四章 “オブ・セイバ” 24
「・・・異端の王よ!!」 近付くと聞こえたシルフィラ以外の誰かの大声に、コウは警戒しながらさらに進む。シルフィラの声がする。けれど、遠くて何を言っているのかよくわからない。コウは素早く、陥没した箇所まで進んだ。 「・・・俺は、人間じゃないんだから」 妙に余韻の残る声。大声ではないのに、耳に音が残るのはその声音のせいだろうか。その言葉の内容のせいだろうか。 「・・・お前、何言ってんだよ」 気付けば、コウはそう口にしていた。ひどく硬い声なのが、自分でもわかる。それというのも、さっきの言葉のせいだけではない。・・・シルフィラのすぐ横に、寄り添うように浮かぶ巨大な鳥のせいだ。様々な青を混ぜたようなその羽は、地についてもまだ余るほどに長かった。コウの声に反応して向けられたその瞳は、血の色を流した夕焼けのような色をしてコウのことを見つめてくる。 「全部本当、なんだよ。・・・コウ」 巨大な鳥と同時にこちらに向いたシルフィラの表情が、悲しそうに笑っている。 「全部・・・って」 コウが硬い声のまま尋ねれば、シルフィラはそんなコウに向けて静かに言葉をこぼしていく。 「俺の母親は風の上位精霊で・・・、俺は精霊と人の間の子。人間じゃ、ないんだよ」 コウは知らずその頭を横に振って、「ウソだ」と呟いた。シルフィラは同じように首を横に振って、「ホントウだよ」と断言する。 「・・・ウソだっ!! じゃあお前は精霊? コイツと、同じだってのか?!」 コウが指差す先に浮かぶ黒精霊――メシアの姿を見て、シルフィラはまた横に首を振る。 「違うよ・・・。黒精霊は、純粋に精霊だ。俺みたいに、合いの子なんかじゃない」 さらに言い募ろうとするコウの言葉を遮るように、また別の声が割り込んだ。 「すばらしい・・・なんてすばらしいんだ!! その精霊は・・・。その純粋な漆黒は・・・!!」 その時初めて、コウは男の姿を視界に入れた。同時に、男が叫ぶ。 「貴方は、異端の黒なのですねっ!!」 異端の黒。その言葉に、メシアはなんということもない様子で軽々と首を縦に振った。 「うん。キミたちの言葉で言えば、それが一番近いかなー?」 そしてふわりふわりと浮かんだままで、可愛く首を傾げた。 「でもね、ちょっと違うかなー? ボクは、キミ達が信仰してる“異端の黒”と、オナジだけどチガウものだからね〜。カケラっていうかー、それぞれが個性を持っちゃったっていうかー、分裂したっていうか・・・」 うーん、とメシアは考え込んで、 「よく、わかんないや〜」 自分のことなのに、よくわからないと投げ出した。 「・・・無責任だな、オイ」 コウが半眼になってにらめば、メシアは満面の笑みで「だって、知らないもーん」と可愛らしく笑んだ。 「それはですね、きっとこういうことなんですよ」 そこに、妙に親しげな声が割り込む。コウは半眼を凶悪的なほど歪めて、その声の主を顧みる。 「・・・そういや誰だ、アンタ」 一見聖職者のようにも見えるその見知らぬ男に、当然の疑問を投げかけるコウ。だが男は、聞こえていないのかどうなのか、酔ったように自分の言葉を続けていく。 「通常私達が示す“異端の黒”というモノは、遠き近き伝説の中で魔術師の祖に精霊を教えたモノであり、今は私達を楽園に導いてくれると信仰される存在です。楽園とはどこか? それは、場所ではなく時ではなく心の平安・・・それであると、普通、言われています。異端の黒・・・実はその存在が、たった一つの伝説として語られているわけではないということを、知っていますか?」 「・・・おい、黙れよ。何勝手に言ってんだ」 コウは男の暴走に横槍を入れるが、止まる気配はない。 「そう、異端の黒の伝説とは、一つではないのです! それは地域や人によって伝えられた話に変化を生じますが、核となるのは、異端の黒が精霊というモノを教えたということ・・・。楽園へと導く存在である、体中から数多の羽を生やしていた。それらの有名な事実は、後から付け加えられたか、もしくは他の逸話が混じっているものと思われます」 「・・・おいっ!」 コウは大声で、話を遮ろうとした。すると男はぐりん、とゴム人形のように首をコウへ向けて、作り物の笑みを浮かべた。 「黙ってお聞きなさい、オブ・セイバよ。シルフィラは事の本質を少なからず理解していますが、貴方は違うでしょう。いわば、貴方自身に一番近いモノである“異端の黒”に、理解しているならばそのような態度、口調はとらないはずですからね」 そして、そのずうずうしい言葉に二の句が継げなくなったところを見計らい、男はさらに説明を続ける。 「“異端の黒”・・・私はそれを、多くの精霊が結合した姿。さらに言うならば、精霊というものの元々の形にあたると思っています。これは予想に過ぎませんが・・・この小さな異端の黒は、その形が多くの精霊に分かれた時に、一番純粋なものとして残ったものだと思われます。自然に存在する四属性のものではなく、属性や特質に縛られない精霊・・・すなわち、“異端の黒”として」 コウは話にのみこまれたように硬直した。そして、シルフィラがぽつりと呟くまでは、固定されたままだった。 「・・・つまりは、四属性を司る精霊よりも、なお精霊の大元に近い存在だって言いたいわけなの?」 男はその通りだとばかり、大きく頷いた。 「うーん、キミ、すごいねぇ〜! 詳しくはボクもわからないけど、うん、そうなのかもしれないな〜」 メシアは感心してしきりに手を打って喜んだ。その様子をしばらく見つめていたシルフィラは、まだ完全に理解したわけではなさそうなコウをじっと見た。 「・・・なんだよ?」 見つめられたコウが訝しげに返せば、シルフィラは淡い微笑みを言葉にのせて、 「異端の黒は、“異端”の発祥だよ。異端の黒が精霊全ての大元だってことなら、精霊は異端の存在だし、精霊を知る魔術師の存在はもちろん異端だし、精霊の子供でもある俺は間違いなく本物の異端だ・・・」 コウは独白のようなシルフィラの言葉を聞いて、苦々しい声で呟いた。 「・・・それを言ったら、俺ほど“異端”ってヤツが似合うのもいないだろうが」 シルフィラがその言葉を聞き止めてつと視線を向けると、コウはうつむき加減に言葉を続ける。 「俺は・・・お前が信じてるかどうかは知らないけど、この世界の・・・」 言葉は、何かにさらわれたかのように途切れた。シルフィラは一言、「信じてるよ」と言ったきり黙りこむ。そして、もしこの場がコウとシルフィラの二人だけなら、間違いなく会話はそこで途切れていたが、そこにはまだ、三人目四人目がいた。 「・・・なるほど、実に素晴らしい! オブ・セイバ。貴方にも、ヒト並みならぬ事情がおありのようですね」 男は感慨深げに頷き、きらきらと光るような、興味に満ちあふれた目を今度はコウへと向ける。その男に、メシアがまた無邪気な目を向けた。 「うん、色々あるんだよ〜。それにしても、ボク嬉しいなぁ! おじさんみたいに、異端ってモノを好きなのが、人間の中にもいて。やっぱり、魂の色が違うよねー?」 「そうですね・・・魂、というのですか? これは。異端のモノというのは、世間から隔絶されながらも世界に特別に愛されていて、その存在が浮き立って見えるのですよね・・・。もちろん貴方も、異端の黒よ。・・・おじさんは余計ですがね?」 そうかな〜? とメシアは疑問符を投げ、男は、そうですよと優しく諭すように投げ返す。そして、男の興味は、最終的に自分が興味を持ち、相手も自分に興味を持っているメシアへと向けられた。 「それにしても、異端の黒よ。貴方は、大元から派生したということですが・・・」 「うん、多分そうなんだと思うけどー、それがなーに?」 男の問いに、メシアは小首を傾げる。男は柔和な笑みを浮かべ、 「大元の“異端の黒”の姿・・・それを、覚えているのですか?」 メシアは一瞬何を言われたのかわからない様子でキョトンとしたが、それからちょっと考えて、 「うーんと・・・覚えてるって、いうのかな〜? ボクは、キミが言う“異端の黒”と途切れた存在じゃないしー、ボク自身が一つの異端の黒でもあるからー、えーと・・・」 メシアは、小首を傾げすぎて空中で一回転してしまった。そして回転したすえの答えは、ハイかイイエではなかった。 「えとね、ボクは、なろうと思えばー、キミが言ってる“異端の黒”の姿になることも出来るよ〜? それ、覚えてるって言うのかなぁ?」 すると男は、すでに輝いている目をさらに輝かせた。変なヤツ二人の会話に入ろうともしないコウ、シルフィラの二人は、メシアの言葉と男の様子になんだか良くない予感を感じ、徐々に二人から距離をとっていく。 「・・・はあ」 シルフィラのため息に視線を転じたコウは、思わず顔を引きつらせた。・・・じりじりと後退するシルフィラの横に付き従うような形で、巨大な鳥がいまだそこにいたのだ。 「お前・・・! ソイツ、どうにかしろよ!」 コウが怒りと困惑を混ぜ込んだような妙な声でシルフィラに訴えると、シルフィラは怪訝な表情をして、コウの視線をたどって、そこに浮かぶ巨大な青い鳥を見て、ああ、と思い至ったように手を打った。 「どうにか・・・か。早くこの場から消せ、ってコウは言いたいのかもしれないけど、呼んだからには、活躍してもらってからだよ」 コウの声に返ってきたシルフィラの笑顔は、思い出したように、男と向かい合っていた時の冷たさを取り戻した。そして、いまだ変なヤツ同士話を続けている二人の元へ、不意打ちでその鳥を送り込んだ。 「行け・・・ラヴュスト」 コウが止める間もなかった。シルフィラは思い立ったら即行動、とばかりに迅速に命令を下し、その鳥も実に俊敏に、巨体を男に向けて空を滑った。 男の体に無数の風が突き刺さり、鋭い鉤爪とくちばしが届こうというその瞬間。 「・・・止めよう」 いつの間にか、男の目の前からは黒精霊の姿が消えて・・・ただ漆黒の空間が、その場を埋めて。その声と同時に、ラヴュストと呼ばれた青い鳥の動きは、時間を止め静止した。 「・・・止めよう。この者は、己が愛を一身に受けたいと申し出た。己は答えよう」 漆黒の空間は流れる煙のように姿をゆらりゆらりと変え、ナニカ別のモノが、少しずつ、形を成していた。
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