シィエス学園遊楽録

四話   世に変人は多し





 うららかな午後の昼下がり、といえば聞こえはいい。だが、それで終わるようならばここはシィエス学園とは言えない。非常識が鎮座しているわけではないが、少なくともうろついていることは確かなのだから。

 今日も今日とて、柔らかな太陽の差し込む廊下を、一匹の牛(らしき生き物)が爆走している。

「待てー! 止まれー! あー、危ないから避けてくださいー!! こらー! 止まれー!!!」

 叫び声が牛のヤツを追いかける。それですら平和だなと思ってしまう自分の精神状態もなかなかヤバいのかもしれない、と冷静に分析を加えながら、近付いてくる牛もどきを見つめた。避けもせず。

「あ、あのー!! 危ないから、早く逃げてくださいー!!!」

 金切り声が逃げろと言うが、そのつもりはなかった。――別に、世を儚みこのまま轢かれ殺されてしまおうか・・・などと考えているわけではない。そもそも、学園の廊下で牛のような動物(面倒なので、エリオは牛に決定した)に轢かれて死ぬだなんてアホらしすぎる。

「に、逃げてっ!!」

 さすがに、牛を追いかける声も切羽詰る。距離、残りわずか。そこで待ち構え、ぶつかる寸前、ぺったり張り付くように廊下の端に寄って、しゅっ! 軽い噴射音とともに、牛の顔に即座に取り出したスプレーを吹きかける。

 ぶも☆ご*ぅもぅ&お#・、とでも訳せばいいのか、牛は野太く、人間には発音が非常に困難な叫びを上げて、ほんの少しの間地面を掻くように暴れてから、どう、と巨体を地に伏した。

「す・・・すご」

 ぽかんと口と目を開いた声の主。はあ、と何事も起こらなかったかのようにため息をついたエリオは、その少年を一度も見やることなく歩みを再開する。とぼとぼと疲れたような背、うつむいた表情、端麗な横顔には隈が浮いていて、歩き方はよろついている。

「あ・・・あの・・・」

 その酷い様子にか、牛の巨体を倒した力にか、かける声が震えた。・・・だが、聞こえていない。ため息が周期的に聞こえるだけで、行ってしまった。

「・・・すごい、かっこいい」

 その瞳に、きらきら憧れの光を宿らせて。蒼黒色の髪が消えた廊下の向こうを、彼は見つめた。

 

 憂鬱だ、全くもって憂鬱だ。

 何かやろうという気力も尽きて、日の当たる窓辺の席で机に突っ伏す。何も考えないでただただ突っ伏しているだけ。寝るつもりなどないのに、ここ数日、こうしている時数度意識が飛んだ。

「・・・エリオ?」

 今もまた、その状態。クーが遠慮気味に声をかけても、その体はぴくりともせず、呼吸すら止めているように、静か・・・静かすぎる。いっそ不気味だ。

「・・・生きてんかー。これぞまさしく、眠ったように死んではるってこっちゃな」

「それじゃ完璧に死んでるよお、レクサス」

 発言を回想してみて、ああほんまや、死んだように眠ってはるやな、そう言い直しても、根本的解決にはなっていない。

「まあ、生きてはいるやね。大分げっそりしちゃるけど」

「そんなあっさりと・・・。レクサス、他人事っぽい」

「他人事や」

 冷たい! ひどい! クーが怒れば、ちろと舌を出して反省反省と呟き、おもむろにエリオの肩に手をかける。

「ほな、指圧でもしてやりまひょか」

 あ、ダメ! クーが慌てて止めようとするも、すでに遅し。レクサスは机の上に丸まったエリオの背にぐっと両手の親指を押し付けて、つぼを押した。

「い・・・、いたたたっ?!」

 エリオが飛び起きた・・・でなく飛び起きようとして失敗した。レクサスに背中を押されているためだ。

「い、ちょ、何してんだ、レクサス!!! 痛い、って!」

 レクサスが、見かけよりしっかりした長い指でエリオの背をぐいぐいと押していく。強く押されるたび、エリオが痛いっ! と叫んだ。

 薬学部指圧科三年、レクサス。腕は確かだが、痛みを与えるのも大の得意という困った特技を持っている。淡い緑の瞳が、いい患者(つまりはよく凝っている)を相手に燃え立つかのようにわずかに濃く染まっている。

「・・・っ! や、めろ!!」

 ついに怒ったエリオが右手でレクサスの腕をきつく掴むまで、親切心から生まれた苦行は続いた。

「何すんだ、レクサス!!! っざけんな?!」

 安眠を邪魔されあまつさえ痛みを与えられて、エリオはキレた。椅子を倒しつつ立ち上がり、やや上にあるレクサスの顔を憤怒の形相で睨みつける。睨まれた本人、常にはないエリオの短気さに困惑を隠さず、

「なんや、どうしたい。エリォ、そな怒りやすかったか?」

「んなわけねえだろ、怒る体力だって結構必要なんだ。お前がくだらないことするから・・・」

 肩を怒らて食って掛かる様子は、明らかに苛々と気が立っている。エリオ、落ち着いてとクーが横から小さな声でなだめるが、効果はない。ふう、とため息をついたその頬はこけて、目元には隈が浮いて、顔色も悪い。病気か? 口に出そうとして、レクサスは止めておいた。・・・そんなことを言ったら、余計に怒り出す。

「ま、落ち着き」

「うるさい、指図するな」

「指図って・・・エリォ」

「俺が多少怒ってても、お前は気にしないだろ、どうせ。放っておけばどうだ」

「・・・」

 怒り心頭で考えるより先に言葉が出てしまっているのか、自暴自棄になっているのか、もしかしたら寝ぼけているのか・・・大穴狙いで寝ぼけに一票!

「ちゃうねん、ちゃうねん。何言ぅてんねん!」

 一人突っ込み、そして睨みつけてくるエリオにちらりと目をやって、

「とりあえず、も一度寝とき」

 襟首を引っ張って引き寄せ、首元のつぼをぐいと押して脳への血流を一時的に途絶えさせる。・・・エリオを失神させたレクサス。傾ぐ体を支えたのは慌てたクーで、突然の重さに床に膝をつきつつ、

「ひどい! 何するの、レクサス!!!」

 何が起きても知んないからね! クーの絶叫に、問題をこじれさせたことを自覚。

「あー・・・わい祟られるんちゃうかな」

 頬をぽりぽり掻きながら、視線を空より遠くに飛ばした。

 

 “前途は明るいが、崖もあるって感じ?”

 ソレが始まってから数日。インプレッサとポルシェに追いかけられ、衰弱した様子のエリオの、薬を作るペースが格段に上がっていることに対してのクラウンの考察なり。

 追い詰められてさらに力を発揮する。まるで野生動物のようだと思ったかどうかは知らないが、確かに、ここ数日エリオの様子は異様だった。

 朝、常のように早く起き、研究室で一心不乱になにやら作り続けている(というのを同室のクーから聞いた)。昼から夕方、学校が終わるまで追い回され(というのはクーとエスクード情報。市すら開いていないらしい)、夜、本を読み漁り(部屋ではなく図書館で。これはイプサムの言である)、夜中、部屋に戻って月明かりで本を読む。さらに時々夜中部屋を出て行くので、何かと思って追いかけてみれば、なんと“森”へ行っていた! 二の森あたりにしか行かないのがせめてもの救いといったところで、夜森へ行くなんて無茶にもほどがある! とどれだけ怒鳴ってやろうかと思ったか。結局そうは出来ずじまいで、無理が祟って衰弱・・・まさしく衰弱していくエリオのことを、クラウンは心配することしか出来なかった。

「・・・限界だな」

 部屋に戻ったエリオが意識を失ったかのようにベッドに倒れこみ、そのまま寝てしまったのを見て、イプサムは呟いた。

 普段なら、クラウンもイプサムも、もちろんエスクードも眠っている時間。近頃のエリオの無茶をたしなめようと、帰ってくるのを全員で待ち構えていたのだが・・・ふらふらと歩いて毛布の海にダイブし、泥のような眠りに落ちていくエリオに声をかけられる者はいなかった。

「・・・限界だよね。エリーも僕達も」

 窓から差し込む月光にさらに顔色を白くしたエリオの寝顔。深刻そうに悩むクラウン、イプサムとは裏腹に、エスクードは欠伸をし、ため息をつくのみ。

「バカじゃねえの」

 口癖になってしまったのか、ぽつり呟く言葉はバカだ。

「ちょっと、エス! それはひどいよ。エリーだって好きで追っかけられてるわけじゃないよ。見つかったのだって、偶然だったんだから!」

 クラウンの怒りに、エスクードは無反応。ベッドに沈むエリオの、首元のボタンを一つ外して緩め、布団を肩まで引き上げる。くくられたままの髪を解いて、リボンを枕元に置く。最後にぽんぽん、と布団の上から寝かしつけるように叩くエスクードは、まるで即興お母さんだ。世話焼くのが、実は好きなのかもしれないと新発見。・・・ただし顔は無表情で、ちょっぴし怖い。相手がエリオなのもミソ。

「・・・じゃあ、元凶を除けばいいんだろ」

 ぽつり。エリオの寝顔を眺めていた(というより考え込んで動きを止めていた)エスクードが肩越しに振り返り、クラウンを見つめた。

「インプレッサ、ポルシェ。・・・そんな怒るんなら、あいつらをこいつから引き離してみせればいいだろ」

 お前が、とその目は訴えていた。口ばかりでは何も変わらず、俺に怒っても何も起きない。そう如実に語られ、クラウンははっとしてバツが悪そうにごめんと謝った。エスクードは返事もせず、さっさと一人寝に入ってしまった。

「・・・手伝おう」

 ぼそりとイプサムが助太刀を申し出、クラウンは自分の立場を自覚する。

 エリオを守るのは自分しかいないと・・・! ただし、その旨を表立ってエリオに告げれば、彼はクラウンを“三人目”として扱うだろう。

 

 次の日、丸一日を費やして、クラウンはポルシェの身辺を洗った。インプレッサでもよかったのだが、あちらはより手強そうだ。手の届くところから引きずり落としていこうと決めた。イプサムも一緒だ。二人そろって、今日の日程を全てすっぽかしてしまった。後悔は、しないだろうが。

「この中に、知り合いはいるか?」

「ぜーんぜん。ボクの縄張り外だよ。イーちゃんはどう?」

 イーちゃんなる人物、イプサムはふるふると横に首を振り否を示した。

 ポルシェの弱みとなりそうな、またはポルシェの奇行を止められるような、そんな人物探し調査したのだが、交友関係が狭いのか当たりは三人。機械学部自動科六年ビーゴ、服飾学部男性服科五年ベリーサ、牧農学部家畜科一年カルタス。内二人は上級生、しかも一人はポルシェの姉だ。彼ら三人の詳細はいずこからか手に入れたが、ポルシェの姉・ベリーサは弟溺愛女、つまりはブラコンだということでまず問題解決役には適さない。ビーゴは六年、卒業制作に忙しく下級生の相手などしてはくれないだろう。しかも彼は万年欠課気味で、訪ねたところで会えるかどうかわからない。

 そんなわけで、対象は一つに絞られた。

「あとは、このカルタス君が、ごくフツーの人であることを・・・祈るだけだね」

 こくりと頷くイプサムに、行くよ! と掛け声をかけ、クラウンは先陣切って踏み出した。愛すべき親友のため、その微力を尽くさんがため!

 

「あー・・・またやったんですか、あいつ」

 見知らぬ他人に事情を説明された家畜科一年のカルタス、まず呆れた。ブモゥという名前の動物――その鼻息のためか――と調和し、ため息は二乗。いきなり疲れたような表情に、カルタス少年もポルシェに悩まされているようだと推測出来る。同時に、彼は当たりだとほっとする。すなわち、普通の感覚の人物だ・・・と。

「そうなんだ、どうにかしてもらえないかなぁ。その被害者、エリオっていうんだけど、ちょうどもう一人のへんた・・・ごめん、追っかけにも悩まされてて、夜も眠れない状態なの。ボク達がどうにか出来ればそれが一番いいんだけど、余計にこじらせるのもイヤだし、それに・・・エリーがどうにもならないことで、ボク達が役に立つかどうか」

 腕があり、顔が良く、商売も上手い。けれどその性質は苛烈。障壁など自力で跳ね除けるのがエリオという人間であり、また、今までそうしてきたことを、イプサムはともかくクラウンはその目で見てきている。

 数多の生徒の中から、たった四年でトップに昇った。片鱗を現し始めた時期自体は一年の中ほど。――今でもずっと、人一番熱心な情熱家。苛烈さを形作る炎を燃え立たせ続けている。

 手も出せない凄みの炎の横にいると、自分まで熱くなる。そんな想いを、この程度で弱らせ消させるわけにはいかないのだと、クラウンは。

「でも、キミに負担をかけたいわけじゃないんだ。件のポルシェ君を当たり障りなくエリーから引き離せれば、別に他の望みはないよ。どうにかできないかな?」

 クラウンはいよいよ熱心だ。体ごと迫り、カルタスが一歩下がると一歩近付く。そうして脅しをかけるように、壁際まで追い詰めている・・・が、そんな行為にクラウン自身は気付いていない。イプサムは、少し離れたところで完璧な傍観者だ。

「あ、その、どうにか出来ないこともないんですけど。でもあの、多分、俺じゃないと無理です。・・・被害者、誰ですっけ?」

 思わぬ吉兆。カルタスの半協力発言に色めくクラウン、良い獲物を捕獲した時のきらきら輝く目つきで、薬学部薬草科三年エリオ、と早口のように告げた。

 エリオさん、と名前を頭に叩き込んだカルタスは、その顔をきりりと引き締めた。

「ポルシェに関わってしまったのが、俺の運の尽きです。今すぐ行きましょう。早くどうにかしないと、さらにエスカレートします」

 いってくるよウシニ、とカルタスは家畜のブモゥの鼻頭にぽんと手を置き、クラウンの前に立ち歩き出す。もっと抵抗するかと思われた彼の潔さに驚いたクラウンはわずかに出遅れ、家畜小屋を出て行く下級生の背中を慌てて追いかけ、先導する。

「・・・いいのか? まだ授業時間だろう」

「いいんです、ポルシェに関することなら、他の何より最重要課題です」

 イプサムの問いかけにきっぱり答えたカルタスの態度といったら。戦闘に赴く兵士のごとき危機感と臨場感だ。固めた拳にすら浮かぶ。

「・・・なんか、なんというか」

 頼み込んだ張本人であるクラウンが唖然としてしまうほどの気迫。たかがポルシェという少年一人に対するためにどれだけの覚悟が必要となるのだ、と疑問に思うと同時に少し怖くなって、こそこそ訊く。

「イーちゃん。まさかさ・・・野生動物より手強いなんてことは、ないよね?」

「・・・さあな」

 イプサムの返事は、なぐさめにはならなかった。

 

 今日こそ決着をつけてやる、と据わった目で何もない空間をにらみつけ仁王立ち。ともするとそのまま体が傾ぐ。

「エリオ、ちょっと休んだら?」

「いや、いい。来たらすぐに教えてくれ」

「でも・・・そんな状態で対決する気なの?」

 ムチャだよぉ・・・と心配されても心は変わらない。エリオは結うのを忘れた乱れ髪もそのままに、鬼気迫る表情。クーは、はらはらしつつ音を探る。いまだ近付く者はない。

 ふと、エリオが疲労のにじむ、けれど菩薩のような微笑みをクーへと向けた。

「クーもこりごりだろう? こんなしつこいとは思わなかったから今まで放っといたが、もう、けりをつける頃だ。・・・安心しろ、完全にヤるから」

 このままいくと、本当の本当に殺りかねない。クーは背筋がぞっとする。だが、今のエリオに逆らい彼を止めるような勇気はない。ただ胸中に誰かの助けを願うのみ。

 その願いが通じたか、はたまた神のいたずらか、数人の人間が近付いてくる音を察してクーはぴくりと反応する。

「来たか?」

 現在地――食堂を行き過ぎてしまうような早足で、それが何人なのか、誰なのか、ここを目指しているのかどうかは判明としない。クーはわからないと首を振る。エリオは、敵を迎える準備を整えた。

 足音は、扉の向こうで止まった。一瞬後、勢いよく開く。

「いたーっ!!!」

 そして先に叫んだのは、クラウン。出鼻を挫かれたエリオはきょとんとして、実に不思議そうに首を傾げた。

「クラウン、イプサム? ・・・と、誰だ?」

 見知らぬ人物に不審の目を投げかける。紹介しようとクラウンが口を開くと同時、

「あ、あなたはっ!!!」

 驚いたように大声を上げたのは、淡茶の髪に灰黒の目をした、ごく普通の真面目そうな少年、カルタス。

「知り合い?」

「いや・・・」

 エリオはカルタスを知らない。困惑しきって、さらに気が抜けよろけた。

「わ、だ、大丈夫ですかっ?!」

 真っ先に動いたのはカルタスで、エリオを椅子に座らせこの場で最も心配げに顔を曇らせる。

「お前・・・誰だ?」

「覚えてないですか?」

 いや、全然、と答えてから、エリオは一つの可能性に思い至ってざっと音を立てて顔色を引かせた。

「ま、まさか・・・お前も?」

「・・・は?」

 カルタスは先ほどのエリオ同様きょとんとし、それから慌てて首をぶんぶん振った。

「ち、違いますっ! 俺は牧農学部家畜科一年、カルタス。ポルシェを止めに来ました!」

 エリオはほっと一息。そして、大変だったでしょう、と呼びかけたカルタスの声に宿る哀嘆の響きに、不覚にも涙ぐんだ。そんな様子を見てぎょっとしたのはクラウンとクーだ。イプサムは普段通り全く動じないが、気の強いエリオが労わりの言葉程度で涙するとは、その苦労の大きさを今本当の意味で理解したようで、もらい泣きしてしまいそうになる。

「・・・カルタス。何故エリオを知っている?」

 一人冷静さを貫いたイプサムの質問。カルタスはすらすらと語る。

「先日、家畜が暴走して校内を走り回って・・・。その際、こちらのエリオさんがブモゥを止めてくれました」

 本当に覚えていらっしゃらないですか・・・? もう一度確認をとるも、やはりエリオの答えはノー。無意識の行動だった、のだ。意識がなくともあの家畜・・・牛と大差ないブモゥをしとめられるとは、天性の狩人なのか? そうなのか?

「そうですか・・・。そういえばあの時、何か吹きつけていたようですけど、何だったんでしょう?」

「吹きつけてた・・・? ああ、じゃあ、多分、これ、か?」

 懐から取り出だしたるは無色半透明な液体が入った香水瓶。一見、なんの変哲もない。

「これはしびれ薬だ。麻酔薬と一緒に創ってみたんだ。副作用のない、けれど強力・・・痴漢撃退とかに使えるかと思って、遊んでみたものなんだがな」

 そういえば、少し減ってるか? ぼんやりした頭を働かせて過去の記憶と決闘中。ここ最近そうとうぼけていたことが露わになり、あまりの不憫さに総員、涙を禁じえない。カルタスはエリオの両手を掴み、涙をためた瞳で告げる。

「エリオさん、あなたは恩人です。もしあのままブモゥが暴走していたら、大惨事になった可能性だってある。・・・だから、全力で、ポルシェを止めます! そうでなくともあいつはいつどこでだってこんな問題ばっかり引き起こして・・・もう、慣れてるからいいんですけどね? いいかげん、どうにかけじめをつけなきゃいけない時期なのかもしれません」

 完全に決心してしまった。目の色が違う。纏う気迫が違う。きゅっと横に引いた唇に、彼が感じている責任がありありと浮かぶ。

「カーちゃん・・・そんなに」

 クラウンは痛ましげな視線をカルタスへ注ぎ、彼に任せるばかりでなくボクもやれるだけ頑張ろう! とポルシェとの対決へ意識を高める。頑張ろうね! はい! 言葉を交わし協定を結んだクラウンとカルタスを、心配そうに見つめうろうろするクー、やはり傍観のイプサム。当事者のエリオは・・・。

「・・・あ、エリオ」

 安堵からか、すでに限界だったのか、うつらうつらと暖かい光の中、立ったまま寝そうだった。

 

 そして、対決の時が訪れた。

「ここにいたのかい、エィリオーゥ!!!」

 まずはインプレッサが。今日も見事な金の巻き毛に極太赤リボンが映える。ぎらぎらした目が標的(獲物)を視界に捕らえてきらりとする。ぱっと跳ね起きて臨戦態勢をとるエリオ。彼を守るように二人の間に立ちはだかるクラウンとクー。エリオは疲れてるの、ダメ! と精一杯怒りを表すクーの横に、カルタスが並ぶ。イプサムはエリオを支えるように彼に寄り添い、そうして全員が位置についた。・・・さあ、決戦である!

「おお、なんだい? 今日はみんなで私を迎えてくれるのかい!」

「そんなわけないよ! 今日は、エリーから離れてもらうために皆いるんだよ!」

 するとインプレッサはひどく不思議そうに、

「何故離れないとならないんだい?」

 のたまってくれやがった、と忌々しげな一同。やはり一筋縄ではいかないとインプレッサ対策を怠ったことをやや後悔する。けれど、ポルシェ対策のみを考えたクラウン、イプサムとは違い、エリオ、そしてクーの決意は固かった。

「迷惑だ」

「邪魔なの!」

「俺の前に二度と立つな」

「近寄ったらダメなの!」

「・・・さもなければ、殺るぞ」

「・・・」

 精一杯声を張り上げるクーとは対照的に、さざなみすらない水面のように静かな声音のエリオ。しかし水面下は沸騰寸前まで煮えたぎった熱湯で、据わった目が、インプレッサとは違う意味合いでぎらついている。さすがのインプレッサもその殺気には怯えたか、無意識だろう、一歩下がった。ついでにクーも、一歩後じさった。

 しばしの硬直状態が続く。

「・・・あっ! エリオ様が! インプレッサ、エリオ様から離れろ!!!」

 そこに新たな乱入者・・・ポルシェ。やっと獲物がかかり、クラウン、イプサム、カルタスは一つ頷き合う。エリオに駆け寄ろうとするポルシェの前に、カルタスがずいと立ちはだかる。ポルシェは押し退けて通り過ぎようとして、はっと顔色を変える。

「カ、カルタス? どうしてここに・・・」

「またやってるんだな、お前は」

 何やら過去の因縁を感じさせる二人の様子。拮抗したまま動かないエリオ、インプレッサとは違ったきな臭いような空気が、二人の間に流れる。

「いいかげんにしろ。何度も何度も何度も、言ったよな? お前が誰かを追いかけ回すのは、俺にとっても、その人にとっても、迷惑でしかないんだ!」

「な・・・! カルタス、ぼくは!」

「人の都合も考えろ!! お前がどれほどその人を追い回そうと、ただ邪魔になるだけだ! 尊敬するなら近寄るな、期待を胸にじっと待て! 影から見ているだけでいい! どうしてそれが出来ない! 三年前だって・・・」

 そして、始まる。ずらずらずらっとポルシェの経歴。三年前、二年半前、一年と三ヶ月前、九ヶ月前、七ヶ月前、二ヶ月前・・・って多!!! クラウンはそれ全部に関わってきたカルタスの、よく覚えてるなと思うような息継ぎの間もないその話に言葉を失った。

「・・・なんで! どうしてそうやって、いつもぼくのやることにケチをつけるんだ!」

「どうして?! わからないのか、馬鹿!!!」

「馬鹿じゃないっ!」

「馬鹿だろっ! お前は結局いつだって、ベリーサさんのことしか見てないくせに!」

「な、にを・・・っ!」

「この、シスコンブラコン姉弟!!! 俺はいつだって後始末させられて、うんざりなんだよ!」

 いいから来い!!! とカルタスはポルシェの襟首引っ張って、食堂の外へ連れて行く。その途中少し振り返って、クラウンに目線で告げる。

“もう二度と追いかけないようにさせますから”

 覚悟を決めた彼の表情は、どんな鋼より強かった・・・。

 

 一難過ぎて、また一難。嵐はまだ終わっていない。目に入っただけである。・・・これから起こる嵐は、あるいは先ほどの比ではないかもしれない。

「インプレッサ。これをやろう」

 エリオは優しく微笑みかけて、懐から一本の瓶を取り出す。さっと青くなる周囲と、その中身に検討がつかず首を傾げるインプレッサ。

「エ、エリオ! それはダメェェエ!!!」

「何でだ? ただの、薬さ」

 にっこり笑うエリオ。その中身、どう考えても毒である。生死に関わるものではないと思うが・・・いや、もしや一瞬で命を止める劇薬かもしれない。思考力の低下したエリオに、人殺しはヤバいという概念がはたして残っているかどうか。

 毒薬も一種の薬ではある。しかも、毒草自体が薬に化けるのはごく普通な以上、確かに、ただの薬と言って間違いはない。間違ってはいないのだが、

「エリー、それはやめた方がいいと思う!」

「・・・同感だ」

 毒を人に盛るのは、人道的には非常に間違っている。

「・・・そうか?」

 目一杯に否定されて、キレたエリオもさすがに考え直す。周囲がこくこくと何度も頷いたので、不満そうながら薬瓶はもう一度しまわれた。ほっと息を吐く中、毒を飲まされそこなったインプレッサ本人だけは呑気なものだ。なんだい、しまってしまうのかい、と残念そうに呟いている。

「ダメ、か。・・・じゃあ、どうやって殺ろうか」

「エリー・・・? さすがにね、その意味の“ヤる”はいきすぎかなって思うんだ、ボク」

「・・・同感だ」

 イプサムの同感だ、にクーも同感。ならばさてどうしようかと全員が考え込もうとした瞬間、インプレッサはエリオにさっと近付く。そして・・・抱きしめる。離れるなんて無理だ・・・! そう叫びながら。

「・・・!!!」

 声無き悲鳴。全員が、一瞬抵抗も忘れて立ちすくむ。思いがけなく熱い抱擁(男同士)に、段々と集まり始めていた食堂利用者の一部すらもぎょっとして動きを止めた。

「な、は、離せーーーっ!!!」

 絶叫。けれどエリオの弱った体では、ただでさえ長身で力もあるインプレッサを引きはがせない。周りの誰しもがまた、反応出来ないでいる。

 ――そして、そんな収拾のつかなくなった場に突如現れた救世主!

 ゴスっ! と小気味よい音とともに、インプレッサは地に伏した。

「何してんねん、ワレ!!! 浮気したらあかんで!しかも男に!」

 インプレッサの頭に見事な跳び蹴りをくらわしたレクサス、呆れ返った顔の中、わずかに引きつって表れる怒り。呆然としたままのエリオをクラウン達に預け、地面の上で唸っているインプレッサを見下ろし話しかける。

「何しとんのや? おのれ、エリオに欲情したんかい」

「それは断じて違う! ただ私は、エリオと離れろなどと言われて・・・!」

 がばっと起き上がる。目の前に立つレクサスに必死になって理由を話始めるが、彼は手をひらひらと振って、相手にする気ゼロである。あーあー、そうかいな、とおざなりな態度でインプレッサの言葉を止め、

「あんさんの彼女、連れてきたで。あないキレーな姉さんがおって、なんでエリォに手ぇ出すんや」

 心底不思議だと首をひねる。

 彼女?! と全員の視線が一斉にレクサスの背後に向けられる。そこには、一人の女性。

 腰まで真っ直ぐ伸びたつややかな漆黒の髪、切れ長な瞳は吸い込まれそうに真っ黒で、白い肌の中、わずかに色付く赤い小さな唇はきゅっと閉じられている。すらりと伸びた手足とインプレッサに匹敵する長身もあって、女優のごとき美しさだ。

「・・・インプレッサ」

 彼を呼ぶ声は、女性にしては低め。小さな唇を動かして、きっぱりと話し出す。

「私がいらないなら、そうと言ってくれればいいわ。けれど、その彼とのことがただの気の迷いだというなら、私のところに来てほしい。一緒にいてほしい。私の名を・・・呼んでほしい」

 インプレッサ、と恋焦がれた目で見つめる。熱い、熱い思いが、当人以外にもびしびし伝わってくる。それはそれで、周囲をまたしても硬直させた。

 どこをどうとっても、恋人達の修羅場だ。

「・・・カローゥラ。違う、違うよ。私がこの心を捧げるのは、君だけだ。 この心を奪えるのも、君だけさ!」

「けれど、彼のこと、好きなんでしょう」

「違う! 私は、美しいものを愛す! 私の本能なんだ・・・。けれど、この心は、君のためにしか存在しない! すまない、カローラ、硝子のごとき君を、私が愛して止まない君を、傷つけて壊してしまうところだった・・・」

「インプレッサ・・・」

「すまない。許してくれるかい、カローゥラ」

 裏切られて傷つくカローラに、インプレッサは少しずつ近寄り、そっとその手を取る。カローラは潤んだ瞳を彼に向ける。そして、少し微笑む。

 エリオに浮気した行為を許されたインプレッサは、もう離れない! カローラをきつく抱きしめる。カローラはそれに応じて、自身の腕を彼の背に回す。

 周囲の目もはばからず熱い抱擁をする二人。方々そろって、どこに目をやればいいか困ってあらぬ方向に視線をやる。少し経って見てみれば、今度は深く、深く口付けを交わしている。

「か、解決したみたいだし・・・かえ、帰ろうか、エリオ?」

「そ、そうだな・・・」

 すっかり毒気を抜かれた一行、そそくさと食堂を退場す。出て行く時もう一度振り向いてみれば、二人は角度を変えていまだ口付けの真っ最中。

「いやー・・・アソコまでゾッコンとは、知らんかったなぁ・・・」

 カローラを連れてきた張本人のレクサスまで呆気にとられている。扉を閉じて、アレならもう平気やな、と呟いたところで、エリオが尋ねた。

「レクサス、なんで・・・」

「ん? まあ、しゃあないやろ。友達がまいってるんや、助けてあげにゃ」

 そしてにかっと笑う。エリオはぽっと赤くなって、レクサスから顔を逸らす。おや? と思ったのはレクサスのみでない。クラウンもクーも、何で赤くなってるの? そう遠慮なく訊いたものだから、

「赤くなんて、なってないっ! もう、いい! 俺は寝る!」

 早足になって歩いていく。何あれ? と顔を見合わせる三人に、イプサムだけは冷静に、自分の見解を述べてみる。

「・・・嬉しかったんじゃないか」

 照れくさかったんだろう、と。

「・・・そっか。エリーらしい」

「そやな。・・・エリォらし」

 可愛いねー、意気投合して、彼らは笑い合った。

 

 次の日、一件の後一日中寝ていた様子のエリオはほとんど回復して、昼食時、自らレクサスの元へ来て、一緒に食事をしながら、ありがとう、と呟いた。言い慣れないのかやはり少し赤くなっていたが、レクサスもクーも、それを指摘したりはしなかった。ただ、どういたしまして、と微笑んだ。

 夜、普段より早めに部屋へ戻ったエリオは、久々に同居人四人一緒の風呂に入りながら、感謝する、と堅苦しく礼を述べた。やはり赤くなっていたが、湯気のせいだと主張するのでクラウンは強く追及しなかった。代わりに、

「友達だもん、当然だよ!」

 そう言って、ゆでだこみたいに真っ赤にさせるのに成功した。




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