<月> 三章 “撫でし子” 1
その日、クスハが妙なことを言って、おかしな状況になった。 今光良は、マスミの家の部屋にいる。光良の右隣にマスミ、左隣にヒビヤ、目の前にクスハ、その隣にカノン。小さな丸い簡易テーブルの上には、五人分のジュースとお菓子。はしゃいで喋っているのはクスハとカノンだけで、男三人は何とも言えない空気で黙り込んでいる。気まずい。その一言だ。 ・・・本日の昼休みの際、学校から一番家が近いのはマスミだということがわかり、クスハがじゃあ帰りに遊びに寄っていこうよ、などと言い出した。提案を通すことに関して女は強い。当のマスミが渋る間もなく、放課後マスミの家に遊びに行くことが決定した。 (学校帰りに他人の家に上がりこむなんて・・・小学生かよ、俺ら) 呆れつつジュースを飲み、その何とも言えない空気をやり過ごす光良。彼ら五人がマスミの家に来てから、そろそろ一時間ほど経つ。いいかげん帰るかと、そう思っていた。 「・・・なあ、いつまでいるんだ?」 だからそう尋ねる。するとクスハは光良を見て、今何時? と首を傾げる。マスミが置時計に目を走らせて、そろそろ六時半だと告げる。クスハは驚いた顔をして、 「あれ、もうそんな時間なんだ? うん、そろそろ帰ろうかな・・・」 脇に避けておいたバッグを、大げさに引き寄せる。 「・・・あ!」 ヒビヤが声を上げる。バッグは机の上のジュースをなぎ倒して、主に前方の光良を狙って床へと零れ落ちた。 「あ! ごめんなさい、木崎君! うわ、どうしよう・・・!」 クスハはさっと顔色を変え慌てるが、慌てたところでジュースがコップに戻るわけではない。中に入っていた飲み物がオレンジジュースだったのが災いし、光良のシャツの胸から下は瞬く間に黄色に染まる。 「わっちゃー、スズキちゃん、やっちゃったね。急いで洗わないとシミになるよ!」 「き、木崎先輩、大丈夫ですか? すぐ着替えないと・・・」 「とりあえずお前、シャワー貸すから、入ってこい! 着替えは貸してやるから」 怒りよりも呆れが先行した光良は、その提案のどれにも、別にいいとため息をつく。 「後、家に帰るだけだし。上着で隠してくから、いい」 ジュースでべとべとする胸元をつまみ、もう一度ため息をついて、よくないと言葉を揃える四人を見る。 「別に、いいから。ほっとけ」 そして、立ち上が・・・ろうとする。 「・・・何だよ」 テーブルを挟みクスハに両肩を抑えられ立ち上がれずに、光良は眉をしかめる。 「ごめんね、木崎君。そんな怒らないで、シャワー、借りてきて?」 「いや、怒って帰ろうとしてるわけじゃ・・・」 「そのシャツ、私が家でちゃんと洗ってくる。学ランの汚れも落とすね」 「いや、だから・・・」 「真澄君、お風呂、どこ?」 「階段下りて右に曲がった先の部屋だ」 「わかった。木崎君、行こう?」 「ちょ、待て、話し聞けって!」 いつになく強引なクスハに半ば引きずられるようにして部屋を出て行く光良。それを唖然と見送った三人は、目を見合わせて、 「・・・もしかして、ワザと、かな?」 「・・・もしかすると、もしかするな」 「く、楠葉先輩、何を考えてるんでしょう・・・」 そう囁き合い、扉の向こうに消えた背中を目で追った。
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