四章 “オブ・セイバ” 19
『お前は、選択を間違ったんだ。だけど、大丈夫だ。まだいくらでもやり直せる。・・・俺は、お前の幸せを第一に考えているんだ。ああ、お前が幸せになれないならば、そんなものは今のうちに切り捨てるべきだ。間違いなく、な』 ああ、いやな言葉。自分の中に、毒のように染み込む甘くてねっとりした声。でも、まだましなほうだ。自分の前には、壁がある。どんなに薄くても、それがたとえ透けていようとも、直接言われてないぶん、まだ・・・。 自分に言い聞かせながら、意識を徐々に覚醒させていく。 まだ・・・まだ・・・、まだ? まだ、なんだ? どのくらい、マシだってんだよ? コウはそうして、その言葉に対するやり場のない憤りとともに目を開けた。なので、寝起きはばっちりサイアクだった。 「――あんた、コウ・・・だよな?」 ああん?なんだコノヤロウ。八つ当たり気味に視線を声の主へと向けると、なんの変わったところもなさそうなごく普通の青年が、コウのことを上から見つめている。 「・・・誰だ、てめぇ」 コウがすごんでみせると、青年はほんのちょっとの間を置いてから、「さっき言ったと思うけど・・・ラン、だ。シルフィラの友達」と言い、それからなんだか言いにくそうな様子で、「・・・ところで、平気そうならどいてもらえるか?」と続ける。 コウは、青年の腹に抱きつくような形でうつぶせになっていた。露骨に顔をしかめて、コウは素早く離れた。 「・・・礼もなしかよ?」 ランドールが呆れ気味に言えば、コウは傲然と言い放つ。 「助けてくれなんて、言ってねぇ」 それを聞いたランドールは、「うわヤなヤツ」と早口で言い、立ち上がった。立ち上がりコウを見下ろす形で上から見て、「・・・なるほどな」と意味深に呟いた。その呟きに何か含むところを感じたコウは、問おうかと口を開きかけたが、そこに第三者の声がぱっと入り込んできた。 「コウっ!!」 そして、いきなり首が絞まった。 「ちょ、首、締まってる・・・!」 苦しい息の下言葉を発すると、絞める力がちょっと緩んだ。 「お前、何巻き込まれてるんだよ! しかも一人で逃げ出してるし! いや、よかったけど!」 一人で三回ツっこんだリィンは、安堵と混乱で極致なようだ。ミナが「落ち着け過保護」と頭を平手ではたいても、勢いは止まらなかった。 「怪我は? なんか変なコトされてないか?! 実は腕一本なかったとか言わないかっ?!」 「う、腕? ある、よな・・・ってか、ないわけないっての」 リィンの気迫に押されて思わず自分の腕を確かめてしまったコウは、気恥ずかしさに頬を染め、後ろから抱きつくような形でまだ首元に抱きついているリィンのその後頭部を、どべしっ、と強くはたいた。 「早く放せっての!」 はたかれたリィンはさほどダメージを感じていないのか、けろりとした顔でその手を放した。 「ラン、あなたが助けてくれたの?」 一通り落ち着いたところでミナが聞けば、ランドールは首を横に振り、「いや、落ちてきた。アソコから」と壁の上を指差す。 「アソコからって・・・相当な高さだけど、まあ、黒精霊がいたなら話は別よね」 ミナが少し驚きながら言葉を添えると、今まで沈黙を守っていた黒精霊――メシアがどこからかひょこりと姿を現して、ミナの言葉を否定した。 「それはちがうよー? コウは、「自分の力でなんとかするっ!」って言って、アソコから飛び降りたんだよ〜。ボクの力じゃないよ? ちょっと手助けしたけどねー」 その言葉にミナとリィン、さらにランドールまでもが、本当か、と詰め寄ると、コウはしっかりと頷いた。 あ、それから、ボクの名前はメシアになったから、そこのとこよろしく〜、とさらに一言黒精霊が付け加え、コウはもう一度視線で問われるが、それにもしっかりと頷いた。 「・・・なんだか色々あったのかもしれないけど、とりあえず、一旦ここから離れるわよ。狙われてるのはコウなんだから、ここに留まるのは危険だわ」 中で何をされたのか、危険なことがなかったかと問い詰めたい気持ちがリィンにはあったが、ミナのその考えはもっともで、こくりと縦に頷いた。 今更ながらに警戒し沈黙し、足音をひそめて歩き出す一行の中、ランドールだけが、ほんの少しの時間だが、その場に立ち止まっていた。地面に転がるモノを見て、拾い上げて、考えて・・・思った。 小さな頃から変わっていないところが、キチンとあるんだな、と。 拾い上げたモノ・・・それは、小さな人形だった。上半身と下半身が真っ二つに割れた、ごく小さな。あの高さから落ちてきた人間一人受け止めて、全くの無傷なはずないもんな・・・と、黒い少年が落ちてきた壁の高さと見比べながら、ランドールは微かに笑う。 ランドールが渡されたこの人形は、お土産だと言われて、昨日シルフィラに無造作に投げ渡されたモノだった。けれど、この人形が、ただの人形でなかったことは明白だ。ぐしゃり、と響いた生々しい音は、ランドールの怪我の身代わりになったこのお守りが発した音だったのだ。 ランドールの怪我を、たった一回肩代わりするお守りだったのだから。
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