五章 “幻日” 11
そしてまた、朝が来た。 一番に目覚めたのはコウだった。ぼんやりした頭を振りながら、布団の上に座り込む。いつも以上に、外がまぶしく感じた。 「あれ・・・コウ、早起きだね?」 雑魚寝同然に床に敷き詰められた三枚の布団・・・その右端から、声がする。眠たげに目をこすりながら毛布をはいで、コウと同じように座り込む。鈍金色の髪が外の明かりで明るい金になる。光輝いてきらきらする。 「・・・もう、朝?」 今度は、コウの左側の毛布がもそりと動く。現れた顔はまだ眠いと主張していて、それでも目をこすりながら起き上がる。コウとシルフィラの姿を捉えるカーヤの薄茶色の瞳は、眠気にか少し潤んでいた。 非常に微妙な配置である。寝起きはいい方であるコウは、一晩を過ごした後とはいえ、苦いものをかんだような顔を浮かべる。 コウの寝床は、シルフィラとカーヤの真ん中。もちろんコウはかなり嫌がったが、なんだかんだで丸め込まれ、それ以上、絶対イヤだと頑固になるのも億劫になり、結局毛布を引っかぶって寝てしまったのだった。 「・・・おはよ」 シルフィラが誰にかわからないが、笑いを含んで言う。 「・・・おはよ、シルフィ。おはよ、コウ」 カーヤはそれに答え、温かい声でコウに挨拶をする。コウは、憮然とした・・・というよりも困ったような、テレるような素振りを見せながら、大分間を置いた後、言った。 「・・・はよ」 朝は、巡ってきた。三人は今日、旅に出る。 決めたのは昨日。シルフィラはまた旅に出ると言った。コウは当てもなくシルフィラについて行くと言った。カーヤは・・・もう戻らない覚悟をしていたのだろうか。二人のその言葉を待ち望んでいたのかもしれない。 旅に出る、と。 ついていく、と言った。 シルフィラは反対した。コウは、何も言わなかった。 結局カーヤの決心は微塵も揺るがず、そして、三人で旅をすることに、なった。 「挨拶とか・・・は」 「しないわ」 「でも、カーヤ・・・」 「しないわ。あたしはここに、帰らないって決めたの。でもきっと、村の人に知れたら力づくでも止められてしまう・・・だから、しないわ」 一度決めたら、くつがえさない。決心とはそういうものだ、とカーヤは言う。 「・・・いいんじゃね?」 コウはその言葉に賛同するように適当なことを言う。シルフィラは生真面目に、でも、と反論する。・・・自分の育った場所を出る、その寂しさは身を持って知っているからこそ。だがコウの言葉は、必ずしも適当に言っただけではないようだった。 すっ、と前を指差して、コウは言葉を続ける。 「だって、アレ」 カーヤとシルフィラはコウの警戒したような声音に、その指の先を見て・・・。 「・・・アイス?」 こちらを見つめる姿に、気付いた。 髪は明るい茶。濃い茶色の目は、こちらをにらみつけている。カーヤが小さく息を呑む。そして、シルフィラとコウ、二人の前に出る。まるで二人を守るように、アイスの視線を真っ向から受けてにらみ返す。 アイスが、杖をつきながら近付いてくる。それを迎え撃とうとするようにカーヤは仁王立ちし、ある程度の距離を開けてアイスが止まった瞬間、鋭く聞いた。 「また、罵倒しにきたの。理不尽な理由をつけて、何もしてないシルフィのことを」 アイスは何も言わない。 「・・・何よ。それとも、あたしの自由を束縛する? アイス、そんなあなたはもう、あたしの友達じゃないわ。シルフィの友達でも、ランの友達でも、シンパスの友達でもない。たった一人よ。誰ももう、アイスと一緒にいたりしない」 アイスはまた、何も答えない。カーヤがしびれを切らしたように、金切り声を上げた。 「何よ! 何か言いなさいよ!!」 だがアイスは、やはり答えない。憤りからか肩を震わせるカーヤに、シルフィラがそっと触れた。 「・・・いいよ、カーヤ。いいんだ」 それは、ひどく優しい声。カーヤは唇を強く噛む。 「アイス・・・俺は、出て行く。この村にはもう来ない。シンパスが見つかったら・・・その時は、カーヤも、ランも、シンパスも、みんな、帰ってくるから。一人じゃないから」 そして、カーヤの肩を抱くようにしてゆっくり、アイスの横を、通り過ぎる。 コウが、後に続く。地面をにらみつけるアイスを見て、その横に少し、止まる。 「・・・言いたいことは、言わないと伝わらねぇよ。言わなきゃいけないことは、後でじゃもう遅いんだ」 驚いて、顔を上げる。黒い瞳が、アイスを見ている。 「・・・お前」 コウは言うだけ言って、さっさと横を通り過ぎた。似合わない言葉を・・・と自嘲する。 カーヤとシルフィラは、村の入り口辺りで立ち止まっていた。振り返って村を見つめるカーヤの目は、やはり、寂しそうに細められていた。 コウが、二人に追いつく。待っていたように、カーヤは村を背にした。 「・・・いいんかよ?」 歩き出す背に、コウが尋ねる。カーヤは優しい声で、いいのよと答えた。 ――村と言っても、小さな集落だ。何人かの人間が寄り集まって暮らす、共同体のようなものだ。村の誰もが家族であり、閉鎖的ではあっても、そこにしか自分の家はなく。カーヤの決意は、故郷を失う選択でも、あって。 村を、出る。森へ一歩を踏み出す。 「カーヤっ!!!」 後ろから、叫び声。聞き慣れたその声に歩みだけが落ちる。後ろ髪を引かれるような思いを感じながらも、カーヤは振り向かない。振り向けない。 「・・・絶対、帰って来いよっ! 待ってるから、ずっと待ってるから!」 シルフィラが小さく振り向くと、アイスはその目を、シルフィラへ注いでいた。思わず、足を止める。 「シルフィ、行こ。行こうよ」 カーラはその隣に足を止め、泣きそうな声で、言う。振り向きたいのに、振り向けない。色々な感情がないまぜになって・・・つらい。 「・・・絶対、絶対帰って来いよっ! その時は・・・シルフィラ、お前も一緒だからな!」 その言葉に、シルフィラは完璧に体ごと振り向いた。信じられない、という表情を浮かべて、首を横に振る。アイスはまた、叫んだ。振り返ったシルフィラの顔を、遠くからじっと見つめて。 「お前達が、笑って帰って来れるように、するからっ!!! また全員がそろえるように、俺は俺で、頑張るからっ! 待ってるから!」 カーヤが、肩を震わせる。声を殺して・・・泣いている。シルフィラは首を振るのをやめて・・・そして、満面に笑みを浮かべた。 「・・・帰る、からっ! 必ず、帰るからっ! みんなで、一緒に!!!」 そして、大きく大きく、手を振った。 ・・・長い間、そうしていただろうか。シルフィラはやがて歩き出した。カーヤはもう、泣き止んでいた。涙の残る頬を放りっぱなしで、シルフィラに向かって太陽のようにぱっと笑った。 「・・・ありがとっ!!! お前も!!」 最後に一言。その言葉にびっくりして勢い良く振り返ったのは、コウだった。 遠くに見える人影は、振り返ったコウに向かって強く手を振った。コウはその様子を唖然と見ながら・・・徐々に、笑みになった。 「ありがと、だって・・・。何言ったんだよ、コウ?」 明るい声でシルフィラに問われて、コウは、意地悪い微笑を返した。 「・・・さーあ?」 ――しかしその声は、シルフィラ同様、とても明るかった。
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