四章 “合いの子” 3
――それは、光良が小学校五年生の時。ちょっとしたいざこざから生じた喧嘩だった。 光良と同クラスの男子生徒のグループがいじめっ子で、女子をからかって遊んでいた。今から思えば本当に大したことのないからかい方で、いじめの部類にも入らないようなものだったのだが、光良はそれが気に入らず、よく食ってかかった。その日も、それで喧嘩になった。相手は十人弱、対する光良達はほんの二、三人。多勢に無勢、光良こそが殴られて、蹴られて、怪我をするはずだった。 しかし光良は幼い頃から、映路が主催する道場で体を鍛え、喧嘩の仕方を教わっていた。そしてその日、相手グループの数人は、獲物を手にしていた。木材やカッターナイフ、手を抜けば怪我をする。・・・初めに武器を使った相手方が、勿論悪い。が、光良は、そうした状況下での手加減の仕方を知らず、その日の喧嘩で、グループのほぼ全員を、入院させるまでに痛めつけた。 それはつまり、一方的な喧嘩であったということ。武器を持とうと、子どもは子ども。威嚇程度の意味しかなかったのに。それを悟るには、光良もまた子どもだった。 一方的な喧嘩は、ただの暴力。そのように子どもを育てた両親は非難され、父親は大学までの養育費は払うことを条件に、妻と息子を捨てた。母親はその土地では住めず、息子を連れて町を去り・・・今に至る。 光良ばかりが、悪いのだろうか。貫こうとした正義とそれを成す力は、本当は持つべきでなかったものだろうか。 ――良子は、聖路を愛していた。盲目的なほど、聖路だけしか見えていなかった。 ――聖路は、心が弱かった。自分を助けてくれる映路を、良子以上に頼りにしていた。 ――映路は、良子が嫌いだった。そして聖路を、執着とも言えるほどに好いていた。 ・・・この三人の確執の中、光良が生まれた。それこそが、本来の悲劇の始まりだったのではないか?
|