二話 薬学部と野生植物科間の伝統
クラウンがご機嫌な時は、問題行動を起こす可能性も上がっている。 「二人に紹介するね。彼はイプサム。今日からこの部屋の四人目の住人だよ」 「・・・おい、聞いてねえぞ、んなことは」 「まあ・・・言われてないからな」 驚きに顔を引きつらせたエスクードに対し、エリオは呆れたように嘆息するのみ。今日の朝、クラウンが誰よりも――自分よりも早く起きていた時に、何かあるなと予測はしていたのだ。まさか人間をつれてくるとは思いもしなかったが・・・。 「クラウン。俺達を、特にエスクードを驚かそうとするのは、まあいいことにしてやる。どうせ何言っても無駄だしな。けど・・・、俺も初対面で誰かを狼狽させたりしたくはないんだ。せめて当人にくらい、計画を伝えておけ」 そう言い切ったエリオにエスクードは不満を表すが、あっさり無視。エリオの視線は、クラウンの背後にたたずみやや混乱した表情を浮かべている長身の彼に向けられたままだ。 炎の明かりに映える髪は木々の影と同じ暗緑色。瞳も髪と同じ色で、背は高いが、色彩的な派手さはない。というよりも、この場の他三人が多くの意味で目立つだけだが。 イプサム、と紹介された彼は、エリオの言葉にハテナマークで答えているクラウンの後ろから視線をやり、他二人に軽く会釈をする。 「俺も含めて、話が伝わっていなかったようで失礼した。食品学部野生植物科三年、イプサム。時期外れだが家の都合で寮に入ることになり、この部屋が空いていると、クラウンに誘われた。・・・迷惑ではないだろうか」 確認として聞いていることは明らかだ。イプサムは二人にうかがうような様子は全く見せず、もし嫌だと言う者がいれば何も言わず去って行きそうだ。 「いや・・・別に。好きにしたらいい」 エスクードが答え、イプサムは視線を一箇所に固定する。すなわち、エリオへ。 「・・・俺が思うに、エスクードとクラウンよりは、よっぽど迷惑をかけなさそうだ」 よって、拒否する理由はない、という回りくどい表現に、エスクードは殺気立ちクラウンは笑い飛ばした。それもそうだねー! と大きな声が夜の中へ響く。うるさいっ! とエスクードの怒りが向けられる。それを静観する、当事者と新参者。 その夜、この部屋最後の同居人が来た。 朝の光はまぶしい。人気のない廊下にかつんと響く靴の音ですら、その太陽の下では照らされた音楽のように聞こえる。 薬学部校舎は二階建てで、薬草科と植物医療科のための温室が別に一つある。生徒数は一学年七十人程度で、六年生まで全て合わせれば四百人以上はいるが、日が昇って間もないこの時間に活動している者は少ない、というより数えるほどもいない。エリオは、そんな数奇なやつ、自分以外いないだろうなとなんとなく思っている。 それだけに、興味がわいた。 今日、新たな同居人のイプサムが、自分が起きるのと同時に、制服をかっちり着込んで部屋を出て行くのを目撃した。夜遅く、朝早い、そんな自分と同じ・・・いやむしろより早く学校へ行く者に出会ったのは、初めてで。 だからこそ、興味をもった。 それに、イプサムの所属は野生植物科。薬草を扱う者としては、随分と魅力的な響きではないか。 「・・・クラウンがつれてくるくらいだしな。実力は、確かだろう」 ぽつりと独り言。クラウンは、変人という言葉で表しきれるくらい変人であり、実力もある。主な武器は投げナイフで近距離型ではないが、その素早さと正確さを発揮した彼の狩りは見事の一言だ。どちらかといえば華奢なその体から、どうやったら骨を貫通するほどの威力を生めるのか・・・想像出来ないというよりしたくない。 食品学部と言えば、食材のためならたとえ火の中水の中、天国だろうと地獄だろうと・・・というイメージで大体合っているだろう。一見そうした危険とは関わりなさげな製菓科ですら、未発見の美味しいフルーツを探して岩山すら登るのだし。まして、“野生”とつくのだ。危険度の想像も難くはない。 にやりと笑みを浮かべる。機嫌がいいのを自覚する。 クラウンも、なかなかに粋なことをする。 時たましかない誉め言葉を心中に浮かべつつ、今日は何を創るかと画策。一日中何かしらを創り続けているエリオ、創るのを楽しんでいることは周知の事実だ。 午前が過ぎ、昼。 「エリオ、お昼行こ!」 三年生以上に学生五人につき一部屋与えられている研究室の、その奥の一角で薬草をすりつぶしていたエリオは、かけられた声に視線を上げることなく、 「ちょっと待て」 短く言うと、すった薬草をトレーに移して平らにし、日の当たる窓辺に置いた。このまま天日で乾燥させ、もう何工程かして整形すれば完成だ。 「何?」 「0093」 「風邪薬ね」 「ああ、需要があってな」 市での常連客に、風邪気味だから創っといてと依頼されたのだと、説明を付け足す。 「そっか・・・じゃあ、とりあえず終わり? ひと段落? お昼行く?」 もうちょっと待て、とさらなる静止を求められた声が、不満を表して唸る。えーまだー? ちらりとエリオが視線を向ける。 「じゃあ、先行ってろよ、クー」 後から行くと告げられて、えーやだー、またしても不満げな声。 落ち着いた薄紅色をした髪はエリオ同様腰元まで伸びて、綺麗に整えられてさらりと背に流れている。毛先が外はねなのは、クセだろう。瞳は橄欖石のごとく透き通った薄緑色、とはエスクードの鉱石を見た時からの感想。それより以前は、透明度の高いメロン色とか思っていた。 この部屋の五人中一人、クー。薬草科三年の少女である。 自分の他に四人いる同僚の中、何故か一番愛想の悪いエリオに懐き、ことあるごとに手伝いを申し出たり行動をともにしたりする。エリオも別に拒否するわけでなく、ごく自然に一緒にいる。そのせいか、周囲からは恋人同士に見られている傾向があるようだが、本人達は一向に気にしない。 「ダメだよ。エリオ、放っておくとご飯も食べずに一日中薬創り続けるもん。食事は基本! 頭も体も働かないよ!」 苦笑。よくわかっていらっしゃる、と反論する気も起きない。 「でも、クーは食い気ありすぎ」 基本だとか以前に食べるの好きなんだよな、と皮肉ってやれば、頬をふくらませて怒ってみせる。 「もうっ! 人を食欲魔人みたいに言わないでよ!」 悪い、と簡単に謝り、エリオは話している間にすりおわった別の薬草を小さめのトレイに載せ、それも日にかざす。 「それは何?」 「(趣味の)特製紅茶、生産限定品。全部は使わないから、後で淹れてやるよ」 「わ、本当? ありがとう!」 寮で同室の者達には滅多に言わない優しい言葉。エリオは一仕事終え、待たせたなとクーに向き直る。ううん、と可愛らしく首を振るクーに、早くしろって急かしたくせに、エリオは心中で思う。 「じゃあ、行くか」 うんっ! と明るいクー。食べ物のこととなると、彼女は特別嬉しそうになる。二人横に並び、ちょっとした雑談を交わしながら食堂へと向かった。 昼時の食堂にはかなり多くの人がいる。家から通っている者は弁当という手があるが、寮生はここで食べるしか(基本的に)方法がない。風呂は各寮に男女別れて一つずつあるが、寮には自炊場がないのだ。市でものを売れない一、二年生は、放課後のバイトでお金を稼ぐか実家からの仕送りで賄う。 『今日のランチ』を迷わず頼んだエリオとクーは、ほとんど待つことなく出てきたそれを手に、空いた席を二つ取った。 黙々と食べる。がやがや騒がしい食堂の中、二人の間に言葉はない。 話しかけられなければ自分からはあまり話さないエリオと食事は常に真剣なクー。クーが話しかけないのだから、必然的に、会話は途絶える。 「あ、イプサム」 しかし珍しく、エリオがぽつりと呟いた。ん? とクーが顔を上げると、注文口の方を見ている。が、人が多すぎて誰を見ているかわからない。 「ひふはん?」 口いっぱいに頬張ったままのクーの疑問に、エリオはごく自然に答える。 「ああ、新しい同居人」 そう言いつつ手を振る。どうやら相手が気付いたらしい。目をやると、混雑を抜けてこちらに歩いてくる人。暗緑色の髪と瞳は目立たないが、その背の高さでカバーしている。 「隣、いいか」 軽く挨拶をした後、イプサムは尋ねる。エリオはどうぞと答え、自分の右隣の席を引く。礼を言いクーに会釈をしてから座る。その際一緒しても平気かと聞かれたクーは、笑顔で頷いた。 とはいえ、イプサムもエリオと同じタイプなようで、やはり会話はない。気まずい雰囲気ではないものの、クーは好奇心にかられ、早食いをすると話しかけた。 「あのね、私クーっていうの。よろしくね!」 前振りもなく自己紹介し、視線が合ったイプサムに尋ねる。 「イプサムっていうの? 寮ではエリオ達の部屋に入ったの? どうして? だって、エリオもエスクードも自分から人を招いたりしないよね? クラウンなの?」 答える間もとらないで、クーはさらに聞く。 「クラウンがつれてきたとしたら、食品学部、野生動物科? それで、エリオはどうなのかな。仲良く出来そう?」 質問の内容は必ずしも繋がってはいない。思いつくままに言葉を羅列しているとうかがい知れる。連れならば、ちょっとクー失礼だよと止めるべきなのかもしれないが、エリオは全くその気がなかった。クーの知りたがりは生粋で、止めて止まるものでないことを、自身よく知っているので。 だがイプサムは、戸惑いも不快も見せず、 「イプサムだ、よろしく頼む。家の事情で寮に入ることになり、クラウンが誘ってくれた。野生植物科だ。エリオとは、楽しくやれそうだと思う」 淡々と答え、視線を軽く横に向ける。 「エリオには興味がある。薬草科だろう。どんなものを創っているんだ?」 いきなり話を向けるのか? とエリオは思ったが言いはせず、 「まあ、色々創ってる。さっきは風邪薬」 「と、紅茶だよね?」 ああと頷き、イプサムを見返す。その口元にわずかな笑み。 「俺も、あんたに興味があるんだ。野生植物科では、どんなものを育ててるんだ? 薬草として使えそうな効能をもったものとか、ないか?」 エリオの目がきらきらしている。よく見れば、イプサムもまた然り。 「・・・似た者どーし」 クーがぽつり呟く頃には、すでに二人の熱いトークが始まっていた。 食事を終え、エリオはその足でイプサムの研究室・・・というより、食品学部野生植物科生徒専門の栽培室へと向かっていた。 昼食時、クーが呆れるほど白熱した植物論争を交わした二人は、互いに満足しあい、エリオは新たな薬草求めて他学部敷地へ、イプサムは話の合う仲間に野生植物の紹介プラス自慢を込めて。 「そういえば、よかったのか?」 「何がだ?」 「クーを一人で帰して。恋人じゃないのか。俺は邪魔だったか?」 は? の形に口を開けたまま、エリオは思考を一瞬止めた。 「恋人?」 「・・・違うのか?」 そんなわけないだろう、と不思議そうに首を傾げるエリオ。なんだか納得出来ないままに、それならいいんだが、とイプサムは会話を切る。 ちらりと横目を向けると、エリオはスキップでもしだしそうに浮かれている。 案外、鈍いのかもしれない。イプサムは食堂でのエリオとクーの様子を思い出し、そう感じた。 野生植物科の研究室(栽培室)は薬草科でいう温室のようなもので、学園都市の周囲に広がる森をそのままもってきたような野生っぷりだ。もちろん、初めて見たエリオは圧倒され、うわと言ったきり言葉を失くす。 赤、黄、橙。原色の色合いをした花々は毒々しくかつ鮮やかで、天井まで伸びた蔦は地面すれすれまでまた垂れ下がり、なぜか・・・うねっている。 「う、動いてるが」 「まあ、動くな。“野生植物”だから」 けろりとしたイプサムの態度に、ここではこれが普通のことなのだと実感する。恐るべし野生植物科! 「ムーくん?」 「はい、ミラ先輩」 そして、その森のどこかからかかった声にイプサムは平然と答え、がさがさと分け入るようにして(でも足元に細い道が出来ているところを見ると、これは通路らしい)進むと、人間用かとられている小さな隙間に、背後の花と混ざってしまうほどに明るい橙色の髪、明るい緑色の目をした小柄な少女が、如雨露を手に立っていた。 「お帰り。早速で悪いけど、水遣り手伝ってもらえるかな・・・あれ? 後ろの子は?」 「薬草科で、寮で同居人、というより先住人のエリオです。話が合ったのでつれてきてしまったんですけど・・・」 だめでしたか、と聞く調子に、心配するような様子はやはり含まれていない。それは昨日の初対面時と同じく、ただ確認のためだけの言葉のように思えた。案の定少女は、 「平気だよ。みんなやってるしね」 と笑う。そしてイプサムより数歩後ろに控えているエリオに視線を注ぐ。 「はじめまして、ミラ先輩。お邪魔しています」 エリオはにっこりと笑みを返して、丁寧に会釈をする。ミラでいいよと答えると、さらにじっと見つめる。エリオは困った表情一つ見せず、市で客に対する時のように優しい微笑を浮かべ続ける。やがて、ミラは一つ頷きイプサムに言った。 「ムーくん、水遣りやってもらえるかな? 入り口の方からお願いするよ」 「え・・・でも、エリオは」 「大丈夫、ここのことならあたしのが詳しいよ」 エリオは小柄なミラに言い含められる長身のイプサムを、笑顔で後押しした。 「ありがとな、イプサム。帰る時は勝手にするから、あんたはあんたの仕事をやってくれ」 渋々といった様子でありながらも、イプサムはミラの手から如雨露を受け取り、元来た方向へがさがさと歩いていき、すぐに植物に隠れて見えなくなった。 ミラはそれを見送ってから、ゆっくりと奥へ向かって歩き出す。エリオは無言でその後についていく。 「何が欲しいのかな、キミは」 毒かな? 尋ねられた言葉に思わず苦笑を浮かべる。 「人聞きが悪いです、ミラ先輩」 「ミラ、だよ」 振り向いた横顔には、有無を言わせぬ様子で、取り引きする者の間に学年なんて関係ないよ。エリオは大人しく言いなおし、それでいいとミラは一つ頷く。 「ミラさん。俺が欲しいのはあるいは毒かもしれないけど、基本的には薬・・・薬草として使えるものです。出来るだけ強い効能のものがいいんです。何か、ありませんか」 ミラはうーと考え込み、よくわかんないなあと言葉を濁す。 「あのね、あたしにはよくわかんないよ、リオくん。野生植物には思いもかけない特性があって、どんなものならキミの求める効果を生めるか、予想もつかない。一つ一つ、確かめてみよっか。・・・あ、そういえばお代は」 何をくれるのかな、と視線を向けるミラに、エリオは気負わない自然な笑みを返す。 「紅茶、どうですか。お好きだと聞きしました」 すると一秒の間もなく、いいよっ! と元気な返事。 ――実は、このやり取りは薬学部と食品学部野生植物科の裏関係。新たな薬草求める薬草科生徒にとって、野生植物は神秘の宝庫。各学科で代々先輩から後輩へと受け継がれてきたこの取り引きは、伝統。 こうしたこともまた、新薬開発への第一歩。 後日、薬学部医療系統の三学科に新たな麻酔が投入された。その好評はよく、実用化も出来るだろうということ。ただ、開発者の名は定かでない。 さらに後日、市にたつエリオが、常連の客の一人にこそこそと話しを持ちかけて、その手に小さな小瓶を握らせる。目ざとくそれを目撃したエスクードは、怪訝そうに尋ねた。 「エリオ、さっきの女性は」 「肉屋の女将さんだ。何、年上趣味?」 んなわけあるかアホと、そこで話は途切れてしまったが。 さっきの、あの霧吹きの中身、移してたよ、な・・・。 本日のエリオの市に突如現れた謎の霧吹きは、明らかに薬に見えない。中身が気になるエスクードだが、なぜか尋ねられなかった。
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