五章 “幻日” 9
周り中木に囲まれているせいか、鳥の声がやけに響く。そんな朝早く。 シルフィラは堂々と集落を突っ切って、村の入り口のほったて小屋・・・村の住人が交代で見張りについているその小屋の元へと歩いてきた。そしてそこには、先客がいた。 「コウ?」 フードを背中に下ろし、明るい日差しの元にさばさばした黒髪をさらしている。シルフィラを見る黒曜石の瞳が機嫌悪げに光り、シルフィラは怒られるのかとひやひやしつつ近付いた。 「夜はどうしてたの? どっか行っちゃったから・・・心配したよ?」 非難もあれど、その言葉の中ににじむのははるかに心配の割合の方が多い。コウは黙ってその顔をにらみつけ、シルフィラはそれ以上言葉を言えなくなる。 「・・・なんか、相当、機嫌悪い?」 思わず口に出してしまい、激しく後悔。だが、後悔先に立たずである。 「黙れ」 ドスのきいた一言にシルフィラは一歩二歩コウから距離をとり、大人しくなった。 苛々とした様子で、コウは地を何度か蹴りつける。距離をとり一旦は黙り込んだシルフィラだが、何事があったのか聞こうと、結局口を開く。 「コウ・・・どうかしたの?」 コウは答えない。沈黙し、代わりとばかりに地を大きく蹴って土を飛ばした。 もう一度聞こうとシルフィラが口を開きかけると、コウがやけに硬い声で、尋ねた。 「・・・昨日の、カーヤとかいう、女は?」 シルフィラはその言葉に、特に考えもせず答えた。 「まだ寝てるみたいだけど・・・どうしたの?」 三度聞いた、がそのどれにも答えはない。コウはシルフィラと目を合わせず、地面をまた蹴った。 「ちょっと! シルフィ!」 沈黙が少し流れた後。いきなり間近で声が聞こえてシルフィラとコウは振り返った。 「カーヤ! なんで、そんなとこから?!」 シルフィラが驚くのもムリはない。カーヤが飛び出してきたのは、コウとシルフィラが元々山を越え、森を分け入って進んできた方向・・・その場所だった。 「だって、朝起きたらいないんだもの! 焦って・・・探しにいったのよ」 見ると、カーヤの頭や服のところどころに枯れ葉や枝がついている。それをつまんで落としてやりながら、シルフィラは苦笑した。 「別に、そんな焦らなくても・・・。俺はいきなりいなくなったりはしないよ」 そういうことじゃなくて・・・、とカーヤは言い募ろうとして、けれどため息一つで止めた。ムダを悟ったようであった。 明るい日差しの中、カーヤの背中にかかる、淡くウェーブした紅葉色の赤茶髪が、揺れては戻るを繰り返す。シルフィラを見る薄茶の目は心配に少し涙を帯びていて、コウはその目に惹かれたように、見つめてしまう。昨日の暗闇ではわからなかったその色彩。強い色だ、とコウは漠然と感じた。 カーヤの相手をしていたシルフィラが、思い出したというように、もしくは話題を逸らすように、コウに話しかけてきた。 「あ、そういえばさ、コウ。カーヤに用があるとか言ってなかった? ほら、これがカーヤ。ちょうどいいし、用を済ませなよ、ね?」 どちらかというと話題逸らしの割合が大きいのは明らかだ。振られたコウは突然のことにうろたえて、思わず顔を引きつらせた。 「・・・何ですか? あたしに用って?」 カーラの言葉に、シルフィラと話していた時にはなかった調子が混じる。コウはなんでもない、と言いそうになり、だがそれは自分で自分を許せないことになり、意思の力で口をふさいだ。 重い空気が、二人の間に漂う。シルフィラもそれに気付き、ヤバいことを言ってしまったと顔色を青くする。 コウはにらみつけるような視線をカーヤに向ける。噛みつく寸前の野犬のような形相に、けれどカーヤも気丈に視線を返し続ける。 長く沈黙が続いたように、シルフィラは感じた。大きく風が吹いてはっとする。吹き去るのを待っていたかのように、そこでコウが、口を聞いた。 「・・・昨日」 しぼり出すような声だった。カーヤが身構えるように体を緊張させた。 「昨日は・・・――悪かった」 たった、一言。その言葉をしぼり出すために随分力を使うのか、手はぎゅっと握り締められている。 「「・・・え?」」 思いがけない言葉に、カーヤは間抜けな声を出す。シルフィラもだ。コウはそっぽを向き、頬と耳に朱をのぼらせながら、だからっ!と大きな声で続ける。 「昨日! 言うつもりもないこと、言ったんだ! だから、悪かったって言ってるんだ!!」 ぎゅっと握る手と、仁王のように立っている姿。そっぽを向いたのは、二人に顔を見られないためか。怒ったように言う言葉に対して、少しその声は震えていた。 シルフィラは、しばらく経って、破顔した。口にのぼりかける、バカだなぁ・・・の言葉はあえて言わないことにする。まず間違いなく、こんなことを言ったらテレ隠しの八つ当たりがくる。 「・・・バカ、ねぇ」 あ、それ禁句。カーヤにシルフィラは小さな声で叫んだ。コウがこちらを向く。怒鳴ろうとするように開いた口。それがナニカを言う前に、カーヤはコウに近付いてその頭をぽんぽんと軽く叩いた。――いや、なでたのだろう。 「・・・っな!」 頭をなでられたことへの羞恥からか、コウはさらに顔を赤くしてナニカを言おうとするように口をぱくぱくと開閉させた。・・・どうも、驚きのあまり言葉にならないようである。 「バカね」 もう一度優しく呟いて、カーヤはコウの頭を軽く抱き寄せる。思いがけない行動に、コウは音を立てて硬直した。カーヤは抱き寄せたコウの頭を何度もなでながら、また小さく、本当にバカ、と呟いた。 「・・・っ!! は、離せっ!!!」 真っ赤になったコウが、カーヤの腕の中で暴れた。その反応を面白がるように、カーヤは小鳥のさえずりに同じく笑いながら、しばらく抱きかかえ続けていた。 ぱっ、とカーヤが手を離すとともに飛び退ったコウの顔は、朝焼けのように真っ赤だ。シルフィラはその一連の出来事をぽかんとしたまま見ていたが、コウを見て声を立てて笑い出した。 「笑うな、バカっ!!」 コウはカーヤとシルフィラの笑い声にさらに赤くなって、涙すら浮かべて怒るのだった。
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