エリオの一年
エリオは今、薬学部長ムラーノの部屋にいる。白髪頭のこの老人は、優しく気弱げな顔をして、困ったようにその髭を撫でた。 「エリオ君。今年こそはねえ、出てほしいんだけどねえ・・・」 「お断りします」 「そう言わずにねえ。他学部の者だって、薬学部の一番株のことは知ってるからねえ・・・もうそろそろ君のわがままを受け入れられる状況ではなくなってきたんだよねえ」 「わがままでも何でも、俺は出ません。見世物になるために薬を創ってるわけじゃない」 「エリオ君・・・」 すっかり困り顔のムラーノは、口癖のねえねえ攻撃でもエリオが全く動かないのを見て、ため息をついた。 「うーん、こんな言い方はしたくないんだけどねえ、エリオ君。・・・君が一番だってことは、この学部の者は皆知ってるねえ。それでいて君が出ないというのは、二番以下の子達にとっては屈辱なんだよねえ。意味、わかるねえ?」 エリオは顔をしかめて、ため息をつき返す。 「そのくらい、わかります。・・・本当はもっとすごいのがいるのに、お情けで出してもらったんだって、そう謗られるってことでしょう」 ・・・正直、それほどにひとに迷惑をかけてまで出ないというのは、どんなものかと思う。だがエリオは妥協したくない。自分はまだまだだと知っているから、誘いを受けたくない。色々な薬を開発した、けれど自分にかかった呪いはいまだ解くことが出来ない。 ムラーノは心底困った顔をして、それから、しょうがないねえ、と机の上から一枚の紙を取り上げる。 「そう言われると思ってねえ・・・本当は自分から進んで出てほしかったんだけど、もう、登録しちゃったからねえ」 エリオは一瞬息を呑む。そしてその紙を奪い取ると、目を通し、苦々しい顔をした。 「・・・謀りましたね」 ――学期末学部別対抗戦、略して期末戦。各学部五人ごとの登録選手の中には、エリオの名前があった。 かくして、エリオは嫌々ながら期末戦に出ることとあいなったのだ。 薬学部代表の面々は、エリオ以外全員五、六年生だ。間近に卒業を控えた彼ら四人の中、まだ三年生のエリオはどうしても居心地が悪い。別に、悪いことはしていない。だが、何か場違いで、恥ずかしいことをしている気分になる。 だからエリオは、無言でいる。三日後、学部戦がある。そのミーティングだというのに、一人やや離れたところにいる 「・・・てことだからさ、これだけは取りに行かないと」 「いつ行くんだ?」 「今日・・・は無理だから、明日か」 「明日、雨らしいわよ」 「ええ! じゃあ・・・明後日、はちょっとな。前日だしな」 「・・・諦めるしかないんじゃないか?」 上級生が四人で話を続ける。彼らもまたエリオにどう接するか戸惑って、半ば無視する形になっている。 (・・・だから嫌だったんだ) 交わされる会話に耳だけは傾けつつ、エリオは空を見た。晴れて、雲一つない。 次の日、前日の天気が嘘のように雨が降った。ざあざあと音を立てる雨を窓から憂鬱そうに見つめながら、テリオスは学部戦の仲間を待っている。あと二人、まだ来ていない。 「ごめん、遅れた!」 しばらくしてそう言いつつ駆けこんできたティーダは、もう一人の仲間を後ろにつれていた。二年間、学部戦に出るのを拒み続けてきた後輩。何度ミーティングを繰り返しても馴れ合おうとしない、天才エリオ。 そのエリオは挨拶代わりに小さく頭を下げ、それから、 「これ、いるんでしょう」 出し抜けにそう言い、テリオスの前に枯れた草を差し出した。 「え・・・それ、アルテナ? 何で?」 テリオスの後ろから顔を出したポロは、その大きな瞳をさらに大きくさせる。アルテナは枯れたような外見の草で、しかしこれが通常だ。水が切れるとすぐに萎れてしまうので、扱いには注意がいる。薬効は高いがあまり見つからず、十の森の奥に群生していることが知られている。 「取ってきました。これ、三の森に生えてます。知ってましたか?」 全員初耳だ。いや、と首を横に振る。エリオは小さくため息をついて、それをテリオスに押しつけた。 「まあ、別にいいですけど。・・・どうぞ」 そして、自身はもう定位置になった、部屋の隅へと歩いていく。慌ててそれを止める。 「いや、エリオ、ちょっと!」 エリオは肩越しに振り返り、何か、と首を傾げる。テリオスは他の仲間と視線を交わし、 「・・・あの、さ。お前、俺達を嫌ってるってわけじゃ、ないのか?」 エリオは少し目を見開き、それから苦笑する。 「別に、そういうわけではありません。・・・ただ俺は、邪魔者でしょう?」 ――卒業までには間が合ってどこで何をして働くかも考えてない、ただ名前だけは知られていて先輩を押しのけて一番だ、学部戦にも出たくて出ているわけではない、だから邪魔でしょう、と。そう言われ、彼らは横っ面を叩かれた気分になった。 「そ、れは・・・でも。それなら、何で」 取ってきたと、エリオは言った。昨日手に入れるのを諦めたものを、わざわざ一人で探してきてくれた。 エリオはふうとため息をつき、真顔になる。 「・・・邪魔者だからって、好んで邪魔をしようだなんて、思ってませんよ。俺は、自分にできること、すべきことを、やっただけです」 気高い孤高の強さ。エリオという存在の在り方を、彼らは垣間見た。 それきり所定位置に行ってしまったエリオ。しかしティーダがその横に座り、あれこれと話しかけ始める。どうやらアルテナの一件を一番初めに知った彼は、エリオをいたく気に入ったらしい。ティーダは自分の気に入らない者には懐かない。懐いているということは・・・エリオは真実、いい子なのだということだ。 「・・・おし、ミーティング、始めるか!」 歯車が全て噛み合ったような。そんな思いを、誰もが感じていた。学部戦への暗雲が瞬く間に吹き飛んで、暗礁に乗り上げていた船がまた動き始める。 エリオが仲間にいることを、彼らは今、心から歓迎した。 そして学部戦。結果だけ述べよう。彼らは、一位にはなれなかった。しかし善処した。何より彼ら自身が、満足出来た。それならば、この思い出は一位という記録にも劣らない素晴らしいものだ。 仲間とともに、日々遊び、楽しむ。その大切さ、尊さ。記憶は時に、記録を凌駕する。彼らは最後にエリオと共に戦えたその思いを胸に、学校を去る。 そして。 ――創る―― 思えば、これほど尊い行為はない。ひとは道具と火の扱いを覚えて格段に進化した。道具は創るもの。大きな意味で言えば、子どもだって創るもの。 何かを創ることで、ひとは生きていく。シィエス学園は、ひとが何かを創り続ける限り、ずっとあり続けることだろう。
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