<月> 一章 “迷い子” 4
光良は内藤響夜をヒビヤと、楠葉鈴希をクスハと呼ぶ。そして真澄礼緒のことを、マスミと呼んでいる。 以前まで、レオと呼んでいた。今は呼ばない。呼べない。カノンも含めこの一行の中で、一番光良のことを知っている、知ろうとしているのは、マスミだ。異世界に行く前は、その距離感も悪くはなかった。ただ今は・・・それが嫌だ。 ――いきなりカリィーナルに行って、帰ってきて。全く平気なわけがない。ようやく始まった旅が始まる前に終わって。ついさっきまで横にいた人間がいなくなって。大丈夫な、はずがない。・・・夢だったんじゃないかと、ふとそう思った瞬間、足元が崩れていくような不安が湧き上がって、叫びだしたくなる。・・・もし光良が泣き叫んでも、マスミなら支えてくれるだろう。けれど光良は、支えてほしくない。それを受け入れたら、あの世界が、遠のいていくような気がして。 だからわざと離れる。マスミから。 今日はヒビヤが図書当番だ。久しぶりに図書館に遊びに行ってみる。当然のようにマスミとカノンがついてきた。クスハは部活の友達と話している。ヒビヤはぞろぞろと入ってきた三人組に驚いて、カノンがヒビヤをからかう。光良とマスミは思い思いに図書館内に散って、光良は定位置であった書庫へ、マスミは別の棚の間へ。 書庫内で適当に本などめくっていると、目の前に人影が立つ。目を向けると、マスミだ。 「どうした?」 ・・・この時光良は油断していた。ここ最近はカノンがずっと牽制していたし、ヒビヤもいたから。 マスミは突然光良の襟を掴み、引き寄せ、囁くような、しかしドスの利いた声で、 「・・・いなくなってた一ヵ月、どこにいた?」 そう睨む。・・・光良は、全く油断していて、何も構えていなかった。思いがけなく言われた言葉に、いつもなら関係ないと突っぱねるところをそうはできず、何か言おうとして口をわずかに開き、言葉が出てこないで沈黙する。 「言えよ。どこ行ってたんだ? 何でいきなりいなくなった。・・・言えないのかよ」 俺に親に心配かけて、何も言わずにだんまりかよ。そう言われ、一瞬息を止める。襟を締め上げられているから、息苦しい。見開いた目が乾いて、視界が霞む。 「――らない・・・」 ぽつりと呟いてしまった言葉を、マスミは聞き取れなかった。何だかいきなり疲れて下向く光良を見て、マスミは少し手の力を緩める。 「・・・知る、かよ。お前のことなんて、親のことなんて」 常にない弱々しい声に、マスミは手を完全に放した。光良はそれに気付くでもなく、もう一度、知るもんか、と吐き捨て、そしてマスミを見る。皮肉げな笑みの浮かんだ顔で。 「わからないさ、俺にだって。・・・お前、わかるなら、教えてくれよ」 その笑みが、何だか泣き笑いのように見えて。身を翻し遠ざかっていく光良を、マスミは追うことができなかった。 ―― 異世界に行ってたなんて、誰が信じる? ・・・誰も信じやしない。光良の言うことなんて、誰も信じやしないんだ。 ひとを信じるって、どうやるんだ? 信じるって、そもそも何だ? 信じたら、何か変わるのか。信じたら、必ず信じ返してくれるのか。 そんなはずない。光良は知っている。信用や信頼からは、何も起きない。そんなのは、ただの時間の無駄だ。ヒトは、信じるに値する生き物ではない。所詮、生きていくのに必要なのは、自分たった一人だけ。 でも、何で生きていく必要があるんだ。人間は、生まれたら、必ず生きていかなきゃいけないのか? ・・・使い古された言葉だけど、誰も生んでくれなんて、頼んでいなくとも? ―― その日から、マスミは何も訊かなくなった。怒りに燃えていた目からはすっかり炎がなくなって、代わりに、時折光良を心配げな目で見る。そんな目で見るの止めろよと、そう言うのも億劫で、光良はそれを無視する。 ヒトは、いつだってひとりきり。光良はたった一人で、今ここに、立っている。
|