fate and shade 〜嘘と幻〜

五章 “幻日”   6





 一番に見えた人家はほったて小屋のように粗末ではあったが、ところどころ強固に補修され、長いこと使われ続けていることは明らかだ。

「・・・誰じゃ?」

 その小屋に近付くと、誰かが二人に声をかけた。どこから、と思ったが、小屋の裏手から杖をつきながら出てきた一人の老人のモノだとすぐわかった。

「爺さん、俺達は・・・」

「・・・里帰り、って言ったら、わかる?」

 そこでシルフィラが口を聞く。そして老人は警戒した様子でシルフィラをにらみつける。

「お前は・・・」

「・・・わからない? そうだね、俺は育った。大きくなった。・・・髪ものびたね。色々変わったかもしれない。でも、俺は覚えてるよ。・・・シーリア爺さん、年を取ったね」

 慈しみを込めた言葉。その言葉で、シーリアと呼ばれた老人ははっと気付く。そして、今まではただ疑問と警戒しか込めていなかったその目の中に、今度ははっきりとわかるような敵意の色を浮かべた。

「・・・シルフィラか。お前なのか」

 激情を押し殺したような声。震えているのは、そのせいだけか。老人は足を踏ん張り、杖を両手で構えて立つ。

「久しぶり、シーリア爺さん」

「気安く呼ぶでないっ!!! 一体、何をしに来たっ! ・・・この平和な村を脅かすか?!」

 コウがその言葉に反応して何か叫ぼうとするのを、シルフィラはす、と手を差し伸べて止めた。

「・・・この後、誰が何をしようと、絶対何もしないで。いいね、コウ」

 シルフィラは有無を言わせず、そのままコウの前に立った。老人の姿は、コウからは見えなくなる。・・・意図的なものだ。コウはシルフィラを押し退けようとするが、その前に、老人の杖が意外な力強さでシルフィラに殴りかかる。横に動いて、それを避ける。

「っ!!」

 コウが硬直する。そこにもう一打、老人が殴りかかろうとする。だがシルフィラはその杖を持ち、動きを止めた。

「・・・言っただろ、里帰りだよ。歓迎されないのは元々わかってる。それでも俺は、帰らなくちゃいけないから帰ってきた。中に入れてもらうよ」

 冷たい、声。コウは思わず、シルフィラの服の裾を強く引く。シルフィラは驚いた顔で一瞬振り返り・・・コウの表情を見て、苦笑い。

「別にとって食おうってわけじゃないんだから、そんな顔、するなよ。コウ」

 ・・・わからない。今、どんな顔をしているのか。不安そうな顔? 怒った顔? 責める顔? さあ、どれだ。それとも、この中のどれにも当てはまらないだろうか? 俺だって言いたい。なんでそんな声を出すんだ? そんな冷たく、酷い言葉で。お前らしくもない。

「・・・シーリアっ!」

 そこに、目前の老人より大分若い声が叫ぶ。シルフィラはぱっと目を戻す。コウも、シルフィラの身体の横から声の方向をのぞいた。――かがり火が・・・。それと、走る音。いくつも、いくつも。

「シーリア! どうした、無事かっ!」

 また別の声が叫ぶ。かがり火が近付く。そしてシーリア老人は杖から手を離し、そのかがり火の方向へと一目散に走っていく。杖をついていたとは思えない動きだ。シルフィラは、追わない。かがり火が二人の姿を照らし出す。

「お、前は・・・その髪の色、目の色・・・まさか?!」

「その、まさか。久しぶり、ロアおじさん」

 ロア、と呼ばれた男が、一歩二歩進み出る。顔面が、青ざめていく。シルフィラが今どんな顔をしているのか・・・コウには見えないが、予想は簡単だ。きっと、笑っている。微笑を浮かべているのだ。

「な、ぜだ・・・。なぜだっ?! なぜ、今更・・・!!」

 信じられない、と言った口調。ロアの後ろにひかえる男達も、徐々に声を大きくしていく。その顔にもまた一様に、信じられない、なぜ。その言葉が浮かぶ。

「・・・帰れ!帰るんじゃっ!! 今帰るならば、何もしないでいよう。じゃが、もし帰らぬようなら、容赦はせん! 帰れ、帰るんじゃ、シルフィラっ!!」

 そこでまた、シーリア老人が声を上げる。その叫びをきっかけに、男達の声がどんどんとふくれあがっていく。

「シルフィラ・・・あいつか、あいつなのか?」

「なぜ、今更?」

「復讐か、復讐をするのか?! 俺達に!」

「忌み子が・・・なぜ、帰ってきた!!」

 その声。間違いなく、歓迎などという生ぬるい言葉とは無縁だ。突き刺さる針のような、コウですらわかるほどの明確な殺意なのに、シルフィラは悠然と立っている。だが、ある一点に目をやった瞬間、びくりと身体を震わせた。

「・・・おい?」

 コウがいぶかしんで声をかけるが、シルフィラはその一点を・・・ダレカを見つめて答えない。

「・・・アイス」

 ぽつり、とシルフィラが呟く。それと同時に、男達のざわついた声がす、と静まる。

「・・・生きて、たのか」

 片手に老人のそれのように、杖を抱えて近付く男。まだ若い。かがり火に燃えるような明るい茶の髪、目は同じく燃えるように、だが果てなく暗い色をたたえた、濃い茶。右足をひきずりながら、シルフィラの真正面まで歩いてくる。『生きていたのか』その言葉は聞きようによってはその事実を喜ぶものだが、今この時は、絶対の確信をもって、それは違う、と言えた。・・・深い憎しみを抱くその目で、真っ直ぐ、シルフィラのこと以外は目に入らないかのように見つめているから。

「・・・なぜ、死んでいない。なんでだ? どうしてだよ。答えろ・・・答えてみろよ、おい、シルフィラっ!!!」

 山の中に響く叫び声。その声には、向けられた本人であるシルフィラだけでなく、周りに群がる男達までもがたじろいだ。

「アイス・・・」

 シルフィラがかすれる声で呼びかける。だが返るのは、どこまでも憎しみにまみれたアイス、と呼ばれた男の声。

「・・・その名を、呼ぶなぁっ!!!」

 そして、支えにしていた杖を握りこみ、シルフィラへ向かって強い力で振り下ろす。シルフィラの背を引き、コウは空振りした杖を蹴って遠くへ飛ばす。杖が目の前に転がってきて、男達は、その杖が恐ろしいものだとでもいうように輪を描くように避ける。誰も、拾わない。アイスは体勢を崩し、尻餅をついた。

「アイス・・・」

「呼ぶなと、言っただろっ?! お前なんて、お前なんて・・・死ねばいいのに! なんで、俺がこんな身体にならなきゃいけなかったっ?! 全部、お前のせいだ・・・!!!」

 強い、憎しみ。アイスは足元の石をかき集め、手当たり次第シルフィラへ向かって投げつける。シルフィラは甘んじてそれを受けようと・・・もしくは、ショックで避けられなかったのかもしれないが、コウが弾き飛ばし、一つも、シルフィラへは当たらなかった。

「なんでだよ、なんで・・・!!」

 悲痛な声に、シルフィラは強く唇を噛む。決心が萎えそうになる。コウは鋭い瞳でアイスをにらみ、アイスは他の何も目に入っていないというようにシルフィラだけを見つめ続ける。――硬直。アイスの叫びだけが、音も伴わず絶え間なく押し寄せる。

「・・・や、だ。やめてぇっ!!」

 か細い、女の声。シルフィラとコウは、つと目を向ける。男達をかきわけ前に出ようとする、少女の姿が見え隠れする。男達は行かせまい、と少女を押し留めている。硬直が、解ける。シルフィラが泣きそうな小さい声で、くしゃりと笑う。

「・・・カーヤトッニ。カーヤ、だよね?」

 シルフィラの声に、男達は無駄と知る。押し留めようとしていた少女の身体を離し、するり、と前に出る。アイスが、その少女にも憎しみの瞳を向けた。

「・・・カーヤっ!」

 叫び声に、少女は毅然として応じない。きっ、と強い視線でアイスを見返し、

「アイス、あたしは嬉しいわ・・・あなたと違って!!」

 唇を噛んでアイスを睨みつける少女・・・シルフィラはもう一度、優しく呼んだ。

「カーヤ・・・。いいんだ。俺は歓迎されてないよ。わかってる、わかってたから・・・」

 カーヤと呼ばれた少女は、その言葉にいやいやとかぶりを振る。

「私は嬉しい・・・誰も、歓迎してない人なんていない・・・!!」

 その悲痛な叫びに、言葉を返したのはコウだった。

「・・・ざけんな。これだけしっかり「歓迎しませーん、出て行きなさーい」って表してんのに、歓迎してないヤツなんていない、なんてどうして言えるんだ?」

 バカじゃね? とカーラに向けた瞳は、恐ろしいほど暗い色。言われたカーヤだけでなく、シルフィラもアイスも、男達も皆、その言葉に黙り込む。コウはさらに続ける。

「ウソつき女。とんだ甘ちゃんで・・・。お前みたいなヤツがシルフィラのこと待ってただなんて、信じらんねぇ」

 ――常にないほど、とがった言葉。シルフィラは目を丸くする。なぜこうまで冷たく暗い目をするのか、酷い物言いをするのか、まるでわからない。実を言えば・・・コウにもわからなかった。ただ、言葉が出てきてしまうのだ。心の、中から。

 カーラは一瞬、泣きそうに顔を歪めて・・・唇を噛んで、耐えた。コウの前まで真っ直ぐ歩いてくると、さ、とその手を振り上げた。

 パァンッ、と乾いた音が響く。・・・カーヤが、コウの頬を打っていた。

「あなたに、そんなこと、言われたくないっ! 大切な幼馴染なのに、どうして待ってちゃいけないの?! 嬉しい、って思ったらダメなの?!」

 コウは叩かれた頬をおさえもせず、どんより暗い瞳のまま、足下を見た。

 そうして、カーヤは向きを変える。シルフィラに一度、抱きついた。ごく短い時間だが、とても強く、抱いた。

「・・・シルフィ、帰ろ?」

 手を強く握って、カーヤは村へ向かう。その背に、男達の何人かが、狼狽して叫んだ。

「カ、カーヤ!! そいつは、忌み子だっ! 疫病神だっ! 村に入れるなんて・・・」

「シルフィは、あたしの家に一緒にいます。だから、あたし個人のことまで干渉しないでください」

 その言葉にカーヤは冷たく言い、コウを置いたまま、アイスの横を通って、村へ入っていった。ちらり、とシルフィラは一度振り向いたが、二人以外の全員は、その動きを止めてカーヤとシルフィラのことを見つめていた。

 ――やがて、二人の姿が村に続く闇の中に消えてしばらく経つと、男達は一人、また一人と後を追うように、村へ入っていった。通り過ぎる男達の大半はコウをじろりとにらみつけていくが、いまだ宿るその瞳の暗さと冷たさに恐れをなしてか、すぐに目を逸らして、去っていくのだった。

 アイスは怒りの中にどこか困惑を混ぜ込んだ目でコウを見ながら、最後まで残っていたが、その姿もじきに、暗闇に包まれた村へ続くその道の向こう側へと消えていった。

 そしてコウは、一度地面を強く蹴って・・・わき道に逸れるように、森の中へと当てもなく進んでいった。




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