三章 “断罪と死” 17
暗闇が、どこまでも続いていく。光はない。そして全くの無音だ。 ――光良、君には失望したよ。 暗闇を震わせず。無音の中に声が響くという矛盾が起こる。男の声だ。 ――君にはがっかりした。期待を見事に裏切ってくれて。 何を言っている。期待など、勝手にしたのはそっちじゃないか! コウは無音に響く声に、そう言おうとした。だが、声は出ない。ただ、男の声がまた繰り返されるのを、聞いていることしか出来ない。 ――期待には応えるものだと、母親に言われたことはないのか。ああ、あんな女では、そんなこと言いもしないか。 ふざけるなっ! そこまで言われる筋合いはない! 第一、お前なんかに何がわかるっ!! 元はといえば、お前のせいで・・・! コウは、声を張り上げて叫ぼうとする。声が出ないのがもどかしい。今、この場で、この声の主を張り倒せたら、どんなにいいだろう。自分を、母親を愚弄するこの男。 過去の残像。コウの心に、深く癒えない傷を残したこの男に。 ――お前も、あの女も、愚かだ。だから、聖路に捨てられた。 「うるさいっ!!」 叫んだ声が耳に入って。はっ、と、コウは閉じていた目を開いた。汗が額から頬に伝う。目に入って少ししみる。 「・・・何も言っていないが」 新たに響いた声は、さっきの男の声よりなお低く、男らしい声だった。 「夢でも見たか」 一度生唾を飲み込んで、手をつき起き上がり汗をぬぐってから、コウは声の主を見た。 壮年の男だった。刈り込まれた白い髪が、やけに目立つ。というのも、その髪が余すところなく全体真っ白だからかもしれない。その髪と対比するように、目は黒く、強い光をもっていた。 「・・・誰だ、あんた」 コウは不機嫌そうに、その顔をにらみつけた。にらまれた男は、ぴくりとも表情を動かさずに言った。 「名乗らなければならぬ理由はない。そういうお前は誰なのだ。異端の黒よ」 「こっちこそ、名乗る理由はないな」 コウは相手を観察するように、目を細めた。男は同じような目でコウを見て、少し顔を歪めた。 「落ち着いているものだ。自分の置かれた状況を、はっきり理解しているのか?」 そう言われると、視線が随分高い気がする。視線を真下に移してみる。すると・・・。 「えええっ? う、浮いてる?」 コウはそこで初めて慌てた。わたわたと手を動かすが、何も変わることなく浮き続けている。 「落ち着いているのか、ぼけているのか、よくわからぬな」 男は観察した結果というように言葉をまとめて、コウに背を向けた。 「おいっ! これ、お前がやったのか?! 下ろせ!」 コウはその背をにらみつけた。男は振り向きもせず、適当に手を振った。コウの言葉をまともに聞く気はない、ということだろう。コウは怒鳴ろうとしたが、ふと、考えた。 「・・・お前、俺をさらってどうする気だ?」 何が起きたのかよくわからなかったが、視界が真っ暗になる直前、何かが覆い被さってきたのはわかっている。そして気がついたときにはここにいた。 男がコウの方に顔を向ける。黒い瞳が、まともにコウを射抜く。コウはコウで、その目をじっと見返す。しばらく経ってから、男が口を開いた。 「・・・お前は自分の価値を知らぬようだな。異端の黒よ。その存在が、すでに一つの価値だというのに」 コウはいやそうに表情を変えた。 「価値だとかなんとか、そんな他人が決めつけるものに、興味はない。第一なんだよ、その・・・異端の黒って」 男ははじめて表情を動かした。軽く目を見張るようにしてみせた。 「その呼称も知らぬか。一体お前、どこから来たのだ?」 コウは言葉に詰まることもなく、淡々とウソをつく。 「俺は記憶喪失なんだよ。知らないで残念だったな」 男はふむ、とあごをなでながら何かを考えているようだった。その間、コウは男の身なりから、男が何者なのか、考えていた。 全体的に黒い服を着ていた。体はなかなかにがっしりしていて、背は高い。壮年の、黒い目をした男。目つきが妙に鋭い。真っ白な髪は短く刈り込まれている。 「・・・あんた、髪なんでそんな白いんだ?」 コウは相手が何か言うまで何も言うつもりはなかったのだが、気付くとそんなことを聞いていた。男は驚いたように考え事を中断して、コウの顔を見た。 「・・・なぜそんなことを聞く?」 「え、や、なんとなく」 自分でも意味がわからないので、コウは慌てた。男はというと、またしても観察するようにコウの顔を見つめてきた。コウは今度は居心地悪そうに身じろぎした。 「ふむ、ただの異端の黒ではないかもしれんな。記憶がないというのも、何か理由があってのことか。・・・よい。質問に答えてやろう」 男はそう前置きをすると、コウが何か言う間も与えず、話し始めた。
|