育児放棄の領主と赤ん坊
子どもも二歳になると、そろそろ視野が広くなってくる。歩くし、時には走るし、喋るし。特に、言葉。何度も聞いた言葉は勝手に覚えてしまうこともあるので、あまり下品な言葉は使えない。騎士も魔術師も、ルファの情操教育には協力的だった。ただ一人だけ、そんなのはどうでもいいという人物が。……ハイトだ。 「あの、ハイト様」 「何だ」 「……もう少し上品な言葉、使ってもらえます?」 直訴した補佐二人を、ハイトはちらりと見やる。そして、 「面倒だから、嫌だ」 そう断言した。 「いちどしにぇ!」 可愛らしいルファの口からそんな言葉が出ると、どきっとしてしまう。ハイトの口癖が、ルファに移ってしまったのだ。 ハイトは基本有能なので、自分に釣り合わないレベルの部下を、一度死ねとよくよく罵る。勿論本気ではない……はずなのだが、本当に本気でないのかと問われると困る、と補佐二人は心中で思っている。 何故、ルファはハイトに懐くのか。世話する者達は、その関係を悔しがる。 「ハイト様は、ルファに何もしてやらない」 「ハイト様は子育てしない。むしろ、悪いことばかり教える」 必死で子育てしている者達にとっては、不満たらたらである。しかも、直訴しても暖簾に腕押し。目を付けられるリスクを承知で“子育て参加”を呼びかけているのに、それを察しないのだ。 「ハイト様には絶対、女はできないよ」 「あれじゃあな」 ……そう聞えよがしに悪口されていることを、耳に入れているのか、入れていないのか。 ========== ジェイスとガルドは、ここ最近の、ハイトの行動が、不自然だと感じていた。何と言うか……笑うのだ。直訴や悪口を聞いた後に、こっそりと。 「怒られるのが快感だ、とか?」 「ありえないな」 勿論、冗談に決まっている。ジェイスに即否定されたガルドは肩を竦める。 「じゃあ、何かやってるんだろ。愉快な気分になるような何かを」 「……ろくでもないことをな」 ――ルファ専用として、魔術師総動員で創り上げた結界が張られた部屋。ルファは夜、そこへ寝かされる。というより、閉じ込められる。 ハイトがルファに何かどうしようもないことをしているとしたら、部下達がいなくなった、その時に何かしている可能性が高い。 二人はその日、帰ったふりをして、こっそりハイトの動向を見張ることにした。 午後八時、夜勤の部下以外全てが帰宅する。 午後八時十五分、その日の担当の手でルファは部屋に入れられる。 午後九時、領主補佐二人が帰宅の途に着く。 ――午後十時、ハイトが動く。 ハイトの動きを魔術によって遠見していたジェイスは、ハイトが向かう方角を確認して、大きなため息をつき、術を解いた。 「ガルド。ハイト様が、ルファのところに行った」 「やっぱり、な」 予想違わずな行動に、揃って頭を抱える。 ……ルファの寝顔を見にいく? 寝ようとしないルファをあやしにいく? そんな“父親”らしいことを、ハイトがするはずない。 「大方、ろくでもないことを、ルファに教え込んでるんだろう……」 「“死ね”とか“殴る”とか、物騒な言葉ばかり、この頃覚えてるなと思っていたけど……」 おそらく、ハイトは意図的に教えている。 「……はぁ」 その様を一応確認しておこうと、もう一度魔術を紡ぐ。この場から確認できるルファの部屋の窓をのぞけば、遅い時間だというのにきゃらきゃらと元気ではしゃいでいるルファに、にやりと微笑んでいるハイトが、何やら熱心に話しかけていた。遠見の術では残念ながら音は拾えないが、何を話しているかは口の動きからわかり、確認するまでもなくろくでもない言葉を教えていると判明する。 子育てしないどころじゃないよ全く、と呆れてため息をつくと同時に、ハイトが素早くこちらを向いた。 「っ?」 見えるはずがない。見ているとわかるはずがない、というのに、ハイトは鋭い目と、凶悪犯もかくやという笑みを浮かべる。そして、 「…………もう、俺、やだ」 ジェイスを、泣かせた。 “見てるな、ジェイス。上司の私的な行動を勝手にのぞくとは、覚悟はできているのか?” 何でわかるんだ、俺もうあのひとやだ。 そう沈み込んだジェイスが何をされたか。訊かずとわかる。 「……気張れ」 ガルドは、一緒に落ち込んだ。 結局、ルファの暴言はその後もしばらく続いたのだった。
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