シィエス学園遊楽録

七話   二人のエリー





「エリー!」

 よく知った声に呼ばれて、振り向いた。

「なんだ?」「何?」

 ・・・返事をした者が、二人。名を呼んだクラウンも驚いたようだが、応えた二人はさらに驚く。

「・・・あんたもエリー?」

「正確には、エリオだが」

「俺、エリシオン。やー・・・奇遇だな?」

 廊下の端、移動教室で多くの生徒がすれ違う中で、二人はその時初めて出会った。

 

 名を呼ばれたようだが、応えられないほど、今は大切な作業中だ。

 一ミリもない淡黄色の黄玉。それがこの装飾の、全てを決する。それ以外見えないほど集中していたが、

「・・・エスクード!」

 結局、台無しになる。

 背中をどんと叩かれたせいで、黄玉は大きくズレたところにくっついた。あーっ! と叫んで怒気も露わに振り向く。そして、鬼のごとき形相で椅子を倒して立ち上がる。

「アイシス、何しやがるっ!!!」

 失敗したじゃねえか!と怒鳴ろうがどうしようが、ケロリとした表情を崩さない。

「応えないのが悪いんじゃん。なあ、アリオン?」

「だよな」

 こんの馬鹿双子が・・・!!! 怒り頂点に達したエスクード、新緑の瞳に炎が燃える。

 アイシス、アリオン。入れ替わってもわからないような、そっくりな双子。薄墨色の髪に濃紺の瞳。いつもいたずらげに目を細めている。どんなに怒られても全く悪びれない。鉱石学部一のいたずらっ子達で、装飾学科唯一の双子だ。

 エスクードはアイシスの襟首を掴まえて、今度という今度は許さねえ!とマジギレる。けれどアイシスは怯えもせず、

「あーあ、いいのかな。お友達がたーいへーんなことになるかもしんないってのに」

 そう言って目を細めて笑う。エスクードはその言葉にほんのちょっと頭が冷えて、手の力を緩める。

「・・・誰が、何だって?」

 アイシスはすぐには答えず、ぽんぽんと自分を掴む手を叩く。不承不承離したエスクードは、アイシスが服を正す間を待って、もう一度問う。

「アイシス。誰が、どうしたって?」

 アイシスは双子の弟と顔を見合せて、にーっと笑う。そして、一言一句違わずに、

「「君の大事なエリオ君が、エリシオンに捕まってるよ」」

 エスクードは瞬間声を無くし、顔色をさっと青ざめさせた。

「そ、そういうことは、早く言え!」

 双子はくすくすと笑いあって、言わせなかったくせに、とまあ間違ってはいない図星をつく。そしてもう一度怒られる前に場所を教える。エスクードはすぐに走り去った。後には、まだくすくすと笑う双子だけが残った。

 

 思い出しても忌々しい、そんな過去がある。

 もしそんなことがなくずっと幸せに過ごしていたら、自分は今ここにはいないだろう。そう考えると、悪いことばかりではないのかもしれない。人生万事塞翁が馬という。まさしくその通りなのだろう。けれど、それとこれとは話が別。悪いことがどうにかなるなら勿論どうにかしたい、当然だ。

「・・・で、また戻ってきちゃったら来てね。充電するから」

「ああ、わかった」

「多分、ひと月持つかどうか、かな。それにしても、こんなコミカルで、しかも強力な“呪い”があるもんなんだねぇ・・・」

 しみじみと、エリシオン。その蒼がかった黒の髪と目は、エリオとは違い自前のものだ。“のろい”など、かけられていない。

 エリオは深くため息をついて、実際かけられてないからそう言ってられるんだ、と軽く睨む。エリシオンは苦笑して、確かにねと相槌打つ。

 ほんの一瞬、静寂が落ちる。するとそれを拾い上げたか、ちょうどよく、エスクードが扉を蹴り開けた。

「エリシオンっ!!! 何してやがる!」

 凄まじい剣幕で怒鳴ると、エリシオンの襟首掴んで持ち上げる。いきなり吊るされることになったエリシオンは苦しげに眉をしかめて、

「いきなり何だ、エスクード。何もしてないだろうに」

 放せと、吊るし上げる腕を叩く。

「何もしてないだと? 嘘言え! お前が、何も知らない他人相手に、何もしないはずない!」

 大きく息を吸い、エスクードは最大級の大声で怒鳴る。

「お前は、呪具師だろうが!」

 エリオは苦笑をもってエリシオンを見、エリシオンは苦笑をもってエリオを見返す。

「あんた、よっぽどたちが悪いらしいな?」

「えー・・・まあ、それほどでも?」

 緊張感のない二人に、エスクードは怒鳴る。

「エリオ、お前わかってんならこんなとこいるんじゃねえよ! こんなのに用はないだろ!」

 それを聞き、エリシオンはエリオに向けふと真面目な表情をする。

「エリオ、まさか、エスクードは知らないの? ・・・教えてあげなよ。友達だろ?」

 友達じゃない、と反射的に口にしたエリオは、エスクードを睨む。癖で、エスクードも睨み返す。二人に挟まれたエリシオンは、やれやれとため息ついて、ちょっと笑った。そして結局、エリオは口を開いた。

 

 ――体の弱い、弟がいた。しょっちゅう病気になっては辛そうにしている彼を、元気にしてやりたいと、そう思ったのがそもそものきっかけではあった。しかし、実際ここに入学する時には、それよりもよっぽど強い望みをもってしまっていた。

 エリオがまだ十代にも満たないある日、あるおかしな男が、町にやってきた。男は、見ようによっては道化のような格好で、町中を練り歩いた。・・・いわく、怪我をした者病気の者、この指止まれ。私が何でも治してあげよう。

 その頃の弟は本当に毎日寝たきりで、いつ死んでもおかしくないと、町の医者に宣告されていた。両親は藁にもすがる思いで、この男に泣きついた。男は快く承諾し、弟を診察して、何やら怪しい呪文らしきを呟き、真っ黄色のやばそうな液体を飲ませて・・・さあこれで治りますよ、と笑った。弟は実際顔色が良くなって、少し楽になったようだった。今から思えば、あれは軽い治癒魔法と、砂糖水か何か飲ませただけだろう。疲労回復に甘いものは効く。弟は黄色い水を、甘いと言っていた。まあでも、藪医者の気休めでも、良かったのだ。害さえなければ。

 しかし男はそれに留まらず、エリオに目をつけた。報酬として彼に一つ実験をしてもらいたい、そう言った。両親もエリオもその時は舞い上がっていて、二つ返事で頷いてしまった。そしてその時・・・エリオに呪いがかけられた。

 体中の色という色が、おかしくなった。黄色やピンク、赤青緑、様々な色がエリオの体を染め、元々の色を奪い去った。そんなちんけな、けれど非常に迷惑な呪い。男はすぐに逃走し、あろうことかその呪いは、今なお続いている。

「変化を抑える薬を作ったし、呪いに免疫ができて色は大体戻ってきた。でもまだ、この髪だけは呪いの効果を受け続けている。・・・俺が薬学部に入った理由、わかるか? この呪いを、解くためだ!」

 エリオはそう叫んで締めくくり、唇を噛んでうつむいた。エスクードは思わぬ話の内容にかける言葉が思い浮かばず、ううん、と困ったように言葉を探す。エリシオンが苦笑混じりで助けに入る。

「まあ、そういうことでさ。納得しただろ、エスクード? ・・・呪具師の俺が、エリオを構う理由」

 エスクードは非常に微妙な顔で、嫌そうに頷いた。

 ――呪いによって呪いを打ち消す。それは有効な手である。エリシオンがエリオに渡したのは、赤い石のついたネックレス。色が濁ったらまた力を込め直さなければならない。

「同じ呪いを扱う者としては、それを解きもせず逃げるなんて、許せないね。しかもこんな、何年も続くような呪い、普通じゃない。・・・あのね、エスクード。俺は呪いで遊ぶけど、遊びの域を出るようなこと、しないよ」

 エリシオンは苦笑いしたまま言葉を続け、呪具師の誇りを表した。

 

 ・・・ちなみに、エリオの弟が体を悪くしていたのは、小さいうちだけのことである。エリオが薬学部に入ってすぐ作った薬で、彼はもうすっかり健康体だ。

 つまりは、怪しい謎の男の被害を甚大に受けたのは、エリオ一人であったのだ。




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