四章 “オブ・セイバ” 20
宿屋に戻る途中、コウは歩く一行の顔ぶれが違うことを強く意識し始めた。ミナ、リィンはここ数日で見慣れているが、一人、全く見知らぬ顔が混じり込み、そして一番知っているはずの顔が、いない・・・。 「・・・アイツは?」 壁の建物から十分に離れたあと、コウは呟くように尋ねた。その声に振り返り、だが歩みを止めることなく、リィンが答える。 「多分、あの中だ」 あのが指す場所がどこかは明確だ。コウは思わず振り返り、コウを閉じ込めた忌まわしい壁の建物を見つけようとする。だが、その姿はすでに遠くへ消え去っていた。 「一人で・・・?」 そう呟いてから、コウは呆然とした。――たとえ二人いようが五人いようがたいした変わりはなくても、“一人”だということが強調されてしまって。 「・・・あいつは強いから、平気だ。それより、あんたを安全なところまでつれていくのが、俺たちの役目だ」 ランドールがそう言い放つ。その声音が妙なことに敏感に気付いたコウは、逡巡するように立ち止まる。だが止まるとほぼ同時に、リィンに肩を抱かれるようにして無理矢理歩かされ、コウはそのまま歩き続ける。 ――ランドールの声は、無機質で無感情で、でもなぜか、自分に言い聞かせるような言葉で。 コウはうつむき加減に歩いて・・・すると、その耳に、メシアの声が突然入る。ふと視線を上げるが、コウ以外の誰にも聞こえていないようだった。 声は繰り返し、コウに問う。 『知りたい? 見たい? 心配?』 コウは心の中で、心配なんかするかっ! と吐き捨てる。するとその声が聞こえたかのように、メシアの声がさらに響く。 『知りたければ、見せてあげる。見せてあげる、コウだけに。シルフィラのこと』 コウは答えず、さらにうつむく。 ――何を思って、たった一人、あの壁の中にいるのだろう。コウを助けるため?そうなのだろうか、本当に。得にもならないのに?なぜ? コウは無意識に、小さく、すぐ横に歩くリィンにすらわからないほど小さく頷いた。その視界の中が、今見ているものと別の映像に瞬時にすり替わったのはすぐ後だった。 ――見たことはないが、それは教会というモノなのだろう。ステンドグラスの原色様々な色の光が差し込んで、向き合う二人の人物がその下に立っている。ステンドグラスには背を向け、祭壇のようなものの前に立つ人影は、細身なシルエットが床に不気味に影を下ろして微笑している。対するのは・・・見慣れた鈍色の金の髪を背に長く垂らした、シルフィラの姿。背後では、大きく小さくあの呪文のような声が波のように響いている。 「・・・人聞きの悪いことをおっしゃる。因縁などと、悪い方向へとるべきものではないでしょう。貴方が私に出会ったことも、今ここに二人で話していることも、オブ・セイバの少年が現れたことも、貴方の出自も・・・この世の何もかもは、全て運命によって成り立っているのです」 聖職者のような格好をした男は微笑を浮かべたままの表情で、シルフィラに甘く囁きかける。 「ならその運命こそ、因縁だよね?」 シルフィラの声音は落ち着いていて、絶えず微笑を浮かべている。ステンドグラス越しの光がその顔に当たっていて、ほのかに赤く色付いている。見目いい顔が、その赤色でどこか妖しくも見える。 「因縁は、因果ですか? それは貴方にとって、とても関係の深い言葉でしょうね。それにしても、貴方はいつ見ても美しい・・・」 うっとりと囁く男。シルフィラは、眼前に落ちてきた髪を後ろにはらいながら鮮やかに微笑を深める。その様子がどこかなまめかしくて、普段のシルフィラとは明らかに違って。 『ねえ、コウにはわかる? シルフィラは、このあとこのヒトをどうするんだろう。コウをさらって、罪を犯して、悪に染まったこのヒトを』 ハッと、コウは気付いた。メシアが何を言いたいのか、理解したのだ。 ――シルフィラは、この男をどうにかしてしまうかもしれない。殺そうとするかもしれない。 ふっと、視界が元に戻った。教会の色鮮やかさに比べれば、とても味気ない、灰色っぽい町並み。そこにはあの妙な呪文は届かないし、聖職者のような男のまとわりつくような甘い声も聞こえない。 コウは、立ち止まった。引きずるように進もうとするリィンの腕を振りほどいて、いきなり駆け出す。あの壁の向こう目指して。 「コウっ!!」 リィンが後ろから叫ぶが、コウは止まらない。 「メシア・・・! お願い、してやるっ! 俺を、あのおせっかいのバカのところまで運べ!」 メシアはいつもの通りの間延びした声で、「わかったよ〜」と返事をし、そしてコウはその場から掻き消える。 呆然とした様子のリィン、呆れた顔をしたミナ。ランドールは一人、薄く笑っていた。 「本っ当に、シルフィラそっくりだ・・・」 素直じゃないけど、本当はいつも誰かのことを想ってる。シルフィラがランドールにあげたお守りも、危ない場所にわざわざ戻っていったコウという少年も。・・・バカかもしれないけど、素直じゃないけど、本当に、いつも誰かのことを大切にしてる。――ただ、それを伝えられないだけで。
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