四章 “オブ・セイバ” 25
ただ、愛しています。 告白のようだと他人は言うだろう。これが本当の告白では、何がいけない? 恋焦がれて、精霊の主に愛を語っては、何がいけない? ――それは、叶わぬ愛ではあるが。 黒き髪、黒き瞳、それに、四対の黒き翼をもち、数多の黒き羽を体中にそなえしモノ。 多く、人々の語りの中に表される異端の黒の姿・・・それは、実に的を得ていた。黒い髪、瞳、四対の翼、秩序なくあふれる羽。見事にその通りの姿であったが、まだまだ説明不足な部分もある。髪は風きり羽みたいに長く、数多の羽はうろこのようにも見え、手足には長い鉤爪を持ち、目の真ん中には刺すようにとびきり目立つ銀色が光るということ。少なくとも、このくらいはさらに付け加えなければならないだろう。 「おお・・・!! なんて、なんて素晴らしい・・・!」 男は感銘しきって言葉もない。その首をふるふるとゆらすばかりだ。まばたきもしないで食い入るように見つめている。 「答えよう、応えよう。お前は何が欲しい? お前が望む、愛はなんだろう?」 異端の黒は、どこから出るのかわからないような、深くて高くて低い声を響かせ、男に問う。男はあえぐように口をぱくぱくさせていたが、それから大きく三回深呼吸をし、宣言した。 「貴方を、私の収集品へ! ずっとそばにいてください!!」 それは、無垢な若者のように純粋な・・・愛の告白だった。 「・・・アイツ、バカだろ」 コウは、男の歓喜の叫び声にうんざりした様子でため息をついた。そして、シルフィラが同意するだろうと思って言ったのだが何も返事がなく独り言になってしまったことにいぶかりを覚えて、目をシルフィラに向ける。 シルフィラは、険しい表情で異端の黒と男のことを見ていた。だがしばらくして、シルフィラの目が向く先に、もう一つの存在があることに気付いた。 巨大な、青い蒼い鳥・・・シルフィラがラヴュストと呼び、男へ向かって先刻けしかけたモノだ。それは、異端の黒の横に並ぶように静止して、ぴくりとも動かない。あと、コウの腕一本ほどの距離で、男に迫る位置だった。 「・・・しゅうしゅうひん? それは、なんだろう? ・・・ずっとそばにいる? そんなことは、改めて望むことでもない。そうだろう?」 異端の黒は、妙な抑揚のついた言葉を操って、背中にある四対の翼を震わせる。男はその言葉にうっとりと、けれど物足りなそうに頷いた。 「・・・収集っていうのは、閉じ込めて二度と外に出さない、ってことだよ。お前、精霊の大元なのに、そんな男の望み、聞いてやるつもりなのか?」 突然、シルフィラが言葉を挟む。その声にひそむのは、間違いなく怒りだ。 「望みは、聞こう。・・・でも、外に出れないのはイヤだ。己は束縛を受けない。精霊は束縛を嫌う。ただ、愛したいモノを愛しているだけ」 異端の黒はシルフィラの言葉をふまえて、男に声を返した。男は、「そうですか・・・残念です」とため息混じりに言い、それからわざと少しの間を置いて、 「でも・・・私は、貴方を手放したくはありませんねぇ・・・」 と、ねっとり絡みつくような声で微笑んだ。その笑顔になにか危機的信号のようなものを感じたコウは背筋に冷たいものが即座にはいのぼったような感覚に陥ったが、シルフィラは静かな怒りを爆発させるように、鋭く一声、「ラヴュスト!」と呼びかけた。 ・・・だが、呼びかけよりも一歩早く、異端の黒の姿が縮んだ。元の大きさに戻ろうとしているのかもしれない、始めはそう思わせるものだったが、ぐんぐんと、何かに吸い込まれていくように小さくなっていくその様子に、コウはすぐさま異変を感じ取った。 「ラヴュスト!」 シルフィラがさらに呼ぶ。叫ぶように。巨大な鳥は、今度こそ宙を掻っ切って動き出した。だが、その鉤爪が男の喉元に届く寸前、異端の黒と同じように小さくなってその場から消え失せた。 「・・・・なん、てことを!!」 シルフィラが叫ぶ。普段の温和な様子から想像も出来ない怒声にコウは驚き、シルフィラと、得体の知れない男との間で目をうろうろとさせた。 男は、震えている。シルフィラはきつい視線を絶え間なく男にそそぐ。しばらくすると、男の震えの中に声が混じり始めた。 声は、徐々に大きくなる。・・・笑っている。笑っていた。 「ふ、ふふふはははは!!! 今日は、素晴らしい日ですねぇ、シルフィラ! 貴方が、この出会いをつくってくれた。私のために!! この素晴らしすぎる出会いの機会を、もたらしてくれた! はは、ふふふふ・・・」 狂気に走った目で笑う男の手には、手の平に収まってしまうような小さな小さなビンがあった。ビンの口は閉じている。けれど、そこに封印として張ってあったのだろう黄色と赤のリボンが、破けていた。 「閉じ込めたのか・・・?」 コウが呟く。信じられない、といった調子を混ぜて。シルフィラは、肩をいからせて強い視線を男に注ぎ、 「精霊を愛す、と言いながら、どこまでも自由なはずのその身を束縛する・・・それが、お前の愛し方かっ!!」 叫ぶ。男は満ち足りた表情をして、 「・・・愛でてこそ、いとおしいのでしょう」 ただ、微笑む。うっとりと、手の平に収まるほど小さなビンを、優しく優しくなでながら。壊れモノを扱うように、繊細な手つきで。 「こ、の・・・愚か者っ!!」 シルフィラは一番大きな声で叫び、男に向かって駆け出した。前を駆けていくシルフィラの手に、光るモノ・・・コウにとって、見覚えのある光。――ナイフ。折りたたみのような小さなモノだが、その刃の輝きは、刺し方によっては十分人を傷つけ、殺せるモノ。 「お前なんか・・・っ!」 泣きそうな声で、地に倒した男の喉元にナイフを突きつける。 ――緊迫。 コウは、その光景を息を止めて見ていた。シルフィラは肩で大きく息をつき、喉元に突きつけたナイフの刃が、ぶれて男の肌に当たる。男はそんな状態でも、微笑を絶やさない。 「・・・精霊を、少なからず憎んでいながらも、いざその関係を絶たれるとこうして混乱するのですか」 男は、ひどく優しい声音でシルフィラに呼びかけた。シルフィラは小さく反応を示し、ナイフの刃が男の喉に少し食い込んだ。つ、と血が伝う。 「・・・人間をうらやみ、精霊をうらやみながら、そのどちらをも憎んでいる。貴方は、かわいそうですね。本当にいとおしい存在です」 シルフィラは、男の喉に傷をつけている刃をさらに押し込もうとする。そこに、二人だけのその空間に、別の悲鳴が紛れ込む。 「やめろ・・・!」 それは、まさしく悲鳴であった。シルフィラと男、二人の目が同時にその声の出所に向けられる。 「やめろよ・・・何してんだよ!」 その悲鳴は、コウだった。目をいっぱいに見開いて、こちらもどこか泣きそうな声で、必死に訴える。いつものような、冷めてひねくれた様子がどこかへ消えていた。なりふり捨てたような必死さで、もう一度叫んだ。・・・やめろ、と。 「・・・なぜです、オブ・セイバ? 私は、貴方のような人を今まで何度も信者達のいけにえにしてきました。もちろん、貴方自身のことも。――その私を、守ろうとするのですか?」 柔和な男の笑みは、底が知れない。コウに問いかける声はどこまでも優しく、包み込むようで。コウは、弱々しく首を横に振る。 「違う・・・。お前じゃない。お前なんかじゃ、ない」 そして、泣きそうな声と表情を、真っ直ぐにシルフィラへと向けて。 「殺すなよ・・・やめろよ! ヒトゴロシのことを、俺は恩人だなんて思わないからなっ! 今すぐ、そのナイフを捨てろ! ・・・シルフィラ!!」 コウの言葉は、まるで覆いを外したように素直だった。シルフィラはコウのその言葉に驚き、鬼気迫るような怒りの表情は、風に流れるように溶けていった。 シルフィラは、ナイフを収めた。男の上から体をどけ、男とコウのちょうど真ん中辺りまで、コウへ向かって歩く。男の持っていたビンを、しっかりと握りしめて。 必死なコウの表情に中に別の感情も読み取り、シルフィラは申し訳なさそうに、そして安堵の様子も浮かべながら、 「・・・初めて、名前呼んでくれた」 嬉しそうに微笑んで・・・「ありがとう」と、一言だけ。 コウはハッとして、今さらながらに顔を赤くして、そっぽを向いた。覆いをまたかけたのだが、間違いなく、その覆いは格段に薄いモノになっていた。 「・・・知るか! 帰るぞっ!」 シルフィラは頷いたが、「ちょっと待って」とコウを引き止め、振り向いた。 「・・・犯した罪は、裁かれなきゃ」 ぎょっとしてコウがもう一度叫ぼうとしたが、シルフィラはその手に持ったビンのふたを開ける以外、行動をとらない。コウは叫びかけたままの口を、ぱくりと閉じた。 もくもくと煙が立つように、黒いナニカが出てくる。それはこごまった体をほぐすように形を取る。現れたのは、ネコのような姿――黒精霊、メシアだった。 「うー・・・何? あ、キミ、何するのぉ!」 メシアは視界の中にコウ、シルフィラ、男を捕らえ、男の姿を見た途端、かわいらしくそう怒り出した。 「いきなり閉じ込めるなんてー、すごい大胆! ボク、驚いちゃったよ〜」 無意味に自分の体を確かめているメシアの横に、もう一つの姿が出来上がる。それは青を蒼いままに凝縮したような、巨大な鳥。紅い目を周囲にさ迷わせ、シルフィラの元へ戻った。シルフィラは迎え入れるように両手を広げ、鳥の姿はすっと宙に消えていった。 「・・・黒精霊」 シルフィラが静かに話しかける。黒精霊は指をぴんと立て、「今はメシアだよ〜!」と明るく言う。そして、首をちょっと傾げながら、「なぁに?」と尋ねる。 「ソイツ、コウを閉じ込めて、あげく餌食にしようとして、さらにラヴュストとお前を窮屈なビンの中に封じた。罪は、裁かれるべきだけど・・・お前が一番被害に合ってる。お前が裁くのが、一番いい」 シルフィラは静かな声で続け、反応を待ち言葉を止める。メシアは一瞬驚いた顔をして、「ボク?」と聞き返した。シルフィラは一つ頷く。 「・・・うーんと、裁く、かぁ。どうしようかな〜? コウだったら、どうする、って聞くまでもないよねー。また、「どっかの孤島にでも飛ばして」だよね? うーん・・・」 悩むメシア。そこに、男が口を出す。 「・・・私には、裁きを待たなければいけない義理は、ないのですがね」 困ったような顔をする男は、けれど逃げるつもりもないようだ。一歩も動くことなく、綺麗な立ち姿はそのままだ。 「・・・ふざけんな」 コウがドスをきかせるが、男は本当にわかっていないのか、困った顔を崩さない。その時、メシアは小さな手をぽんっと打って、「決〜めた!」と嬉しそうに笑った。 「やっぱりね、この前と同じにする〜! ずっと向こうの孤島まで、飛んでいっちゃえ!」 メシアは、決断をすると早い。すぐに、男は何か言う間もなく、元からその場にいなかったかのように姿を消した。
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