五章 “幻日” 4
「俺がみんなと違うってことにわかりだしたのは、五歳の誕生日が近い頃。――もっと小さな時から、どうして母親がいないのかは不思議に思ってた。でもたいして気にもしないで、五歳になろうとしてた。・・・その頃俺は、外で遊ぶのが楽しくて仕方なかった」 回想してみる。毎日同じコトをしてても全然飽きず、その日その日がずっとずっと、今よりずっと長く思えた。 「みんなと一緒に遊ぶのが楽しかった、ってこともあるけど・・・一番の理由は、風が好きだったから。強く吹く風、優しいそよ風。そんな風が、好きだった。風にのせてもらいたい、って思ってた。そうしたらある日・・・」 シルフィラはそこで、コウと視線が合った。いつの間にか、コウがしっかりとシルフィラのことを見つめている。シルフィラは微笑んで、 「風が、のせてくれた。地面から高く高く浮かんでね、大人だって登るのに苦労するような高い木の上に、登らせてくれた。・・・まあ、下りられなくなったんだけどね」 苦笑する。そう、結局は下りられなくなって、夜も遅くなってから、探しにきた大人達が苦労して下ろしてくれたのだ。その中には、シンパスもいた。シンパスはシルフィラの居所を予想して、大人に混じって探してくれていたのだ。その時、驚いたものだ。――シンパスが、シルフィラの行く場所を予想した。それは、常々その行動を見ていないと、出来ないことだから。シンパスは、泣きべそをかきながら木から下りたシルフィラの頭を軽くはたいて、彼にしては珍しく、怒った顔でただ見つめた。言葉にされるよりも強く、怒ってるということも心配したということも伝わってきて・・・シンパスは、言葉より簡単に感情を伝えるすべを知っていた。 「・・・つまり、その時初めて、魔術師として、精霊の力を使ったってわけか?」 コウがたずねる内容に、シルフィラはゆるやかに首を横に振る。 「違うよ。・・・あの時は、魔術師として精霊の力を使ったわけではない。いくら魔力が強い魔術師でも、詠唱もなしに数十メートルも飛べないよ。俺はあの時、母親の力を使ったんだ。風の上位精霊である、母親の・・・」 コウが、眉をしかめる。シルフィラは、二呼吸分、間をとった。それからまた話し出す。 「・・・精霊が、ヒトとの間に子供を産めると思う?」 コウは、答えない。精霊というものを理解しきっていないコウにはわからないだろうことは、シルフィラはわかっていた。その答えは、自分で言う。その問いも、自分のために。 「ムリだよ、絶対・・・普通はね。じゃあ、どうして産めたのか? ヒトとの間に、子供を成せたのか。それはね、コウ・・・俺を産んだのが、上位精霊だったからだよ。下位、中位、上位とある精霊の中で、一番高位に位置する存在」 シルフィラはそこで、もう一度コウに問いかける。 「コウ、下位、中位、上位精霊の、一体どこが違うんだと思う?」 コウは普段のように一刀両断的に「知るか」と切り伏せはせず、考え込んで目を伏せる。しばらく待っても、答えは出ない。ゆるやかに、首を横に振る。シルフィラは自分のほおに手をやり、空中にほおづえをつくような格好をする。 「違いって言っても、難しいかもしれない。力の強さと思うかもしれないけど、持っている力は、ほぼ同じなんだ。存在する場所も、同じ。じゃあ何が、大きな違い? ・・・感情。それだ」 下位も中位も上位も、精霊にとっては区別ない。区別するのは、人間だ。最も、魔術師ですら見たことがない存在を、どうして区別できるのか? その理由となるのが、いわゆる上位精霊と呼ばれる、ヒトと同じような感情を持ち、ヒトと同じような姿になれる精霊。 「喜んだり、怒ったり、泣いたり、嬉しいと思ったり・・・ヒトなら当たり前のことだけど、精霊にとってはそうじゃない、らしい。俺が精霊と会ったことはないんだけどね? でも、黒精霊見てるとそう思えないんだけど・・・」 そうして苦笑い。黒精霊メシアの姿は、今はない。コウのブレスレットの中か、それとも他のどこかか。姿が見えなければ、その違いもわからない。ひどく曖昧で、不確かで、それでも絶対と言えるほど当たり前になっている、精霊という名の謎。 「・・・上位精霊は、ヒトに恋が出来る。ヒトを愛せる。時に、ヒトとの間に子供が生まれることもある。そんな時――その精霊は、子を成すと同時にその存在を、この世界の中から消し去る。簡単に言えば、消滅する。いや、子を成すというより・・・ヒトと交わった場合、と言うべきかもしれないね」 ・・・交わる? と、コウは理解しきっていない顔をする。シルフィラは一つ頷いて、 「まあ、ヒトと仲良くした精霊は、精霊としては出来損ない、ってこと。精霊は、自然の中に生きて自然の中で消えていく、そうであるべきだから・・・」 淡々とした言葉の中に、少しだけ混じる悲しげな響き。コウはぴくりと眉を動かし、何か言いたそうに口を開くが・・・何も言わずにまた閉じた。 「・・・ヒトを愛しちゃいけない。そういうわけじゃあ、ないよ。精霊が愛しちゃいけないのは、ただ一つのダレカ、ナニカ。精霊が愛するべきは、この世界そのものだ」 コウは少しうつむき気味に、その言葉を反駁する。『世界そのもの』が何なのかは、わからない。言葉にすれば、たったそれだけだ。だが、世界とは何だ?そのものを愛するとは、どういうことだ。自然は世界か。ヒトは世界にいないのか。 「・・・コウ。精霊とヒトは、違う。俺は精霊じゃないけど、ヒトでも、ない。そう、きっと。だから、コウより少し、精霊の視界をわかってる。・・・でも、あれはヒトの頭じゃわからない。俺はそう思うよ」 憂えたような表情で、一つため息。シルフィラはそこで、コウに笑いかける。 「・・・まあ、それは気にすることじゃないよ。俺の父さんは人間、母さんは精霊。俺はその子供。それは変わらない。それに・・・俺は父さん、母さんのこと、好きだ。だから、ちょっとくらい半端でも、いいよ」 コウはその言葉に嫌そうに顔をしかめ、 「・・・自分で半端とか言うな」 硬い声で告げる。その中にどこか悲しそうな響きが混じっていたことは、隠してもにじみ出てシルフィラに伝わる。シルフィラはただ、穏やかに笑いかけた。 「・・・そうだね」
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