一章 “変化の風” 5
シルフィラと光良という二人に接点は別にない。会ったことなどもちろんないし、年も離れてはいないが違うし(ちなみに光良は十五歳、シルフィラは十八歳だという)、容姿も違う。だが、妙に話しが合った。 “コウはどうやら異世界から来たらしい”というおろそかにしていいのかわからないような、一応の結論に達したあと、二人はどうするかを話していた。 光良は何もしていない、と言ったがシルフィラが炎の制御に失敗、あげく暴走しそうになったときその炎の中から助け出したのは彼であった。そのお礼がしたい、とシルフィラは言った。それに、明らかに光良は浮いていた。――すなわち、服装が。 光良は中学三年生で、彼が着ているのは学校の制服である、学ランである。対してシルフィラが纏うのは、ベージュの長袖に黒のズボン、それに麻のローブ。シルフィラのそれは一般的な旅装であり、やはり光良の着る服はどう考えても異質だ。 「とりあえず、町まで一緒に行こう。その服とか、どうにかしないといけない」 光良は頷いた。正直、一人ではどうにもならない。こんなわけのわからないところにいきなりで、どうすればいいのかなど思いもつかない。一番に出会った人が親切でよかった。 シルフィラという人物は、なかなか豪胆な性格のようだ。彼は腰まで届く長い、鈍く輝く金の髪をもち、その目は焼け落ちた灰を思わせる色をしていた。背は光良よりは高いが、大きいかと言ったらそうでもない。光良は百六十五ほどなので、百七十前後といったところか。体つきも、頑強というよりは優男風だ。で、お人よしっぽい感じがする顔。 「というかさ、あんたなんでこんな森の中いたんだ? 俺がここにいたのはまあいいとしてさ、あんたここにいる理由ないんじゃねぇ?」 シルフィラは苦笑した。 「まあ、理由はないけどな。もし未発見の魔獣でもいたら倒しとこうと思っただけなんだ」 「魔獣・・・?」 光良は嫌そうな顔をした。 「そんなもんがいんのかよ? うわー、本当になんでこんなとこ来ちまったんだ? 俺」 シルフィラは今度は声を上げて笑う。 「・・・何だよ、なんかおかしいってのか?」 笑いながら目を逸らす様子を見ると、光良を不機嫌にさせているということはわかっているようだ。 「・・・おい! 俺はなんも知んねぇんだから、しょうがねぇだろ?」 キレたように声を上げる光良に、少しは悪いと思ったのか笑いをとめる。そして急に真面目な顔つきとなって、光良を見つめてきた。 「な、なんだよ・・・」 光良は思わず数歩引いた。――真面目な顔をしたシルフィラは、顔の元々の良さと、その髪目の鈍い色があいまって、なかなか鋭い。怒るのかと思ったのだ。 シルフィラはそうしてあいた距離をつめて、光良の手をとって、その目を上からのぞきこむようにして言った。 「魔獣の存在すら、知らないなんて。魔獣ってのは本当に恐ろしい存在だから、俺みたいな魔術師や剣士が倒してまわってる。ここ数年でその数は爆発的に増えたけど。・・・本当に異世界から来たんだな」 「そ、そっか・・・」 魔獣への憎しみすらこもったシルフィラの言葉に、光良は曖昧に頷いただけだった。 「お前、全然「帰りたい」とか言わないな? 普通、いきなり見知らぬ世界に来たら元の世界に帰りたいとか思うものじゃないのか?」 光良はシルフィラの真剣な声色に、ああ、気遣ってくれてるのか? と考え至った。 「・・・別に、来てしまったなら仕方ない。地球で俺のことを気にかけるやつなんて、どうせいないし。あんたが気にするようなことでもない、大丈夫だ」 そう言って笑う。シルフィラは笑い返さない。つかまれた手が痛い。 「・・・お前、これからどうするんだ?」 「え、町に行くんだろ? 俺の服目立つらしいし。まあ、俺こっちの金持ってねぇから、あんたに肩代わりしてもらうことになるけ――」 「違う!」 シルフィラは強い口調で、光良の言葉を遮った。光良は驚いたように固まった。 「服くらいいくらでも肩代わりしてやれるっての、俺腕いいから稼ぎあるし。そういうことじゃなくて、その後。町まで行ったあと、どうするんだ?」 光良は少し考え込んだあと、結論を出した。 「なんか職でも探すさ。できれば住み込みがいいな、住むとこねぇし」 シルフィラは大きくため息をついた。目の前にいるのが異世界からきた少年だとは思えない。やけにしっかりしすぎている。お人よしなシルフィラは、「俺は見知らぬ世界ではじめて出会った人間なはずなのに、ちっとも頼ろうとしねえのか」と内心思った。それとも、異世界人というやつはみんなこうなのだろうか? ・・・それはすごいな。 「・・・多分今の時代、住み込みで職探すのは難しいぞ。魔獣の活動が活発化するようになって、どこもそんな余裕ないと思う」 そっか、と目の前の少年は考え込む。シルフィラはまたため息をついた。 「・・・よければ、俺と一緒に来るか? なんかお前、放っとけねえ。この世界の常識欠けてるし。異世界人だなんていっても、俺以外簡単には信じそうにねえし。それに――その目。黒檀みたいに純粋な黒。売られちまうぞ、危ねえよ、やっぱ」 光良は驚いた様子で大きく目を瞬いて、シルフィラを凝視した。別に警戒しているわけではなさそうだ。単純に、驚いているんだろう。 「申し出はありがたいけど・・・どうして俺を信用できるんだ、あんた。それに、そこまでしてもらう義理はない。心配もいらない。どうとでも道はあるからな」 シルフィラはさらに言い募ろうとしたが、先に光良が話し始めたので口を閉じる。 「なあ、目が黒いとダメなのか? ってことは、髪が黒いのもダメなのか?」 話題を逸らされた感は拭えないが、シルフィラは答える。 「別にダメってわけじゃない。ただ、黒い色はこの世界ではかなり珍しい。大体は、俺みたいなくすんだ金や赤茶、それに青だな。目は灰色や茶が多いか」 光良はへぇと相槌を打ち、聞いた。 「黒いと売られるのか? 希少だから高く売れるってか? ふーん・・・。じゃあ、髪も目も黒かったら、狙われ放題だな」 「まったくだ」 シルフィラは頷くが、光良は考えこんでしまった。 「・・・あのさ、俺、髪今こんな色だけど、これすぐ落ちちまうんだ。だから、元色黒なんだけど・・・どうしようかな」 げ、とシルフィラは声を上げた。また厄介な要素を抱えているものだ、この異世界人は。 「なんだ、黒いのか、髪も。どうしたら落ちるんだ? それ」 「水で落ちる。そりゃもう一瞬で。こんな事情だったら似合うかどうか置いといてしっかり染めときゃよかったかな・・・」 一日ブリーチがどうだこうだとブツブツ言っている光良を尻目に、ふーん、とシルフィラは頷いて、ずっとつかんでいた光良の手を離した。 「?」 訝しげに眉をひそめた光良に向かって、シルフィラは唱えた。 「水の泡」 同時に光良の頭の上に、直径一メートルくらいの水球が現れた。上を向いてぎょっとした光良が何かを言うより早く、それは破裂した。 ばっしゃん、と豪快な音を立てて地面に落ちる水の対象になった光良は、ひざをついて咳き込んだ。・・・気管に大量に入った。不意打ちにもほどがある。 「・・・おー。ちょっと大きすぎたな、平気か?」 自分でやったんだろうに少し呆然とした声を出して、シルフィラはしゃがみこんだ光良の背をなでてやる。 「いきな、なに、す・・・」 光良は苦しそうに咳を続けながら、聞いた。 「いや、本当に黒いなら確かめなきゃな。・・・でも、本当に黒いな。黒――純粋に漆黒の、黒檀の色だな。これは」 右手で背をなでてやり、左手でその髪を一房とる。シルフィラのそれとは違って肩に届かない程度に切られたそれは、真正に黒一色だった。 「は、なせ・・・」 髪に触れた左手を、光良が弾く。シルフィラは怒った様子で目線を向ける光良に、にかっと笑いかけた。 「・・・でもまあ、これでいいきっかけができたな」 光良が目線で「何が」と訴えてみると、シルフィラはこう言った。 「『危ない』要素が増えたんだ。これでも一人でどうにかするってつもりはないよな? 異世界からきたコウ君。まあ、俺が保護者になってやるよ。放っとけないしな」 しばらくのあと、どうにか呼吸をととのえた光良は、 「勝手に決めてんな、このバカ!」 と大声で叫んだ。 黒檀のような漆黒の瞳と髪を持った少年は、それから町につくまでずっと機嫌を直さなかった。
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