fate and shade 〜嘘と幻〜

間章   4





 パシャリ、と小さく水音を響かせながら。

 腰ほどまで伸びた真っ赤な髪は、炎に愛されたかのように鮮やかな赤だ。いや、本当に愛されているのかもしれない。ミナは『炎の愛し子』だから。

 ――愛し子の存在は、正確に認知されたものではない。だが確かに、精霊に特別愛された人間がいるのは事実だし、ミナがその“特別に愛された人間”であることも事実だ。本人の希望無しに一方的に愛されても、迷惑なものだが。

「・・・また赤くなったわね」

 泥や汚れを落として鮮やかさを増した赤色に、ミナはため息とともに声を出した。小さな頃から随分と赤かったのだが、年を経るごとに、さらに赤くなっていく。二十歳を越えてもまだなお色が濃くなる、というのはやはり精霊の影響があるとしか思えない。

 ミナは、間違っても精霊を嫌っているわけではない。その赤い髪も嫌いではない。真っ赤な色が重荷になるようなことや厄介な出来事を起こすこともあったが、それでも間違いなくその髪を、色を嫌っているわけではない。

 炎も嫌いではない。むしろ大好きだ。炎は味方だから。焚き火の火は温かいから。

 何が嫌いかと言えば・・・火事だ。何もかもを焼き尽くす火事が、燃え尽くす火事が、全てを灰と化してしまうあの火事の存在が、大嫌い。炎が嫌いなこととどう違うのだと聞かれれば難しい問題だが、ミナの中ではその二つはきっぱりと分かれている。

 炎は好き。火事は嫌い。

 赤い髪と対比するように、肌の色は白い。あまり焼けない体質なのか、いつも外を歩き回っているのに白かった。その肌の白ささえも髪の色を強調するかのようで、どちらかといえばもっと焼けたい。白い肌に憧れる若い娘は多いが、賞金稼ぎであるミナにとっては無用の物だ。

 小さく小さくため息をつく。

「・・・憂えてるね〜?」

 同時に耳元で聞こえた声に、ミナは思わず叫び声をあげそうになって慌てて悲鳴を殺す。

「・・・ちょっと! 驚かせないでよ!!」

 そうしてから体ごと視線を右へ向けると、先刻コウの横に浮いていた時と同じように、黒精霊がふわりふわりと浮いていた。

「ごめんね? 驚かせるつもりじゃあ、なかったんだよー。許して?」

 黒精霊は両の手の平を合わせて首を傾けながらそう言う。そんな姿に向かって、ミナは両腕を胸の前に組んで、鼻息荒く告げる。

「で、何の用?」

 ぶっきらぼうに言われた言葉を気にすることなく、黒精霊はずかずかと話題に踏み込んでくる。

「うーんと、ね。お姉さんのこと、気になったんだー」

 そして可愛いらしく笑って、

「炎の愛し子のお姉さん。町一つ燃やすほどの『力』を用いた、その気分は?」

 実に的確に、ミナの心を暴くためだけに、わざとその話題に触れてきたのだ。リィンはもちろん、シルフィラも、コウでさえもわざと言い出さなかった話題・・・ミナは一瞬殺人的なまでに視線をきつくしたが、相手が謎の黒精霊だと思い直すと、怒りもわずかに薄れた。

「・・・いやなヤツ。わざとそんな聞き方をして。ええ、気分は・・・最高に最低よ」

 ミナはミナでそんなヒネくれた回答を返し、冷たい目で水面を見た。

「最高に最低? どうしてー? だって、あの町にはお姉さんの敵しかいなかったのに。コウにとっての敵しかいなかったのに。それに、精霊はお姉さんを守ろうとしたんだよ? そんなこと言ってないでホメてあげなよ〜」

 ミナはその言葉に、皮肉を込めない純粋な笑みをこぼす。

「敵だ味方だということに関係なく、私は、町一つを簡単に燃やし尽くせるようなこんな『力』、いらなかった・・・」

 ――敵、味方、というならば、一番欲しかったのは守るための『力』だったのかもしれない。

 ミナは自嘲気味に考えて、水面を大きく蹴り上げた。そして、下ろす足を黒精霊向かって叩き込む。

 ぼちゃんっ・・・と軽い音が一つ。

「生意気言ってると、今度は燃やすわ」

 ミナは吐き捨てるように言い置き、水の中に沈む黒精霊を片手でひょいとつまみあげた。

「ひっどいよ〜! ボクが何したの!!」

「色々」

 ミナはあくまでそっけなく、黒精霊はその手を払うと自分一人で宙に浮き上がり、ネコのように体をブルルと震わせる。

 ミナは堂々とその場に立ち、優位を誇るようでも、感情的になるようでもなく、淡々と言い足す。

「それに・・・あんたとの付き合いも、シルフィラやコウとの付き合いも、それほど長引くものじゃないわ。私の話なんて、する必要もないの。あんたに教えなきゃいけない義理もない。もちろん、詮索される覚えも、ね」

 堂々と。あくまでもどこまでも堂々とした物言いに、ミナの一層赤く鮮やかになった髪が呼応するように揺れている。先から垂れるしずくが水に小さな波紋を何個も何個も描きだすのを見ながら、黒精霊はしばらく黙っていた。

 ほんのしばらくだけ沈黙が出来て。

 黒精霊はまたさっきと同じ笑みを見せて、言った。

「生まれたままの、一糸もまとわない姿での宣言。ウソ偽りなんて絶対つけないねっ!!」

 ミナは何も答えずに、体をタオルでぬぐって着替えを身につける。

 そして、聞き取れない早さの詠唱で「火の槍」をつくりだして、きれいに笑いながら黒精霊にお礼を言った。

「信じてくれて、ありがと。じゃあお礼に食らっといて」

 ――川の流れに、すさまじい水蒸気が立ち上がったのはそのすぐ後のこと。




前へ   目次へ   次へ