魔王の弟子の物語 〜Tales of the Dragon's Pupils〜

一話   不機嫌・猫





 今日も今日とて、青の魔王は魔王らしく君臨していた。

「魔王様、あの・・・今日はぼくに何か御用が?」

 青い着衣は鮮やかに揺れ動くが、どうしてかその顔を見ようとすると常に視界がぶれてしまう。弟子といえども、魔王の顔を見てはいけないのだ。だから、初めからその顔を見ようとは思わない。着衣に向かって話しかけているようだが、それにももう慣れた。

『ああ、一つ、用がな。ほうら、セグレット、両手を出して。・・・受け取りなさい』

 魔王は着衣の中から腕を出して、小さな籠を差し出してくる。おどおどしながら出された両手の上に優しく置かれたものは・・・蒼い毛並みをした、貧弱な猫が一匹入った、その籠だった。

『セグレット、名前を付けてやりなさい。その子に一番合う、たった一つの名前を』

 魔王は、笑った。笑ってそう言った。当のセグレットは、長く待ちわびた瞬間であるにも関わらず感動の言葉をあげるひまもなかった。――猫はどうにも、不機嫌だった。爪を立て、牙を立て、セグレットに襲いかかる。魔王はまた、それを見て笑うのだった。

 ――それが、青の魔王の三番弟子・セグレットが、やっと授かった“使い魔”の存在。蒼い蒼い毛並みをした、小さくても気が強い、メス猫との出会いだった。

 

 空が青いと、誰が決めた。そう言わんがごときの、猛烈な豪雨だ。

「・・・止まない、なぁ・・・」

 困り顔で庭を見つめる少年。青年にはまだ遠い。青くさらりとした髪は背に長く伸ばされ、ゆるやかに一本に縛っている。前髪が長い。目の上にかかり、すかして見える目の色はこれまた薄い水色だった。

 青の魔王は、きっとこの色彩を気に入ったのだろう。“青”とつくだけあって、魔王の姿はことさら青い。濃いとか薄いの概念を通り越している。ただ、青いのだ。どこまでも。

 ああ、そうじゃなければ、きっとこの場にいない。青い髪、目。大して珍しくもないが、魔王はこの姿を見て一言、『ふさわしい』と言った。そうじゃなければ、ここにはいないはず。・・・術も大して扱えないのに、魔王の弟子になれるはずはないはず。

「庭の草が、倒れちゃうね・・・こんな強い雨だと」

 雨が強い。魔王の城は術で守られてはいるけれど、雨も降るし、風も吹くし、晴れや曇りの違いもある。

 庭草の手入れは、自分が一手に引き受けている。別に苦ではない。術や魔法でどうにか出来るかもしれないが、この手を使って世話をするのは、楽しい。

「・・・まあ、いっか」

 雨が止めばいい。とりあえず。術が使えなくても、庭草の手入れには支障はない。

 

 そうしてしばらく、雨の様子を眺めていた。いつの間にか、ぼー、としていたのだろう。気付くと隣で、同じように雨を眺める人影がいた。

「え・・・」

「何、ぼー、としてるんだ? セグレット」

 人影に顔を向ける。にかっ、と笑いかけてきた。まんべんなく焼けた肌は健康的で、それはここしばらく見ていなかった姿だった。

「トウさん! いつお帰りに?」

 セグレット、と親しげに自分の名を呼ぶ全体的に黒く統一された青年。少し青味がかった黒髪はばっさりと短く切られ、暗闇でよく光りそうな黄色い目は今は喜びに細められている。青の魔王の二番弟子・トウ。兄弟子に当たる。

「ついさっき。領域を見回ってきて、飛んで帰ってきたら、お前を見つけた、ってわけ」

 魔王の弟子連中の中でセグレットと一番仲が良いのは、このトウだろう。

「で・・・何、してたんだ?」

 セグレットの視線の先を追い、そこに庭以外の何も広がっていないことを確かめて、トウは訊ねる。薄く笑いかけ、答える。

「いえ、何も・・・ただ、雨が止んでくれないと、庭草の世話が出来ないんです」

「ああ、それで・・・。いつも綺麗になってるもんな、庭。よく世話してくれてるよ。偉い偉い」

 トウの視線は、セグレットより大分高い。その中には、兄弟子としてだけではなく、親の目線のようなものも混じっているだろう。セグレットはだから、髪をなでるトウの手を受け入れる。

 雨は止まない。そして、庭草の手入れが出来ないことだけが雨を見つめる理由ではない。

「・・・なんか、元気ない?」

 トウが訊ねる声。ほんのりと微笑しながら、セグレットは首を横に小さく振る。そんなことはない、と。声には出さずとも、トウはわかってくれるだろうという自信がある。こんな時は、何か相談したいわけではない。

「・・・ま、いいけどさ。何かあるなら、すぐ言えよ? 俺は魔王様に報告してくるから」

「はい、ありがとうございます。いってらっしゃい、トウさん」

 トウは後ろ手に手を振り、去っていく。セグレットはその背が見えなくなるまで見送り、そしてまた、庭先へと目を向ける。

 小さくついたため息は、雨音にすぐ消された。

 

 セグレット。その真の名は青の魔王に捧げた。今の名は、セグレット。青の魔王が付けたのだ。

 まだ幼い頃、魔王によってどこからかこの城へと連れてこられた・・・らしい。定かではない。覚えてはいないからだ。その頃にはもう一番弟子、二番弟子共に青の魔王のこの城にいて、兄弟子二人はセグレットに何かと構ってくれた。特に二番弟子・トウの方は、魔王の城に来る前は幼い弟が実際にいたということもあり、よく世話を焼いてくれた。

 すくすくと育つ・・・とまではいかない。実際問題、魔王の城の者は、皆若い。数年に一度、一歳年を取るかどうか。時間の流れが違うのか、ゆるやかな年の取り方になる。セグレットも、小さな頃ここへ来てから今の姿に育つまで、長い長い時間をかけた。魔王がなぜそんな小さな頃セグレットをここへ連れてきたのか、わからないが、そこから考えると、セグレットの“家”はここだと言えるだろう。

 青の魔王は、ある意味で父。主。師匠。なんとでも言えるだろう。兄弟子達もまた同様。

 何かと世話を焼いてくれる彼らに、こんな些細な悩みで関わらせるわけにはいかない。

「うーん・・・」

 困ったように唸る。雨を見ながら壁に背を預け、庭にやる目もそのままに。

「・・・あっ!」

 そして、視界の端に映った姿に慌てて壁から背を離す。

「ちょっ、待って!」

 だが、それは雨の中、駆け去ってしまった。蒼い毛並み。ぴん、と立った尾。つん、とすました細い身体。雨を苦にもせず、こちらに視線一つ送ることなく。

「行、っちゃった・・・」

 ――数日前、魔王がセグレットへ渡した蒼い毛並みの猫。数日経った今でも、全く懐かず鳴かず餌も食べない。このままじゃいけない、とそれはわかっているのだが、近寄ることも出来ないのだ。そして・・・ほとほと困り果てているのだ。

「はあ・・・」

 もう一度、ため息をつく。やはり、雨音の中に掻き消えていってしまった。

 

 領域の巡回は、魔王に認められた弟子だけが出来ることだ。トウはすごい、とセグレットは思う。トウ、そしてオネ・・・青の魔王の一番弟子。オネの術は、緻密で繊細、奔放で豪快。向き合うことのない二つの側面を矛盾なく織り交ぜたものであり、トウのそれともまた違う。二番弟子・トウの術は、極大の範囲に効果を及ぼし、極小の範囲に効果を響かせる。調節しても威力が衰えることはない。

「セグレット」

 止まない雨を見ながらどれほど時間が経ったのか。誰かに呼ばれて、はっ、と気付く。もう空は暗くなり始めていた。

「セグレット、もう中に入れ」

 もう一度呼ばれて視線を向ければ、そこにはトウが立っていた。心なし、心配げな、呆れたような表情を浮かべて。

「トウさん、もう報告は終わったんですか?」

「とっくに。お前はまた、こんな長い時間、身動きもせず何を考えてるんだ?」

 どうも、呆れながら心配しているらしい。口調からうかがえた。

「えっと・・・」

「だから、何かあるなら言え、って言ってるよな、いつも。心配かけたくないのはわかってるし、頑張りやなのものんびりやなのも知ってるけどな、風邪を引くのはいやだろ?」

 トウは、それでも無理に聞き出そうとはしない。軽くセグレットを促して、中に入っていく。セグレットは躊躇しながらも、ゆっくりその背を追う。肩越しに少し振り返る。そこに、過ぎ去る蒼い尾を見た。

 

 トウは何も訊かず、セグレットを部屋まで送り届けると去っていった。セグレットは、空の寝床を見る。あの蒼い毛並みの猫のため、作ったものだ。寒くないように、寝心地がいいように、と思いながら作ったが、一度も使っていない。

「うーん・・・どうしたら、いいのかな」

 魔王は、名前を与えろと言った。たった一つの名前を。そして実のところ、いくら考えても悩んでも、結局最後は元々思った名前へ戻ってしまうのだ。・・・最初会った時に、ぱっ、と思ったその言葉に。

 それでいいのだろうか、と思い悩む。先に“使い魔”をもらった者達――他の魔王の弟子に訊ねるべきだろうか。だが、魔王は自分に言ったのだ。『名を付けろ』と。それだから、こう、と思った名を付けるのは間違いではない・・・気もする。

 空の寝床を見つめて、またため息を一つつくのだった。

 

 次の日、夜明けと共に目覚めた。

 セグレットは昨日同様庭を見て、雨が上がっているのを確認する。そのまま庭へ下りる。そして、庭の端の端、暗がりの中に、昨日も見かけた蒼い毛並みを見つけ、たじろぐ。

 近寄ったら、逃げてしまうだろうか。だが、猫は眠っているようだった。セグレットは意を決して近寄っていった。そして、そお、と触る。

 ・・・ニ、ギャアァァーーーーー!!!

 そしてその瞬間、激しく引っ掻かれた。

「わ、わ! 待って! 何もしないよ、逃げないで! せめて餌くらい、食べて!!」

 逃げようとする猫の身体を抱き上げて、苦労しながら部屋へと舞い戻る。術でミルクを温め、餌を出し、毛を逆立てて威嚇する猫の前にそっと出す。

「ゆっくりでいいから、冷める前に飲んで、食べて。お願いだから、ね?」

 そして、部屋を後にする。閉めた扉の向こうで猫はまだ蒼い毛並みを逆立てていた。

「強引だったと思うけど・・・餌は食べてくれないと」

 晴れた空。庭先に昨日の豪雨の跡。ぱしゃっ、とたまった水を跳ね上げて、セグレットは庭草の世話に専念した。

 世話を終えて部屋に戻ると、猫はどうやってか、すでに消えていた。ミルク全部と、餌が少し、減っていた。

 

 それから数日、猫とセグレットの関係は、そうして少しずつだけ近付いていった。・・・餌とミルクを外に出してやれば、いつの間にか、食べるようになっていった。

 

 ある朝。扉の外に一枚の蝶が留まっていた・・・そう、一枚(・・)()赤い蝶が。それは羽に伝言を書き留めた術で創られた蝶だ。そして、赤い蝶を使うのはトウである。

「伝言・・・? 珍しい。えっと、“試合”・・・? “今日”? “月の儀練地”?」

 その三言だけだった。・・・要約しすぎだよ、と思いながら言葉をつなげてみることに、“弟子の間で試合を開く。今日、月の儀練地にて”そういうことだ。

「いつも急なんだから・・・」

 不満があるわけではない。これは挑戦であり、機会だ。自分から誘いでもしない限り、まず巡ってはこないものだ。

 セグレットは庭先に生える草の中から一枚大きな葉を取り、それを先ほどの伝言の蝶へ変えた。ただし、この蝶は鮮やかな草の緑色だ。

「“月の昇る儀練地にてお会いすることを楽しみにお待ちします”・・・と」

 羽に書きはしないが、この言葉は、光る文字となって宙に浮くだろう。術には個人の技がある。

 

 “月の儀練地”はその名の通り、月の昇る頃にならないと絶対に見つけることの出来ない儀式場、練習場である。

「一番乗り・・・かな?」

 ぽつり、と呟くが、そこに笑い声がかけられた。

「ははっ! そんなわけ、ないでしょう!」

 あ、忘れてた・・・とセグレットは声の方向を振り向いた。

「フォウル。君の方が、いつも早いね」

「あら。忘れてた、とでもいうような表情をして、その言葉は何事? おだてても何も出たりしないわよ」

「いや、別におだててはいないけど、ね?」

「うるさいわねっ」

 フォウル・・・魔王の四番弟子の、少女である。会うたびに何かと兄弟子達に突っかかるが、その術は魔王の弟子としては上出来だ。

「なんであなたまで来たの? セグレット、あなた、術も大して使えず使い魔も持たないのじゃない。ここへ来て、私や兄弟子達と術練習をする価値があるの?」

 その言葉に、セグレットは浅くため息を一つ。反論は出来ない。それは本当のことだ。

「・・・価値があるかどうか、ではない」

 困った顔で黙り込むセグレットの横にすうと姿を現した人影に、二人は同時に目をやった。夜闇に紛れるような黒い髪・・・それは足首辺りまで長く伸ばされた絹のようで、一本にし、さらに輪を作ってくくっている。二人を見下ろす目の色は冬の湖水のように澄んだ濃い青。

「オネ、様・・・」

 フォウルが呟く。いけないところを見られた子供のように、しゅんとなる。そのフォウルに、一番弟子・オネが、いかにも年長者らしく声を出す。

「敬意を払え、とは誰も言わない。だが、言葉には気を付けることだ」

 それ以後、視線一つ向けない。気が付くと、トウもすでにいた。

 ・・・魔王の弟子は、全員で四人。久々の全員集合、である。

 

 月の儀練地の試合は一対一で行われる。日頃の成果を競うものなので、ある程度以上の攻撃はなし。術はいいが、使い魔の魔法はご法度だ。全ての試合は、この場では“月”へと捧げる。・・・その言葉の通り、視界いっぱいに大きく蒼い月が浮いている。

「セグレット、フォウル。・・・前へ」

 しばらくの間も待たず、オネがそう声を上げる。黙って進み出る二人。フォウルはオネに叱られ出鼻をくじかれたかのようであったが、相手がセグレットと聞いて意気込んだ。反対に、セグレットは少し憂えた。

 青の魔王の四番弟子・フォウルは、兄弟子達の中で一番セグレットを目の敵としている。その理由、それは全員わかっている。

 青を宿した髪と目。フォウルは、青の魔王の弟子ではあるが身体のどこにも青の色彩を帯びていない。青に準ずると言われる黒の色彩も、持っていない。その髪は対極の赤。目は薄茶。可憐な容姿は、セグレットより少しだけ年下か。だがその術は、セグレットよりはるかに強い。オネのような術の正確さもトウのような鋭さもないが、フォウルの術には強度があった。水がある場所ならば水の槍を、火がある場所なら火の檻を、風がある場所なら風の弓を作るような、臨機に応じた使い勝手の良さ。

「位置に。儀練地のしきたりを忘れないよう」

 オネがそう、釘を刺す。フォウルがこくりと頷いた。セグレットは頷こうにも、しきたりに反するほどの術も使えず、使い魔は・・・論外だ。

「・・・始め!」

 合図はトウが。向かい合った二人は同時に、動く。セグレットは右、フォウルも右。向かい合っているから、反対の方向へ飛んだことになる。同時に、二人は相手に向かって手を向ける。

 ぱっ!と光が散った。セグレットはまぶしそうに目を細めるが、すぐに次の手に移る。

 前に出したままの右手を、一瞬地へつける。そしてすぐ、上へと向ける。そこには予想通り、フォウルの姿が。だがフォウルも見越していたのだろう。もう一度目潰しの光を放ったセグレットの、その光の中心を射抜くように黒い夜の矢を放つ。光を侵食する夜の矢を見て、セグレットはすぐにその場から飛び出す。――途端、光が最後の力で爆発し、矢を巻き込んで消えた。

 セグレットはまた、地に右手を触れた。そしてその右手を今度は左手と合わせる。両手を離した時、そこには赤黒い火が渦巻いていた。セグレットはその火を掴んで、空中に放り投げた。火はすぐさま広がり、四方から迫っていた無数の夜の矢を焼き尽くしていった。

 その矢が止みきる前に、セグレットはまた飛び出した。身体の何箇所かを、矢がかすめ過ぎていく。そして矢が向かってくる前に、もう一度地に触れた。

 ・・・作られたのは、三角の形。瞬間、それは線を結び、光の壁を描きだした。その中心にそのまま、フォウルを捕らえて。

「今回は、ぼくの勝ち・・・かな」

「・・・まだ、よ」

 フォウルは中空に捕らえられたまま、冷静に声を出した。その声に、はっと気付いた時にはもう遅い。背後から、わざと打たずに残したままだった夜の矢が、向かってきてセグレットの足と腕に突き刺さったのだった。

 矢は、刺さった瞬間溶けた。痛みは瞬間駆け抜けて、その後は絶え間ない断続した痛みになった。

「・・・フォウル、“月”に勝利を捧げるがいい」

 そこまでを見て、オネは静かにフォウルへ目を向け、フォウルは言われるまでもなく“月”に向かって祈りを捧げた。

 その様子を見ながら、セグレットはふ、と息を吐き出した。トウがいつの間にか近くまでやってきて、何も言わず治癒術をかけた。

「あ、ありがとうございます、トウさん」

「いや・・・それにしても、全く・・・」

 トウは、どこか怒っているようだった。セグレットは視線を落とし、俯く。

「・・・ごめんなさい」

「別に、怒ってるわけじゃあ・・・ただ、どうして最後の最後にいつも手を引くのか、それが不可解なんだ。誰相手でも、そうだな?さっきのようにいい所まで持ち込んでも、なぜか勝てない。全く、なあ・・・」

「・・・やっぱり、怒ってませんか?」

 そう訊ねる間に治癒術は終わっていた。血は失った。だがまた創られる。傷も痛みも消えた。残るのは、自分の未熟さ、その報い。

「・・・トウ」

 トウがセグレットに返事をする前に、オネが声をかける。トウは言葉を断ち切り、一つ頷いた。オネの横に立っていたフォウルがセグレットの隣に立つ。

「位置に。儀練地のしきたりを忘れないよう」

 通常、勝った者が口にするこの言葉。先ほどはより兄弟子であるオネが、二人へ訊いた。

 オネもトウも、頷くことはない。ただ、二人の間に緊張が高まっていく。

「・・・始め!」

 そう声を上げたのは、先の戦いで負けたセグレット。これもまた、しきたり。

 言葉の余韻が消え去るかどうかというところで、同時に、オネとトウが地を蹴る。一直線に相手へ向かって走り、突き出した手の平を打ち合わせるように。

 オネの強烈な真白い光が、トウの原彩色の赤い炎と向き合う。互いに互いを相殺し、また生まれるように、ぶつかりあう光と炎。

「・・・色が違うわ。すごい」

 ぽつり、と横で呟く。フォウルは食い入るように、オネとトウの術を見つめている。セグレットはといえば、見てはいるが、正直言ってレベルが違う。自分より格段に術が上手いとわかるだけで、はたして自分の術がどれほど劣ったものか、貧困なものか理解してしまうだけで、感嘆するきっかけも掴めない。最初は感嘆し感動し自分もあのようになりたいと意気込んだものだが、最近はそうでもない。ただ、自分の出来ることを出来る範囲でしよう、と思うようになってきた。

 オネとトウの力の押し合いは、唐突に終わった。二人は瞬時に距離を取り、オネは赤く燃える鞭をしならせ、トウは月の色のように艶やかな矢を放つ。同時に、二人は互いの攻撃を防ぐための盾を作り、遠距離で術を競い合う。

「すごい、すごいわ! ・・・ん? あれ、何かしら?」

 そこで、興奮しながら戦いを見入っていたフォウルが、いぶかしげな声を上げる。セグレットもその視線を追って、目を細める。

・・・二人の戦いの最中の中空に、何やら、次元が渦巻いている。

「・・・召、喚?」

「いえ・・・そんな感じじゃ、ないわ。穴が開いた、って感じよ」

 言われてもう一度目を凝らせば、確かに、それは自然に生じた穴のように思える。ごく小さな次元のひずみは特別珍しいものではないが、セグレットはしばらく見つめて、見つめ続けて、その次元の穴からこちらへ引きずり込まれている何かに気付いた。そして、顔色が、ざ、と引いた。

「・・・セグレット?」

 フォウルが眉をひそめて呼びかける。

 ・・・ちょうど、その時オネとトウは互いが互いの技を打ち消しあうための巨大な術を練り、同時に放つところだった。

 セグレットはそれを見て、間髪入れずに飛び込んだ。・・・二人の術の中間地点。ぶつかりあう、その場所へ。瞬時に現れたセグレットに対し、オネとトウは気付いたがもう遅い。術は、ほんの数瞬前に放たれたばかりだった。

「セグレットっ!」

 トウが叫ぶ。オネは静かに、別の術を紡ぐ。

 ――そして、衝突。威力は相殺され、オネもトウも、離れた場所にいるフォウルにも影響はない。だが、ぶつかったその瞬間にいた場合、どうであろう。きっと、怪我どころでなく、死ぬだろう。そう、思わせる衝撃。

「セグレットっ! 大丈夫か?!」

 トウが慌てて呼びかける。オネがそこで、紡いでいた術を使う。衝突で生じた波をなだめる、静かで透明な、水で創られた波。それは波動のように広がって、誰一人、何一つ濡らすことなく場を正常に戻していった。

「・・・ど・・・して、今日に限って城内をうろついてるのっ?! 危ないでしょう、アル!」

 セグレットは怪我一つなく、その場に座り込んで何かに怒鳴っている。手に持っている何か・・・見慣れない、蒼い毛並みをした猫。

「危ないのは・・・どっちだ!!」

 トウがセグレットの後ろまで迫って、その頭をがんと殴った。

「ちょっとは考えて行動しろっ!治癒術は使えても、蘇生術は魔王以外には使えないんだからっ!!」

 そこで我に返ったように、セグレットがトウを見る。

「あ・・・ごめん、なさい」

 セグレットはしゅんとし、視線を下に落とす。そこに、オネが声を出す。

「それは・・・お前の使い魔か」

 セグレットは小さく頷き、両手で蒼い毛並みの猫を抱き上げる。猫は、逃げなかった。じっと抱かれるままになっていた。

「はい・・・オネさん。魔王様からいただいた、僕の使い魔です。でも、まだ名前も決めてなくって・・・」

 そこに、フォウルがぽつりと聞く。

「決めてないって・・・さっきあなた、名前を呼んだじゃない。“アル”・・・って」

 言われて、セグレットははたと思い返す。そういえば、自分はさっき、そう、使い魔を呼んだ。

「あ・・・」

「付けてはいなかった、ってだけで、決めてはいたんじゃないのか?」

 トウに訊ねられて、セグレットは迷いながらも頷く。・・・そう、決めていた。初めて見た時、名前を決めろと青の魔王に言われてからずっと、付けるならその名前だと思っていた。理由などない。直感だ。そして魔王や兄弟子は・・・直感を大事にしろ、といつもセグレットに教えている。

「・・・自分の使い魔の世話と管理くらい、けじめをつけてやれ。トウ、今日は私が勝利を捧げさせてもらう」

 え、なんでだよ、まだ決着は着いてないだろう? とトウが声を上げる。オネは黙って後ろを指差す。トウはくるりと振り返り、苦々しげに顔を歪めた。

 ――宙に浮いた、白い槍の先。それはトウの身長ほどもある巨大な切っ先で、狙いはぴたり、とトウに定められていた。

「・・・あー、全く。抜け目がないよ、お前は・・・」

 トウはそう言って、ため息をついた。

「あ、あの・・・ごめんなさい、トウさん。ぼくが飛び込んだりしなければ・・・」

 セグレットが顔色を青くしてそう言えば、オネが鋭い声で切り込む。

「そう思うのならば、後悔などしないようにしろ」

 今日はこれで終わりだ。試合の決着はついた。

 オネはそう最後に言葉を紡ぎ、後一つ残さず掻き消える。それを合図にするように、フォウルもまた消えた。トウはセグレットの腕をつかみ、有無を言わせず儀練場を後にする。

 視界がはっきりすると、セグレットは、自分の部屋の前にいた。

「トウさん」

 トウが送り届けたのだろう。セグレットは、ありがとうございます、と礼をする。トウはため息を一つつき、セグレットと、その腕に抱かれたままの蒼い毛並みの猫の頭にぽんと触れる。すると、今まで大人しくしていた猫がいきなり牙をむき、トウの腕に爪をかける。

「こ、こら! ごめんなさい、トウさんっ!」

 フーッ、と威嚇する猫に怒りながら、セグレットはまた青くなる。トウは苦笑しながら平気だと首を横に振り、ふ、とその場から消えていった。

「・・・お前、名前、アルでいいの?」

 猫は、何も言わない。ただ、部屋の中へと進み出て、セグレットが用意していた寝床の中にもぐりこんで、くるりと背を向けただけ。

 セグレットはその背を見て、ふわ、と笑った。

「・・・おやすみ、アル」

 

 ――不機嫌な猫は変わらず不機嫌なままであったが、せめて自分の寝る場所くらいは、決めたようだ。




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