている。ハイハイができるようになった時も相当てんやわんやしたが、ついこの間、立って掴まり歩きができるようになってから、さらに混乱度合いが増した。

 空色の髪と夜空色の目をした赤ん坊ルファは、今のところこの領主館内から出ていってしまうことはない。まだ、それほど長く、高くは飛べない。

 領主が暮らす本館とその両翼として建つ騎士控え所と魔術師控え所の周囲は、やや高めの壁で覆われている。敷地的に一番広く取られているのは騎士控え所の庭であり、騎士達はここで訓練をしている。対して一番狭いのが魔術師控え所の庭で、薬草の植えつけられた畝が五つほどあるだけだ。領主館はさすがに、領主が暮らしているだけあって館も庭もそれなりに立派だが、あくまでそれなりだ。ごてごてと飾りつけるのはハイトの趣味ではない。

 三つの建物と庭、そこに集う人々。ルファは、時には壮年の騎士、時には若き魔術師、また時にはわずかにいる使用人の女性などに世話されて、野放しに育っている。というのも、名義上の親であるハイトが、子育ての一切をしないからだ。衣食住はさすがのハイトでも手配するが、言葉の一つすら教えない。そんなわけで、ここ一年の間に、手の空いている者が赤ん坊の世話をするのは暗黙の了解となり果てた。

 ルファの姿を見てほっと息をついた青年は、それから苦笑を浮かべる。

「……ルファは本当に、ハイト様が好きですね」

 言外に、親らしいことなど何もしてないのに、と匂わせる。ハイトはそれを無視して、きゃらきゃらと笑うルファを青年に返す。

「好かれて悪い気はしないが、育てるつもりは、ない」

 暗に、お前達がしっかり育てろ、と告げる。その分の世話代は、騎士も魔術師も、一年前から給料にやや上乗せされている。

「……そうですか。では、失礼します」

 青年は作り笑いをして、ルファを抱えてその場を辞した。

 

 

 騎士の青年ディストは、ルファを抱いたまま、憤慨して廊下をがつがつと進んでいた。

 ディストには兄が二人いるが、下はいない。幼い子どもの世話などまるでしたことのない彼には、ルファがとても愛おしく思えた。珍しい髪と目の色は澄んで美しく、抱きしめればふわふわして温かい。頬擦りすれば、何やら奇声を上げる。そして、ルファの周りには、いつもくるくると風が舞う。ルファとともにその風に吹かれていれば、苛立ちもすぐ薄れた。

「全く、ハイト様はひどいよな。ルファ」

「ぁ?」

「まがりなりにも親なのにさ。お前がこんなに好いてるのに。まるで興味ないんだもんな」

「ぅ〜」

 返事のつもりか、ルファはきゃっきゃとはしゃぐ。ずれた小さな体をしっかり抱えなおしたディストは、その足で魔術師控え所を目指す。

「ヴィア、いるか?」

 いつも庭にいる幼馴染の魔術師ヴィアーストを呼びつつ近寄っていけば、案の定庭にいた彼が、何だいと返事をしながら歩いてきた。

「俺、今から訓練なんだ。ルファを頼んでいいか?」

 ヴィアーストは頷き、手と服の泥を軽く払って、ルファを受け取った。

「今日はこのまま俺が世話するよ。心配しないでちゃんと訓練してこいよ、ディス」

 そう言われディストは苦笑する。わかってるって、頼んだぞ、と一度頷いて去った。

 ルファを抱えたヴィアーストは、その背を見送ってから控え所の中に入る。

「ジェイスさん」

 ここの魔術師の中で一番上の地位、領主の補佐であるジェイスに声をかける。

「どうした? ……ああ、ルファか。わかった、数人連れてっていいぞ」

 ありがとうございますと頭を下げ、暇そうな仲間を二人ほど、控え所の外に連れ出す。

「じゃあ、ルファ。今日も同じ遊びをするよ。……俺達と一緒に、風を使ってみような」

 魔術師三人で風を起こし、操る。それから、ルファに真似をさせる。一歳とはいえ生まれてからずっと風と親しくしてきたルファは、その遊びを無意識にこなす。

 ――ルファは風使いだ。今はまだ赤ん坊だから、暴走したと言っても周囲の大人が何とかできる。けれどもっと育った時、その力を全く制御できないままでは、危ない。

 これもある意味英才教育と言えなくもないのだった。

 

 

 

 

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 壮年の騎士ラジは念入りに剣を磨きながら、風に遊ばれ水に巻かれてむずかる子どもを横目に見る。

「……メディエル」

 そして、彼よりもさらに数歳年上の男の名を呼ぶ。その辺にしておかないと泣くぞ、と。が、時すでに遅く、

「ぁ、やーーーーーっ!」

 癇癪を起したルファのせいで、部屋中のものが吹き飛んだ。

 

 

 さてこのカースーズには、ルファ以外にもう一人“使う者”がいる。六十を数年前に越え、大人の泰然さと子どもの無邪気さを持ち合わせる彼は、ただの騎士や魔術師では段々と手に負えなくなってきたルファを、その力をもって遊んで……もとい、指導している。メディエルという名の彼は“水使い”だ。

「……毎回毎回、誰が片付けると思ってるんだ」

 使う者は生来いたずら好きなのではないかと、ラジはここ最近思っている。風と水を戦わせて力の訓練だと言い張ってはいるが、わざと手を抜いて面倒を起こすこともしばしば。孫と言うにも離れすぎた年のルファ相手に、本当は何を教え込む気なのか。

 メディエルと幼馴染であるラジは、時たま二人でルファの面倒を見る。騎士が訓練中の時だったり、魔術師が忙しい時だったり。いい年したラジはもう局に近い存在で、誰もが慕ってくれはするが、やることは雑用に変わりないようなものだった。さしあたって今は、ルファの世話とメディエルの諫め役といったところだ。

 ……メディエルの言によると、風使いは特に制御に苦労するらしい。風は、火と比べればはるかに穏やかで、水や木に近い優しい力だ。しかし、風は何しろ気紛れだ。従わせようと思って従わせられるものではない。メディエルは水使いだが、感覚でわかるのだという。同じ使う者のことならば。

 

“この子はすごく苦労するだろうな。可哀想に”

 

 以前、そう呟いて辛そうに笑っていたのを、ラジは覚えている。……そう、昔はメディエルも大変だった。家族や友人が支えてやらなければ、もしかしたら自殺でもしていたかもしれないほどには。

 使う者は、万能ではない。ひとの間で暮らしていく限り、その素晴らしい力はむしろ邪魔になることすらあるのだということ。もう少しルファが大きくなったら、教えてやろうと思う。

 ……まあ、とりあえず今は第一に、早く部屋を片付けてしまおう。

 

 

 

 

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 こんな男所帯で子どもを育てようなんて、無謀もいいところ。ましてや武骨な騎士と生っちろい魔術師ばかりだなんて、これはもう、放っておいたら見殺しにするのと同義よ。

 私の息子は九歳、ルファと遊ばせて面倒を見るくらいはできる年だけど、力を制御する術を知らず危ないからと、ルファはいまだに他の子どもに会ったこともない。一歳と言えば、育ち始めの重要な時期。たくさん見て、触って、感じて、話しかけて、笑いかけて、怒って、泣いて、そうやって育つのが普通なのに、この壁に囲まれた場所で、騎士と魔術師とだけしか接したことがないなんて、明らかに情操教育に影響が出るわ。

 せめて、女手が必要。私は幸いハイト様のお屋敷に仕事で出入りするから、男共じゃどうにもできないことや、気が付かないことを、色々してあげられる。ハイト様に頼み込んだら、女の使用人も数人増やしてくださった。本当、よかったわ。

 お下がりのぬいぐるみや積み木で一緒に遊んでいれば、ユイア、と向こうから同僚が名を呼ぶ。ああもう時間切れ。使用人は時間で区切って仕事をしているから、残業は認められていないし。

 ルファを抱えて一度ハイト様のお部屋に戻し、屋敷を出た瞬間。まるで引き留めるように強い風が顔面に吹きつけてきて、たたらを踏んだ。これは……ルファ?

 そういえば、魔術師の誰かが話していた。ルファはどんどん強くなるな、と。

 

 

 ……何か、色々考えれば考えるほど、ルファの行く末が心配になってきたわ。私。

 

 

 

 

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 ――思い様々にルファと関わる者達の中、ハイト一人だけが、

「……お前ら、毎日毎日床と仲良しで、結構なことだな」

 ルファの風に煽られて倒れる部下を冷たく見やって、どこまでも育児と関係ない場所にいた。




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