三章 “断罪と死” 20
町が火に包まれていくのを、シルフィラは離れた森の中から無表情に見ていた。ここいらはどこも平地なので、町全体を見下ろすことができるような場所はない。だが、その炎の勢いと範囲から、激しく燃え盛っていることはよくわかった。もし今が闇夜ならば、さぞかし美しく見えたことだろう、とそんなことを思っていた。 「・・・魔術師よ。仲間を助けには行かないのか?」 突然響いた声にも、シルフィラは表情一つ動かさない。ただ無表情に、無感動に、前だけを見ている。しばらく経って振り向いたときにも、その表情に変わりはなかった。 「これが俺たちの作戦。助けになんて行かないでも、ミナはあの炎で燃えることはないだろうし、リィンはきちんとミナを連れて戻ってくる」 俺はそれよりも・・・と、シルフィラは男の姿を微笑を浮かべながら見つめる。 「コウはどこ? 一体どうして、コウをさらった? コウには、あんたみたいなヤツが気にする要因は何もないと思うんだけど」 その声には明らかに怒りが混じっていた。しかしその顔は、鮮やかなまでに笑んでいる。真逆の行為をしながら、シルフィラは相手にプレッシャーをかけていた。だが相手もさる者で、口調一つ、表情一つ変えない。 「・・・お前らの誰一人として、あの『異端の黒』の価値を知らぬか。もったいないことをする」 もったいないこと、と聞いて、シルフィラは不快そうに地を蹴り上げた。 「価値だとかなんとか、そういう物事でコウのことを見るな。第一、あんたの目的は何なんだ? なぜ、魔術師をさらう。ここで何をしていたんだ?」 そう聞くと、男はふむと頷いて、あごに手をやった。一人虚空を見るように考え込み、しばらくの間あと「頃合か・・・」と呟いた。 シルフィラはただ、黙って、男をにらみつけている。視線の強さで射抜こうとするかのように、その目は険しかった。 「教える理由はないが・・・本当に聞きたいのか? お前が一番知りたいことは、我が何をしているかなどといったことではないだろう」 シルフィラはその言葉に、ピクッと反応した。ごく小さな反応だったが、男はその様子をみて満足そうに少し笑った。 「お互い、特殊な星の元に生まれたものだな。異端の魔術師よ」 シルフィラは無言で男に一歩踏み出し、突如、森にわだかまる静寂を切り裂く勢いで叫んだ。 「我が求めしものの姿よ、最ある力を成し放て! 水の流!!」 呼び出された水は、川のような流れを保って男に襲いかかる。男は微動だもせず、ただ立ったまま腕を一振り・・・川の真ん中から切り裂かれたかのように、流れは二つに分かたれた。 シルフィラがそれを契機に、素早く男の横までまわりこんだ。まわりこむと同時に、もう一度同じ詠唱をする。男はまた、その流れを縦に裂いた。さらにシルフィラは、もう一度同じ詠唱を繰り返す。男は三度、その流れを断ち切ろうとした。だが・・・。 「我が求めしものの姿よ、最ある力を成し放て! 風の刃!!」 その水の流れが男にたどりつく直前、シルフィラはさらなる詠唱をした。水を切り裂こうとしていた男は、その詠唱に気付きすぐに判断を下し、横に転がるようにして避けた。――男が一瞬前までいた場所に、途端、強い風の鳴る音が響く。鋭利な風で出来たその刃は、先行していた水の流れを、まるで形あるもののように切り刻んで過ぎていった。 シルフィラは詠唱を止め、素早く立ち上がった男を冷たく見る。男はというと、無表情だった顔の上に、ほんの少しだけ感情を表した。 「なるほど。思った以上に、経験は豊富なようだな」 満足そうな表情をしていた。シルフィラは、ただ無表情に男の顔を見返す。 「力は、さらなる力で制するものだろ。力がないものに強い力は扱いきれない」 「ふむ、それもそうだな」 二人の会話は、平坦に、それでいてどこか深く切り込むように交わされていく。 「もう一度聞く。・・・コウはどうした?」 男はその言葉に、からかうように口調を変えた。 「それほどに大事か。価値の一つもわからぬ者が、何故それほどにあの異端の黒を気にする? ああ、それとも・・・ただの同情であるのか?」 シルフィラは、仮面を被ったかのように無表情を崩さない。「あんたには何の関係もないだろ」と事実のみを告げるように、淡々と言い放った。 二人の間に、拮抗状態がしばし続く。どちらも先には動かない。それでいて、相手のあとに動くつもりもない。ただ――時を待っている。 その時、まだ遠くからシルフィラを呼ぶ声が聞こえた。二人はそれを合図にして、同時に拮抗状態を破った。 「我が求めしものの姿よ、最ある力を成し放て! 風の刃!!」 「弾け。火の舞」 同時に巻き起こる爆炎。――火が風をはらんで、爆発したのだった。 「シルフィーっ!?」 その爆発の音を聞きつけたのだろう。リィンが叫ぶ声がシルフィラの耳に届いた。シルフィラは返事を返す余裕もなく、炎に巻き込まれる寸前にどうにか短縮詠唱「水の泡」を発動させ、火傷を負いながらもその場を離脱した。 「シルフィ! 大丈夫かっ?」 駆け寄るリィン。その後ろには手をつないだままのミナも続いている。 「大丈夫だけど・・・どうしよっか。俺じゃ多分、勝てない」 真剣な顔をして見つめてくるその二人に、シルフィラはへらりと笑ってそう告げた。防ぎきれなかった火に焼かれた腕が、ひりついて痛む。シルフィラは短縮治癒魔法を使い、痛みが支障にならない程度まで治した。 「勝てないって、どうしてっ!」 リィンが困惑したように聞いた。シルフィラは答えない。そんな様子に、ミナはいまだ燃えている炎の渦を見て、シルフィラの顔を見て、はっと思い至り顔色を青くした。 「・・・あれ、私の魔力ね?」 ぽつりと呟かれた言葉に、リィンはいぶかしげに眉をひそめる。 「ミナのって、違うだろ? あれは・・・」 「あれは・・・そうだね。ミナの魔力だ。吸収したんだ。あの男の魔力と波長を合わせてはいるけど、根本的なところが違う。あれは、ミナの力だ」 リィンの言葉を遮るように発せられたその言葉に、魔法については専門外なリィンは首を傾げる。シルフィラはそんなリィンを置いといて、炎の向こうの男に大きな声で話しかける。 「つまりあんたの目的は、これだな? 他人の力を奪ってたんだな?」 男は、微笑んでこれに返した。 「そういうわけだ。しかし、もう頃合だろう。ちょうどよく町は燃え、我が研究も秘匿された。そして我が忠実な部下バラスの役も、ここまで、といったところ。収穫は多い。満足だ」 男はふと、右手を横に振り切るように強く振った。炎が一瞬で消え去った。さらにその手を、今度は上へと上げる。小さく口の中で何事かを呟くと、そこには・・・。 「コウっ!!」 空中にふわりと浮かぶ、コウの姿があった。なぜか右手にナイフを構えている。何かに突き刺すように、宙に向かって刺さっていた。 「・・・その壁は切れんぞ」 「あ、お前っ!! 出せってんだよ!」 同時に発せられた言葉。コウの明らかにいらついたその声はかなり元気で、シルフィラたちはなんだか気をそがれた。 「手に入れたモノを手放すものなどいまい。・・・少しは落ち着いたらどうだ?」 男はうんざりしたように言う。コウはその口調に呆れのようなものを感じ取って、一人憤慨する。 「お前が出せば、勝手に落ち着くってのっ!!」 それでも、出すわけがないとはわかっている。わざわざ捕まえたものを逃がすなどありえないからだ。しかし、捕まえられた理由もわからないのに落ち着くことなど出来るわけがない。 「・・・コウをさらおうとする理由は?」 その時、空気を切り裂くように冷たい口調で、シルフィラが聞いた。途端、その場は黙り込む。鳥が炎から逃げ惑う音が聞こえるほどに。 「・・・言う理由はないが、教えておいてやろうか。その後のお前の反応が楽しみであるしな」 男は独白するように呟いて、そして一呼吸置いて、言った。 「この少年には、他人の魔力を増加させる力がある。・・・自身に魔力はないがな」 コウは口をあんぐり開けて、男の顔を凝視する。シルフィラ以外の他二人も同じような反応をしていた。 「・・・そっか。納得した」 「納得したか。それは良かった」 ・・・おいおい〜! 納得すんなよ?! シルフィラがぽつりと呟いた言葉に、コウは内心焦った。シルフィラはその焦りを知ってか知らずか、男に向かってにっこりと微笑んだ。 「それで、俺がコウを『道具として』取り返すと思ったんだろ? なめるなよ、アホ」 そしてなんの予告もなく。短縮詠唱「風の刃」と「水の流」を同時に使った。その二つの魔法は、明らかに短縮詠唱ではない威力で男に向かって襲いかかった。 「でも・・・あんたを倒すためには利用させてもらう」 ミナっ! と大きな声で呼ばれ、ミナも魔法を使いだす。その場はいきなり魔法合戦の舞台となった・・・。
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