<風> 三章 “ヒト殺し” 4
――曇天の空の下、シンとガディスはある村に着いた。海沿いにある、小さな村だ。家はもろい造りで、村はさびれていて活気がない。まるで、廃墟、のようだった。ヒトはいる。だがたった数人で、通りがかった老人に話を聞くと、数ヶ月前大きな台風が来て、村は半ばつぶれてしまったのだという。ちょうど漁に出ていた若者達の多くが波に飲まれ、死んでしまったという。 「女と子供と年寄りだけ。それももうすぐここを去るでしょう」 生まれた土地を離れて、他のどこかで死ぬでしょう。最後にそう言った。 ヒトを捜している、そう尋ねた二人に、老人は村はずれの墓地に見知らぬ女がいると教えてから歩いていった。荒廃の進む村の中、まだ暮らす者のいる家へ向かって。 村はずれの墓地は、土地側から海側へ村を突っ切って、海へと突き出す崖の上にあった。海風にさらされてもたくましく咲く花が、暗い空と海にわずかに色を添える。 「・・・シルフィラ」 そこに、彼はいた。崖の一番突端で、今にも飛び込みそうな様子で海を見つめている。その後ろ姿に躊躇して、踏み出すことも出来ずにシンはただ声をかけた。 体ごとゆっくり振り返る。その瞳の灰色が、今は他の何より暗かった。 「・・・追いかけてきたんだ?」 化けの皮はすでにはがれている。女魔術師シルフィを演じるつもりは毛頭ないようだった。シン・・・シンパスは一歩、シルフィラへ近付く。女装姿がよく似合うシンパスの幼馴染は、ぴくりとも動かず近付く距離の向こうにたたずむ。なぜか、歩いても歩いても近付いていないように、シンパスは感じた。 「シルフィラ。何してる?」 何考えてるんだ? 本当は、そう尋ねたかった。だがそれを訊くのはどうも躊躇われて、行動に直結する答えを求めてみる。シルフィラは一歩、こちらに踏み出した。少なくとも飛び下りる気だけはないとわかり、ほっとした。距離が少し近付いたように感じた。 「海を見てた。シンこそ、今何してるの?」 シンと呼ばれて、どきりとした。距離こそ近付いても、二人の間には深い溝があるようだった。一瞬息を呑んだシンパスを見て、シルフィラは薄く唇を笑みの形に上げた。 「今は、シンって呼ばれてるんだろ? しかも、シンパスって呼ばれてた期間よりシンって呼ばれた期間の方が長いんだから、そっちのがしっくり来るんじゃない?」 はっきりとした嫌味だった。シンパスは縮み上がりそうになる臆病な心を叱咤して、幼馴染に真っ直ぐ目を向けた。 「そうでも、ない」 そうか、とシルフィラはそれ以上追及するつもりはないようで、また視線を海へと戻してしまった。 海は一見静かで、だが曇天の中荒れている。崖に当たる波は強い。黒々うねる波の下は、きっと見た目以上に暴れているのだろう。 「・・・シルフィラ、何かあるのか?」 ここに、とシンパスは辺りを見渡す。 盛り土、石、腐った木、わずかな花々。多分、青空でも寒々しい。ここに眠るのは死者ばかり。死人ばかりが、この崖から、雨を、闇を、風を感じている。 ふと、シルフィラが膝を抱えて座り込んだ。 「シルフィラ?!」 シンパスの声が驚いて裏返った。シルフィラは足下の墓・・・石をどんと置いただけのそれに手向けられた枯れた花束を手にとって、海へと投げ込む。それはかさかさした茶色い花びらを一瞬宙に浮かせ、ふわりふわりと落ちていった。 「・・・本当は、今追ってきてほしくなかったんだけどな」 「え・・・?」 ごうと鳴った海風に、かき消されるほど小さな声。それでもシンパスには届いて、自身は散々逃げ回ってきたのに、見捨てられたように感じられて、一瞬頭が真っ白になる。 せっかく突き放したのに。 「来ないで、ほしかったのに」 繰り返す、そのしゃがみこんだ背中がひどく小さかった。 「・・・シン。おい、シン!」 はっきり拒絶を示され硬直してしまったシンパスを見かねて、背後で気配を消していたガディスが叱咤する。 「しっかりしろ、シン! 呆けてんじゃねえよ!」 はっとシンパスは我に返る。ちらりと背後に目をやると、常と全く変わりなく困ったように笑っている相棒の顔。口パクで、黙るなと叫ぶ。急速に意識が回復する。水面に立ったさざなみが、別の波紋で消し去られたようだ。 深く頷き返す。そして振り返る。先ほどまでしゃがんでいたシルフィラは、その一瞬の間にシンパスへと顔を向けていた。その、灰色の瞳が懐かしい。どこか陰りを帯びていて、けれどひたすら真っ直ぐな、火をつけられた炭の色。 一歩、近寄る。相手もまた、一歩近付いた。二人の距離が縮まる。二人ともに手を伸ばせば、届くほどの間隔だ。 「・・・なんで、ここに来たんだ?」 その問いかけは、心底から気になっていたこと。 「・・・ここには、墓がある。死んだヒトが、埋まっているよ」 小さな束の、乾燥した花が舞い上がる。シルフィラの言葉に応えて死者が己を表したか、“ここにいるよ”と呼びかけ誘うかのよう。 「それは、わかる。・・・何か、用があって、ここに、いるのか?」 ことさらゆっくり尋ねたのは何故だろう。自問するも、答えはなんとなく出ている。考えたくはないが、可能性の一つに、シンパスは既に思い至っていた。――死者に用があるとは? 「本当に・・・わから、ない?」 応えるシルフィラの、ひどく緩やかに浮かべられた微笑。まるで造形美の結晶だ。多かれ少なかれ笑顔はつくるものであるが、その完璧さ・・・シルフィラの一番の武器は、微笑みなのかもしれない、シンパスは漠然とそう思う。 答えられない、口に出せるはずがない。ためらいではなく否定の気持ちで、シンパスは可能性を述べるのをやめた。シルフィラ自身から答えを聞きだそうと、じっと視線を注ぐだけ。その熱さに負けたわけではないだろう、だが、シルフィラはふっとうつむいて、もう一度シンパスと目を合わせ、笑顔を浮かべるわけでもなく、淡々と告げた。 「父さんが、いるんだ」 四年前、ここで死んだ。 あまりに温度のない声だった。・・・一瞬、空耳かと疑うほどに。
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