シィエス学園遊楽録

五話   実は意外と苦手なもの





 明るい、朱色の髪。量が多くてクセもひどいからと短くしている肩ほどのそれを、今日もまた、適当に二つにくくる。本当は、もっと長く伸ばしたい。鏡を見て、そばかすの浮いた顔を見てため息をつく。小柄な体も恨めしい。出来れば、もっとすらりと背の高い、美人さんになりたかった。

 けれどそれは、どうしようもないこと。仕上げにかける黒縁の大きく分厚い眼鏡が、どうしようもなく地味でダサい自分を作り上げる。

 どうせ可愛くなれないならと、伊達にかけた眼鏡。今ではこれが、私のトレードマークになっている。今更、外す気も起きない。

 そんなモコが、たった一つ気に入っている部分。

 くすんだ緑色をした、この目。――憧れのひとと、よく似たその色。

 

「・・・ねえ、モコ。好きな人とか、いる?」

 尋ねられて、無駄に慌てる。

「え・・・え、な、何、いきなり? どうしたの? アイちゃん」

 肩までの真っ直ぐな髪は、うらやましいくらい真っ直ぐでつややかな黒。頭の上で結んだトレードマークのリボンは、その大きな目と同じ桃色。モコの同級生、食品学部製菓科四年のアイは、色白ですらりとした、可愛い子である。

「どうしたのは私じゃないわ。モコの方よ!」

「え、え?」

 さらに慌てる。何故だろうか、アイには、モコが誰かに心奪われていることが、バレてしまっているらしい。

「モコおかしいわよ、この頃。一人ぼんやりあらぬところを見てるかと思えば、いきなり走って逃げ出したり・・・。ため息ついてたり、さ」

 ねえ、私に隠さないでと、アイはモコにずいと詰め寄る。モコはしばらく迷ってから、結局打ち明けることにした。その目からは逃れられなかった。

「実は、ね・・・いるの」

 やっぱり、と頷いたアイは、どんどん先を促してくる。モコはもうこうなったら隠す理由もなく、たどたどしくも続ける。

「あの、ね・・・一つ下の学年の、動物科の、人。落ち着いた、緑の髪と、目をしてる」

 それでそれでと、促される。えっと、と言い惑っていると、名前!と怒られた。

 そればかりはさすがにひそひそ声で、モコは告げる。

「・・・イプサム、さん」

 すると、突然背後から話しかけられる。

「・・・イプサム、ね」

 驚いた二人が振り返ると、そこにいたのは、他学科でも名の知れた、秀才の彼。

 二人が言葉を失っていると、彼・・・薬学部三年・エリオは、縁なし眼鏡の向こうで何かたくらみながら、微笑んだ。

「ねえ・・・」

 その恋、成就させてあげようか、と。

 

「・・・お前、変なことやってないか?」

 というのも、学園内でのエリオの交流範囲が異様に狭いことを知っているエスクード、今日エリオが二人の他学部の女子に出会い、何やら話し合っているのを見てしまったためである。

 市に立ち、普段通りに並んで商売に精を出していた二人。エスクードの言葉の真意がわからなかったために、エリオはいぶかしげに首を傾げた。

「何のことだ?」

 そう問われると、エスクードは困る。キレてさえいなければ、エリオの思考は常識人のそれと大差ない。その彼が素で困惑するのだから、やはり考えすぎかと思う。

「いや・・・別に。何でも」

 あっそ、と興味のなさそうな顔をして、客寄せに戻るエリオ。・・・やはり、考えすぎなのだろう。エスクードもまた、客寄せに戻った。

 先日のインプレッサ事件が解決してから、エリオは実に機嫌がいい。それまでに積もり積もったストレスが一気に解消した反動か、機嫌がいいだけならまだしも、非常に親切になってもいる。つまりは、棘がない状態だ。エスクードとも、喧嘩になることもなく普通に会話が成立する。

 いつまで続くかはわからないが、こう良い子なままだと、エスクードどころかクラウンとイプサム、レクサスとクーですら、何となく薄気味悪い。

 エリオは、皮肉げなくらいが調度いい。彼らは一様に実感した。

 

 ・・・その日、モコはケーキを作った。白い生クリーム、真っ赤な果実は九の森で採ってきたもので、砂糖みたいに甘いから、砂糖の代わりに生地に練り込んだ。飾りつけには色々な木の実を使って、可愛らしいけど、嫌みでない程度に仕上げた。

 箱に入れたそれを持って、中庭に向かう。ばくばくと心臓が鳴る。早足になる。

 時刻は昼。空は晴れて風は穏やかで、花の香りと、どこからか甘い焼き菓子の匂い。モコの進む先に、噴水が見える。その手前に立つ、エリオと・・・イプサム。

(イプサムさん、だ)

 深い、森の木々のような緑の髪と目。エリオの明るい色彩と並ぶと大分地味だが、それでもモコには、イプサムの姿が誰より目立って見えた。

 モコに気付いたエリオが、笑って手招きをする。駆け寄る。

「こんにちは、モコさん」

「こ、こんにちは。エリオさん・・・イプサム、さん」

 憧れの彼と初めて直面したモコは、どきどきする胸を押さえて、上気した頬で笑う。イプサムは言葉少なに頷いて、その場に腰を下ろした。

 ――エリオが提案したのは、次の案。モコをエリオの知り合いとして、そのモコがお菓子の試食をしてもらうために人を集めている、ということにする。そうしてごく自然に、イプサムを誘う。後は途中でエリオが席を外すだけだ。

 ほどなく、エリオはトイレに行くといってその場を離れた。モコはしばらくイプサムと話し、試食などもしてもらいつつ、ようやく、本題を切り出した。

「あ、あの、イプサムさん・・・」

「・・・?」

「私、その・・・あなたのことが・・・」

「・・・何ですか?」

「その・・・あの・・・す、好きです!」

 言ってしまうと、もう後戻りは出来ない。モコは蒼白になって返事を待った。

 イプサムは答えずに、黙っていた。そのうち一言、すみませんと、言った。

「・・・すみません、とは」

 モコは泣きそうになって尋ねる。イプサムはそんなモコに、ごく真面目に告げる。

「まだ知り合って間もないひとと付き合うことは、出来ません。それに・・・俺は、甘いものが苦手なんです。すみません」

 イプサムはそれだけ言うと、その場を去って行った。

 残されたモコは、悲しい気持ちの中、考える。そして、思う。

 

 次の日の朝、モコは動物科の教室に行った。そしてイプサムの前に立つと、言った。

「イプサムさん。私とお昼、一緒に食べませんか? 甘くないお菓子、作ってきましたから」

 イプサムは困惑した目でモコを見た。モコは笑う。

「私・・・イプサムさんが、甘いものが苦手だってことも、知らなかったんです。これからいっぱい、知っていきたいんです」

 イプサムはしばらく悩んでいたが、やがて頷いた。

 二人の関係は、そうして続くことになった。

 ――何がきっかけで人と人が出会って、その関係が続いていくのか。それは神のみぞ知ると、いうこと。

 

 さて、二人の愛のキューピッドになるかもしれないエリオはといえば、まだ機嫌よく、要らぬ手を人に差し出し続けていた。が、これもやがては飽きて、また元の通り、傲岸不遜な彼に戻っていくのだろう。




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