魔王の弟子の物語 〜Tales of the Dragon's Pupils〜

二話   訪問・異界





 おかしなものを見つけた。セグレットはそれを見て思い出そうとするが、思い出せない。その紋章が何だったかを。ただ、それは昨日までなかったものだとはっきり言える。これほど目立つ紋様ならば、見逃しはしまい。

 巻貝をさらに複雑にしたような、そんな形。どこか、禍々しい。そうは思うがどうすることも出来ず、見逃した。

 それは、過った判断。後、気付く。

 

 燦と降り注ぐ太陽の光は強く、庭木がしおれてしまっている。術で水をやる。淡く小さな青い花がそこらにつき、静かに鮮やかに主張する。

 実を言うと、世話はしているが名前は知らないのだ。・・・セグレットは、人界の文字が読めない。本を読んでも、挿絵くらいしかわからない。もっとも、人界に限っての話ではあるが。

 静かな時間。そこに、久しく聞いていなかったかすかな鈴の音が響いた。

「あ・・・三の門が・・・?」

 来客を告げる鈴の音。城に入る門は多くあるが、セグレットが対応するのは三の門だけである。一、五の門はオネ、二の門はトウ、四の門はフォウルが、外界と城をつなぐ架け橋となっている。

 三の門が続く先には、遠く人界がそびえる。この青の魔王の城へ人が訪ねることは珍しい。セグレットはそう思いながら、三の門の方角へとゆっくり歩いていく。その隣に、当然のようについてくる蒼い毛並みのメス猫・・・アル。大分慣れてきたのか、ともにいる時間が増えた。

 光が溢れる。立ち止まったら吸い込まれそうに、ふわりと柔らかい。どこかぼんやりしながら、セグレットは歩いていく。魔王の城。そこには常に静寂がつきまとう。だから、こうした光や闇でさえ、音を持って飛び交っている・・・そのことを意識するのだ。

「あれ・・・」

 三の門の前に着き、声を上げた。

「フォウル?」

「・・・遅いわよ」

 三の門の前には、赤い豊かな髪房を、ばさり、と背に弾いて、フォウルが立ちはだかる。こうして、何かとつっかかる。セグレットは苦笑をもって応える。

「・・・どうしてここへ? 君は四の門だろう?」

 その言葉に、フォウルは冷たい視線を向ける。

「偶然通ったのよ。外から人間がノックしてるのだもの、前を通りかかったら、いやでも気付くわ」

 そして、ここを開けられるのはあなただけなんだから早く開けなさい、と急かす。セグレットはゆっくり頷き、門の前へ立った。

 ――門、という名の茨である。漆黒の花をそこらに咲かせ、茨は余すところなく絡みついている。

「・・・いつでも、草ね」

 フォウルが門の茨を見つめ、呟いた。根元に近付けば、花だけでなく茨の色までも漆黒だ。黒は青の次席に位置する色であるが、影を固めたようなそれはあまりに静かに咲いていて、背筋にぞっとしたものが走る。

「まあ・・・ぼくのとりえといったら、これくらいだから」

 セグレットはさびしそうに微笑する。そしてその手を、つ、と茨の中心へと伸ばす。棘で傷つくのも構わず、セグレットは茨の中へ手を分け入らせる。フォウルは少し離れた場所に立ち、その様子をじっと見つめた。

 やがて、セグレットの手が止まる。そして何の合図もなく、門の表面から茨が移動し始めた。ざわざわと、まるで生き物のように。・・・茨が完璧に引くと、そこには、茨に傷つけられた手を小さな赤い石の上に置いた、セグレットの姿のみ。す、と手を戻す。門は一人でに開き始める。

「フォウル、下がって」

 セグレットは傷ついた手に素早く治癒術を施し、フォウルとともに門から十分な距離をとる。門の向こうに待つ影が入ってくるのに任せる。

「・・・!」

 そして二人は、同時に息を呑む。

 ずる、り・・・。そんな音とともに、姿を見せた影は、人間のものではなかった。

「セグレット・・・あんなもの、入れて平気なの?!」

 フォウルが顔色を青くする。セグレットは、まだ門に半分しか入り込んでいないそれにぎこちなく微笑みかけた。そして、す、と右手を挙げそれをぴたりと指差した。

「この城へどうしても入りたければ、見てください。ほら・・・」

 すすす、と指をずらしていく。それは、セグレットの指先の動きを見て、石像を無理矢理動かすように、首・・・に当たるらしい場所を、向けていく。その間にも、門から中へと入りながら。

「ほら・・・見てください」

 そしてもう一度言う。セグレットの指先が、完璧に門の横の壁を指す。それはその動きを完璧にトレースして・・・いきなり、崩れ落ちた。ずしゃ・・・と鈍い音が、響いた。

「・・・」

 セグレットは動かなくなったそれ・・・赤黒い土の塊に近付いて、かがみこんだ。フォウルが遅れて、その後に続く。壁を見ると、そこには大きな鏡がかかっていた。・・・鏡に映った自分を見て、形が保てなくなったのだ。そう、わかる。

「・・・何、これ」

 フォウルが訝しげな声を出す。赤黒い土の山もそうだが、その中からところどころのぞく白いものが気になる。セグレットは無言で、その白いものの中の一つをつまみあげた。他の白とは質感が違う白だ。

「手紙・・・だね。魔王様宛、みたい」

「魔王様宛・・・? 人間から?」

 フォウルが眉を吊り上げる。その彼女に、セグレットは真っ直ぐその紙を差し出した。

「フォウル、オネさんのところへ持っていって。指示を仰いで」

 セグレットは淡く、微笑。フォウルは一言もなく、その紙をとって後ろを向く。どうも、セグレットに命令されたのがいやらしい。背を向けても、十分伝わった。

 その姿が見えなくなってから、改めて土の山へ手を伸ばす。・・・ほんの少し触れただけで、びりっ、と痺れる感覚がある。横でじっとしていたアルが、セグレットの手を引っかく。手を出すな、と言いたいらしい。優しく笑って、大人しく手を引っ込める。

「アル、ちょっと待ってて」

 そう言い、一番近い扉を開けて入り込む。手近にあった硝子の箱を持つと、また外へ出る。土の山へと手をかざし、その手をゆっくり動かしていく。

 ばらり。そう解ける音が聞こえるように、粗い塊であった土はさらさら流れる砂になり、まばらに点在する白は塩の結晶のようになった。もう一度手をかざし、流れを箱の中へと導いてやる。砂は混ぜあいながら箱の中へさらさら積もっていき、最後にセグレットは蓋を閉めた。

 そこでつと目を上げる。・・・一度は消えた茨がまた戻り始めている。完璧に絡みつき、小さな赤い石が見えないようにその中にしまいこむ。茨はまた、凄まじい速さで漆黒の花を咲かせていく。決して枯れないそれは、セグレットが創った封印だ。

 門はまた、閉じる。・・・開けるためには、この血がいる。

 セグレットは後ろを向き、硝子の箱を両手に抱えて、門を後にして歩いていった。

 

 扉の外に聞こえるほどの大声は、この静寂の城には珍しい。セグレットは扉の外に立ち、そう思う。

「なんで、フォウルを行かせた?!」

「何を焦る、トウ。あれは魔王様宛のものだ。魔王に渡して、何が悪い」

「そういうことじゃなくてだな・・・土くれが中に入れていたような代物を、ろくに確かめもせず魔王様へ届けるか?」

「だから、言っているだろう。あれは、魔王様への手紙だ。どうやって確かめるというんだ。封を切るか?弟子風情が、そこまで出張っていいとでも?」

「そうじゃ、なくてな・・・?!」

 平行線をたどる会話。けりがつくまで待とうかとも思ったが、セグレットは結局扉をノックした。

「オネさん、トウさん。セグレットです」

 そう静かに呼びかければ、中の二人はほんの一瞬の沈黙の後、

「入れ」

 と同時に答えた。失礼します、と扉を開け、中に入りまた閉める。

 振り向いた先に、二人の兄弟子の姿。湖水の青が厳しく冷たく、セグレットを射抜く。

「何だ」

 ごく簡潔な問いにセグレットは頷いて、抱えた箱を差し出す。

「・・・これは?」

 土くれです、と短く答え、トウの手にそれを受け渡す。

「土くれというのは・・・」

「魔王様宛の手紙を内包していた、土くれです」

 オネが静かに、蓋を開ける。中に詰め込まれた砂となったそれを見て、かすかに眉を寄せる。トウはフォウルと同じように、なんだこれ、と呟いた。

「・・・呪術です」

 そこに落ち着いた声。オネとトウが、同時に目を向ける。セグレットが、悲しそうに微笑している。

「生まれたばかりの赤子の骨とその血を使ったものです。赤子の骨に、その血を糊とした土をつけて形を作っていく。赤子の魂は言いなりに従うでしょう。こうして形を崩しでもしない限り、何度でも動く。・・・そういう呪術です」

 ・・・赤黒い土は、赤子の血を含んだ肉だ。だが、この大きさとなるとその血だけじゃ足りないだろう。他の生き物のものも混ざっているかもしれない。そしてその骨は、檻のようなものだ。名も無き赤子の魂を包み込んだまま。

「呪術、か・・・」

 トウが、ごくりと唾を呑む。オネはただ真っ直ぐその砂を見ていたが、はらり、と空中にばらまき、火をつけた。青い炎が上がり・・・すぐに、消えてしまった。

「・・・オネ。俺は、あの手紙に何が書かれていても、全部偽物だという確信が、ある」

 トウは呟き、硬く拳を握り締めた。

 

 後日、青の魔王がセグレットを呼び出した。アルはつれていかないことにして、急いでかけていくと、魔王の間へつながる大きな重い扉の前に、すでにトウが待っていた。

「トウさん。・・・魔王様へ呼ばれたのですか?」

「ああ。お前もか、セグレット」

「はい」

「・・・じゃあ、お前と二人の用事だな。この間の手紙のことだと思うが・・・何が書いてあったと思う?」

「さあ・・・わかりません。でもきっと、この後お話になってくださるでしょう」

 二人の会話は、そこで途切れた。二人がそろうのを待っていた扉が、音も立てずに中へと開く。二人はその、真っ暗な部屋へと入った。扉がまた、音もなく閉まる。

「魔王様、二番弟子・トウ、参りました」

「同じく、三番弟子・セグレット、参りました」

 二人がそう声を出すと同時に、ふ、と室内に明かりが灯る。光源はない。ただ、明かりだけが灯る。

『・・・この前の、人界からの手紙のことだがな』

 出し抜けに話が始まるが、いつものことだ。青の魔王は、弟子達の話を聞くことは好むが、自ら必要のないことまで語るのは好まない。こんな時には、用件だけを伝える。

「はい」

『トウ、セグレット。お前達に、人界へ下りてもらう。・・・下等な呪術師風情が、この魔王と対等な関係を持ちたいと言ってきた。信じられないことだが・・・。それに、近隣の民に悪しき呪術をかけているようだよ。これでも、土地の王だからね。放っておくわけにはいかないなあ・・・』

 トウはその言葉に、ややも待たず頷く。セグレットは困ったような顔で魔王を見るが、いかんせん、その顔を見ることはできない。青い着衣だけが、目に映る。

「魔王様・・・ぼくではなく、フォウルの方が・・・」

 いいのでは、とセグレットは提案する。トウが険しい目で見るが、セグレットはその視線に気付かず、魔王だけを見つめる。魔王はそこで、くく、と笑った。大きな手でセグレットをなで、優しく語る。

『セグレット・・・魔王の言葉は、絶対だ。お前は主の采配を、信じないのか?』

「いえ、そんなことは・・・!」

 慌てたセグレットは首をぶんぶんと振り、それから、小さく頷いた。

「行かせていただきます」

 ふ、とトウを見ると、どこか呆れたような目をして・・・少しさびしそうに、その目を細めた。

 

 まずは、説得をする。魔王の弟子としての力を見せつけ、しいては魔王の力を見せつけ、逆らわぬよう、従うよう、こんこんと諭す。そして、呪術を使わないよう言い置く。

「セグレット、離れるなよ」

 トウの手を握りながら、セグレットはその背中だけを見てついていく。この手を、離してはいけない。この世界を、凝視してはいけない。まだ、このようには歩けない。

 トウの肩には、青い鳥が一羽とまっている。頭の先から、濃くなり薄くなり、寄せてはかえす波をそのまま切り取ったかのような、青一色の極彩色。様々な青を、いくら重ねたらこうなるのか。“青”の一言では片付けられないその色に、しばし目を奪われる。

 ――次元の道。トウは、使い魔のティーヴの魔法でこの道を通る。

 セグレットは時に、引かれた手の感覚を失いかける。そこではっとして手を強く握る。握り返すトウの手の感触にほっとしながら、歩き続ける。

 意識が、目の前ではないどこかへ飛ぶ。何か嫌な予感が駆け抜けている。何かが腑に落ちない。いや・・・忘れている?

 何かひっかかる、その感覚。セグレットは思い返す。

 赤黒い土。骨。赤子の魂を用いた呪術。手紙。中身は?魔王への宣戦布告。魔王が行かせた。なぜ。――そう、なぜ・・・?

 人間一人、放っておけばいいのだ。わざわざ出向くことはない。青の魔王が弟子達を人界へ行かせる、そこには何がある?

「・・・試練、だ」

 セグレットは呆然と呟いた。

「・・・何?」

 トウが訝しげに顔をのぞきこむ。セグレットは青くなり、つじつまを合わせるように考える。

 ――青の魔王は、時に自身の身を危険にさらしてまで弟子達へ試練を与える。城を囲う結界を弱め、内部へ敵を入れてみたり。太古の魔性を復活させたこともある。フォウルが弟子になったばかりの頃に起きた四の門の火事も、きっと魔王がやったのだ。

 弟子達への愛情。青の魔王は、傍観するだけ。一歩間違えば破滅、のぎりぎりの線で危険を引き寄せる。弟子達のため、と。

「ト、ウさん・・・戻らないと!」

 引きつる声。なんで気付かなかったのか、と不甲斐なさに腹が立つ。

「どうしたんだ、セグレット。魔王様が言ったじゃないか。呪術師の元へ行け、と」

「それは、罠です・・・!!」

 沈痛な声で、セグレットが叫ぶ。向き直り、走る。するり、と手が外れた。

「セグレット、止まれ!」

 トウが叫ぶが、止まらない。手が外れたことに、気付いていないのだ。もう一度呼ぼうと口を開く。それとほぼ同時に、セグレットの姿がかき消えた。

 トウは真っ青になり、眩暈がするかのように、くらり、とよろめいた。

 次元の道は、どこかへつながる。・・・それがどこか、わからないだけで。

 

 奇妙に明るい。どこか暖かい。セグレットはそして、ふと立ち止まった。

「・・・魔王、様?」

 確かにわかった。だが、そこは見慣れぬ場所だ。

 どこか城のようなものの一室ではある。青を基調とされた室内ではなく、その色は果てなく赤い、が。

「・・・赤? まさか」

『そうだね、迷い子。俺が引き上げたのさ』

 その声に、セグレットはびくりと背を震わせ・・・おそるおそる、振り向いた。

『そんなに驚かなくても・・・。青と反するのは、白だ。知ってるだろ?』

 ・・・赤い着衣。やはり、顔は見れない。視線がさ迷うように室内の多くの赤へと向いていく。

「赤の、魔王様・・・」

 戦慄が背筋を走る。セグレットは今、赤の魔王の元へいるのだ。

『そうだね、俺は赤の魔王さ。迷い子、名前は?』

 あえぐように声を出し、セグレットです、と告げる。赤の魔王はその緊張をほぐすように、小さく笑った。

『セグレット。次元の道は早すぎたんじゃないか? 通り抜けられず、迷ったのか・・・。それとも、兄弟子とでも一緒だったか』

 言葉に出さずとも、わかるのだ。セグレットが返事をしないでも、赤の魔王は笑って。

『さて、俺に何を望む?』

 赤の魔王は、そう、わかっているのだ。セグレットはあえぎ、また言葉を搾り出した。

「・・・青の魔王の元へ、帰してください」

 お願いします、と頭を下げる。赤の魔王はしばらく笑い続けていたが、す、と手を伸ばしてセグレットの頭をなでた。

『そんなびくびくしないでも、帰すよ。ただ・・・礼をもらおうかな』

 そう言われて、セグレットは不安に揺れる瞳を赤の魔王へと向ける。赤の魔王が、す、と両手を伸ばす。硬くなったセグレットをあやすかのように背をなで、その髪に触れる。緩く一本に縛られた青の髪。ざくり、と音がして、ばらばらと顔に落ちかかる青。

「あ・・・」

 軽くなった頭に、ゆっくりと手を置く。髪を手で梳く。肩ほどの長さに、なっていた。

『この色彩・・・。まあ、本当だったら青のところの四番弟子が欲しいんだけど・・・対価は本人からしか受け取らない主義だからさ。これでいいよ』

 ざ、と風もないのに切られた髪が、赤の魔王の手の上でふわりと浮いている。

「・・・ありがとう、ございます」

 唇を噛んで言葉を封じる。頭を下げ、顔を見られないように。赤の魔王が笑う。

『髪は伸びる。軽いものさ』

 そう言って、赤の魔王は声を立て、また笑う。その笑い声を聞きながら、セグレットの視界は一瞬揺れ動いた。

 ――柔らかい草の感触が足の裏から伝わる。ふわり、と明るい光が差し、眩しい。

「庭・・・」

 何よりも見慣れた明るい日差しの下、緑に光る絨毯と小さな青い花の群れ。

 一瞬見とれる。よく慣れたところだからか、それともここが、セグレットのいるべき場所だからか。涙腺が緩んで泣きそうになるが、そんな場合ではないと頭を振って走り出す。

 ――巻貝を複雑にしたような紋章。四方に置き、一気に発動させることで敵陣を内部から打ち砕き、侵入をたやすくする。“侵入の紋章”と呼ばれるものだ。高度で古く、書物の中だけの術だと思っていた。だから、忘れていた。忘れていたのだ・・・気付いていたのに。

 もし紋章が発動したら、止められない。セグレットはオネの部屋を、ノックもなしに開け放つ。ばっ、と中にいた人影が振り返る。

「セグレット!」

 二つの叫び声。トウと、フォウルの声だ。オネは、無事だった、と安堵するトウの横を通り抜け、セグレットの短くなった髪をつかんで引っ張る。

「い、痛いです、オネさん!」

 叫び、反射的に目に涙を浮かべる。それを冷たく見下ろし、オネは手を離した。

「・・・髪をどうした」

 離してから聞く。セグレットはおどおどしながら答えて、俯く。

「あの・・・赤の魔王様に、対価として差し上げました」

 赤の魔王、その言葉は強烈だった。室内に、重い沈黙が落ちかかる。

「あ! あの、それどころじゃ、ないんです!」

 セグレットははっと気付き慌て、オネの服の裾を引っ張った。

「・・・なんだ」

 不機嫌な声に、セグレットは一度唾を呑み込んで、はっきり知らせる。

「“侵入の紋章”が張られています!」

 オネが、珍しくもはっきり表情を変える。どこだ、と尋ね先に立って出て行く。

「こっちです!」

 セグレットはその前に走り出る。オネは一度、トウとフォウルを振り向いて、お前達も来い、と厳しい声で告げた。

 

 複雑な図形は、解術の時にできる限り時間をかけさせるためだ。禍々しさを感じるその図柄は、核に近付くほどに入り組んでいく。

「・・・セグレット、解き方は」

 オネが聞く。こうした方面の知識では、セグレットの右に出る者はいない。

「はい。まず、紋章の横に対称になるように線を写します。そのまま空中で回転させ、重ねます。もう一度、紋章を上下左右逆に描きます。今度は紋章の上に直接描いてしまって構いません。最後に、横一文字に紋章を破壊します。・・・ただし、四箇所あるはずです。横一文字に切る時は四つを一気にしないと、誰か一人に大きな負担がかかります」

 よどみない言葉にフォウルは呆然とし、セグレットの話を参考にオネがトウと相談するのをただ見ていた。

「フォウル。城の北西へ行き、紋章を見つけろ。お前にもやってもらう」

 オネが淡々と告げる言葉に、フォウルは、できないとは言えなかった。きっぱりと、だが不安そうな顔をしながら頷く。セグレットが一つ、忠告をする。

「フォウル、絶対に、一人で先に横一文字を切っちゃダメだ。絶対だよ、いいね!」

 いつになく強い口調で話すセグレットに、フォウルは素直に頷いた。そして思い直したかのように、何度も言われずともわかってるわ、と憎まれ口をきく。その間にも、オネとトウはそれぞれの持ち場へ向かっていた。フォウルも一歩遅れて向かう。

 四方に配された紋章。・・・少なくとも、解術するために四人の力が必要だ。

 

 セグレットは、血を使う。オネやトウは各々創ったインクがあるだろう。フォウルはないかもしれないが、元々は人界の者だ。紙に文字を書くインクを持っていないわけはないだろう。

 ――血液は、強い媒体だ。ただし、消耗が激しいのも事実。兄弟子達はいい顔をしない。

 先程説明した通りの手順を、自らなぞる。複雑な図形だ。慎重に描く。汗が、つと伝い流れる。上下左右逆の紋章を重ねると同時に、それは淡く発光し始めた。

「オネさん、トウさん、フォウル。終わりました」

 声に出して言う。しばらく経ち、オネとトウからも同じ返事が返ってくる。フォウルからはまだだ。待つうちに、発光した紋章が震え始めた。・・・起動、するのだろうか。冷や汗がまた、流れて落ちる。

「・・・フォウル!」

 呼び声が聞こえたように、フォウルが叫んだ。

「終わったわ!」

 セグレットはオネの合図で横一文字を切ろうと、した。だがふと思う。この紋章は、強力だ。フォウルの描いた反紋章は、果たして耐えうるだろうか。そして、フォウル自身は?

 ――瞬間、判断が遅れた。セグレットは他三人より少しだけ遅く、横一文字に紋章を破壊した。

 

 圧力のようなものがのしかかり、トウは歯を食いしばって耐える。しばらくして、それは消えた。後には、倦怠感のようなもののみが残った。

「・・・オネ!」

 成功、した。トウはオネのところまで飛ぶ。オネは涼しく見える顔で、紋章を切った後の傷ついた壁を見ていた。声に反応して、顔を向ける。

「トウ、無事か」

 抑揚に欠ける声。だが、その目が語っている。想像以上の力のかかり方・・・青の魔王の一番弟子・オネですら、うっすらと額に汗を浮かべるほどである。他の弟子達の心配をしないほど、彼は薄情ではない。

「ああ、俺は・・・。セグレットと、フォウルは?」

 その言葉に、オネは何かしら考え込む。顔を上げると、言った。

「フォウルのところへ行ってやってくれ。私はセグレットのところへ行く」

 トウは黙って頷き、今度は歩いて去っていった。

 オネは静かに身を翻し、南西の方角・・・セグレットが一番初めに見つけた紋章のところへ向かう。そこには、地面にへたり込んだセグレットが、荒い息をついていた。

「・・・セグレット」

 呼びかけると、セグレットはぼんやりと目を向けた。顔から血の気が引いている。息が不規則に荒いのを見て、オネは眉を寄せる。ふと、その指先から滴っている血が目に入る。壁から床へと、尾を引き流れている。いまだ止まっていないらしい。小さいが、血だまりができている。

 無言で近寄ったオネは、その手を包むようにして治癒術を施す。冷たい。オネは小さいため息をつき、同じ高さからセグレットの目を見つめた。

「・・・血は、使うなと」

「言われ・・・まし、た。でも・・・」

 セグレットは焦点が合わないのか、目をしばたかせる。オネは、質問を変える。

「ならば、一人遅れて、横一文字を切ったのは、なぜだ?」

 セグレットはしばらく黙り続け・・・話そうと口を開く。呼吸の合間にしぼり出すように、言葉を作る。

「フォ、ウルが・・・耐えきれ、ない、かと。それと・・・なにか・・・」

 理由は一つではないようだが、他の理由はわからない。その返答を聞いて、オネは少し表情を和らげる。

「・・・肩を貸そう、歩けるか?」

 セグレットは歩こうと足に力を入れるが、ずるり、と身体がへたってしまい、前に進まない。オネは仕方なく、その身体を抱き上げる。・・・軽いものだ。セグレットが何年生きてきたとしても、身体は人間の子供・・・十代前半ほどしかないのだ。

「ご、めんな・・・さい」

 セグレットは謝るが、まともに話せる状況ではない。オネは静かな声で、

「・・・少し休むといい、セグレット」

 そう語りかけて・・・セグレットの意識は、そこでぶつりと途切れた。

 

 セグレットが完璧に回復したその日、オネはセグレットを呼び出し説教をくらわせた。なぜか横にはトウもおり、兄弟子二人は、日が暮れるまでひたすら、セグレットに説教しとおした。

 また余談だが、その時オネは、極寒の中のように冷たい瞳でトウ、セグレット二人に向けて、人界の呪術師の件は自分が片付けておいた、と告げた。騒ぎに乗じて忘れ去っていたが、仮に侵入の紋章を張ったのが白の魔王だったとしても、土くれのそれとはまた別問題である。魔王とその弟子が、低級な呪術に手を出す価値はない。人界の呪術師の仕業であることは明白だ。これもまた、早急に措置すべき事柄であった。・・・その冷えた目に、トウまでも固まりかけた。

 またフォウルは、兄弟子三人全員に、術ばかりでなく本も読め、と怒られてしまったのだった。

 

 ともあれ、これで四番弟子・フォウルも知ることとなる。

 青の魔王の、試練。一歩間違えば奈落の底、といったそれは、危険の一言では片付かないほど危うい。常に目を光らせ、五感を研ぎ澄まし、どんな些細なことも見逃さないこと。それが、魔王の弟子として彼らが鍛えるべき、事柄だ。




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