四章 “オブ・セイバ” 15
扉を引いても押してもやはりびくともしない。窓はないので割れない。壁は厚くて蹴破れない。床も抜けなかった。 「・・・コ〜ウ。まだー?」 黒精霊が、飽きたとばかりに口を出す。コウはそれでも何かを探すように、広くはない部屋の中を歩き叩き蹴りまわっている。 「・・・だーっ! 畜生! どうしろってんだよ!!」 だが結局はキレて、扉の前に陣取るように座り込んだ。その背に、黒精霊はけらけらと笑いを浴びせた。そしてそのままふわりとコウの顔の前まで移動し、にこっと笑いかけた。 「だからさ、コウ。名前を付けてよ〜」 「だーっ!! だから、何でそうなる!」 疲れと焦りでキレ続けるコウの言葉に、黒精霊はさらに笑みを深くする。 「だってさ、コウは無力だもん。この扉を開けることも出来ないもん〜」 うっ、と言葉につまるコウ。黒精霊はさらに、その独特の口調で告げる。 「この魔法ばっかりの世界で、コウはあり得ないほど無力なんだよー? ヒトの魔力を強く出来ても、その他人がコウの味方とは限らないでしょ〜? この扉を開けられないのだって、コウにとっては未知数の『魔力』ってモノのせいだし、ね」 だから・・・と、黒精霊はもう一度繰り返す。 「コウ、名前を付けてよ〜」 コウは射抜くように黒精霊を見つめ、それでも自分の無力を痛感している今、軽々と言い返すことも出来ないで押し黙る。そのコウに、黒精霊はくすりと一つ笑う。 「あのね、他人の力だって、自分の力と同じに考えていいんだよ〜? ボクは、助けてあげるって言ってるんだから、うまく使えばいいんじゃないのかなー? だからさ、ホラ、名前ちょーだい!」 ・・・最後は「ちょーだい!」か!! コウはそう思ったが、同時に、黒精霊の言葉に揺り動かされた。今の事態を打開するために――非常に悔しいが――自身の力がどれほど役に立たないのかは、よくわかった。 「・・・メシア」 その一言。怒りでか、屈辱でか、震える声で囁く。黒精霊は聞き取れなかったかのように首を傾げる。コウは唇を噛んで黙り込んでいたが、バッと顔を上げると、目の前に浮かぶ黒精霊に掴み掛かる勢いで叫んだ。 「メシアだっ!! この、生意気な、嫌味なネコめ! 勝手に救世主気取ってやがれっ!!」 黒精霊はしばらくその名前の音を呟いていたが、結局はにこりと笑いかけて、 「うん、それでいいや〜!」 とあっけらかんと言い放った。そして間髪入れず。 「じゃあ、行くよ〜!」 ばったんっ、という音とともに、扉が向こう側に倒れた。 宿屋に帰ることなく、シルフィラは一直線に 「あー、いやな因縁!」 吐き捨ててさらに歩き続ける。ぶつぶつと、いやみのようなことを繰り返している。 「一度つながりが出来ちゃうと、いつまで経っても消えないもんだね・・・」 シルフィラはグチの最後をそうしめてから、ひたすらに黙り込む。 朝から昼へ、日は移り。昼から夕へ、また移り変わろうとしている。 開いた(倒れた)扉の先がまだ明るかったことに、まずはびっくりした。もうとっくに夜になっていると思っていたが・・・それほど長い間閉じ込められてたわけじゃないということを理解して、コウは思った。 こんなちょっとの時間日の浮き沈みがわからなかっただけで、間隔って狂うんだ・・・。 だがそうして考えてるヒマなどないことに瞬時に気付いて、状況確認を開始する。 ――高さは木と同じくらい。エレベーターあるわけなし! エスカレーター・・・もとい階段なし。・・・どうやって上ったんだ? ここ。 高い塔のようでもあった。その頂上にぽっかりと、扉のあった場所が穴を開けている。少し離れた所にたたずむ木の高さが、ちょうど同じくらい。だが乗り移るのは相当苦労しそうな距離だ。 「コウ、下ろしてあげようか〜?」 黒精霊――現在の名はメシア――が言えば、コウは憮然と返す。 「あの木まで飛び移る。下ろしてもらうなんて真っ平だ」 短い距離で出来る限り助走をつけて、コウは全く躊躇なく空に飛び出した。空中で無理矢理体をひねるようにして、何とか木に飛びつく。だが掴みきれずに、地面まで滑空するようにずり落ちていく。 「しょーがないなぁ・・・。はいっ!」 そのかけ声とともに、コウの垂直落下の勢いは緩やかになり、すんでのところで、地面に叩きつけられはしなかった。 「・・・余計なことするなって、言ってるだろ!!」 そうメシアのことをにらみつけたコウは、全身擦り傷だらけになっていた。なんとか勢いを殺そうと必死にしがみついた手の平、頬・・・硬い樹皮に削られて、服にもささくれのように傷がついていた。 「ボクはボクのやりたいようにするんだもーん。コウに命令される筋合いはないよ〜」 メシアは、ふわりふわりと浮かびながら動き出す。コウはその前に素早く立ちあがり、警戒しながらも歩を進める。 メシアはくすくす笑いながら、その背に従う形でついていく。コウは逆なでされる機嫌どうにか鎮めながら、絶え間なく聞こえる呪文のような言葉の、その出所から遠ざかろうとする。だが、コウは壁に突き当たった。文字通り、壁に。巨大な壁に。 全長何メートルほどなのか、正確にはわからないが、なんの道具もなしに登れるような高さではない。しかも、なんのとっかかりもないそれを登りきるのは、たとえ道具があっても至難の技だろう。 「ほーら、コウ。今度こそボクの出番だよね〜?」 コウはその言葉に答えず、きょろきょろと辺りを見回す。そして壁の近くに、壁よりは低いが、登れるような木を見つけた。その木まで歩みを進め、四苦八苦しながらも登り始めるコウの姿に、さすがのメシアも呆れ始める。 「さっき言ったのにー。他人の力だって自分の力だ、って」 コウは壮絶に木登りをしながら、しぼり出すような声で答えた。 「だからって・・・他人に頼るなんて、イヤなんだよ・・・!」 長い時間をかけて一歩一歩着実に登りつめた先には、さらに上に向かってそびえ立つ高い壁が。きっと飛び移っても失敗するだろう高さが余っていた。それでもコウは、呼吸を整え、覚悟を決めて飛び移った。 ――落ちたら無事ですむ高さではなくても。逃げようと思ったのにこんな意地をはるのはバカだとわかっていても。 他人の力をアテにしないですむ、強い自分が欲しい。 『しょーがないなぁ・・・』 呆れた声はかろうじて聞こえる程度。コウは、絶対失敗するだろうその高さを、声の後押しを受ける形で成功した。だが、壁の上で体を支えきれず、向こう側へ向かって真っ逆さまに落っこちる。 一瞬体が感じる強い風。助けがあると、無意識に思っていたのかもしれない。冷静な思考は働いていて、落ちている自分をわかっていて、それでも慌ててはいなかった。 ――地面に叩きつけられる寸前、ぐしゃり、と何かがつぶれる音がして、コウは他人事のように、それを聞いていた。
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