fate and shade 〜嘘と幻〜

<風>   三章 “ヒト殺し”   5





 思い返してみる。ずっとそれは疑問だった。

 何故いないのだろう・・・そう思いはしなかっただろうか。

 したのだ。間違いなく思ったのだ。ただ、他の部分に気を取られて・・・いや、気を取られたフリをして、考えないようにしていたのだ。

 あの、シルフィラとよく似た鈍金色の髪に、焼け落ちた灰色をした目、たくましい体にやや焼けた肌色をした、色彩的には一緒なのに、女の子らしいシルフィラと違いとても男らしい彼・・・シルフィラの父親ギルト。彼はなぜここにいないのだろうか、と。

 きっと別々に行動しているのだと無意識に考えていた。それが・・・既に死んでいたのだとは。しかも、四年も前に。

 シンパス、ガディスから一定の距離を置いて、シルフィラは座っている。彼の放つ気配が近寄るのを許さない。再会を喜ぶ風ではなく、その端麗な顔はやや固い。

「そうか・・・。ギルトさんは、そんな前に」

 悔やむ言葉も出てこない。幼い記憶の中のギルトは、精悍な顔つきはしていてもたまにいたずら心を起こして、子供より子供っぽくなる。そんな大人の男だった。天真爛漫を絵に描いたような性格だが、どんな大人達より達観している時もあった。亡き妻を想い、シルフィラのことを溺愛していた・・・ただそのことばかりよく覚えている。

 若い時分村からふらりと飛び出して、帰ってきたと思えば乳飲み子を一人連れていた。村を去っていた十数年ほどの間にギルトの父母は亡くなり、閉鎖的な村民達は親不孝者と彼を責めたが、全く意に介さなかった。ただ息子を育てる環境が欲しいから、帰ってきたのだと。――その時シンパスは四歳。おぼろげに思い出せるのは、若い女性に怒りをぶつける母の姿。同じく乳飲み子のカーヤトッニを抱えていた若い母親が、ギルトの息子・・・シルフィラの世話も一緒にしてやった、そのことに怒ったのだと、ほとぼりが冷めた頃聞いた。

 ・・・初めはギルト親子を罵っていた者達も、一歳、二歳と子供が成長していくのを見て、徐々に感情を沈静化させていった。若者のいない村の中、子供ながらに先が期待される愛らしさのシルフィラに、憎しみを持続出来なかったのだ。その時まさに、子供達は光だった。

 子供達はそうして愛され守られた。彼らが一つ年をとるたびに、村に幸せがあふれた。今は昔・・・昔の話である。

「・・・会いたかったな」

 もう一度、と過去形で言い切れてしまうのがひどく冷たく思えてしょうがない。それでもシンパスは、自分を嘲ける笑みよりギルトの冥福を祈ることを選んだ。どんなに冷たい言葉だとしても、もういないのだと納得している自分自身を偽れはしない。それよりもずっと、シルフィラに会えたという喜びの方が大きい。今までどうしていたのか、魔術などいつ使えるようになったのか、何故会いたくないと言ったのか、そんなことをたくさん聞きたい、もっと知りたい。だがシンパスは躊躇した。何を訊けばいいのかぱっと思い浮かばなかったのだ。それを見越したわけでもなかろうが、シルフィラが会話の糸口を作る。

「墓掘れば?」

 ・・・いささか、ブラックだ。というより、この話題に興味がないように見える。ひどく冷めた表情が気にかかり、シンパスは尋ねる。

「ギルトさん、どうして亡くなったんだ?」

 そしてそれは、地雷だった。シルフィラの顔が一瞬ひどく強張る。冷めたような表情にすぐ戻りはしたが、どうも、仮面のように見えた。

「・・・魔獣が」

 言葉少ななシルフィラの様子に、話すのが辛いのかと、対するシンパスまで心が痛む。詳しくは尋ねなかった。途切れた会話を引き継ぎ、空気を変えるようにガディスが明るく声を出す。

「なあ、俺も訊きたいことがあるんだ」

 シルフィラは顔をしかめる。あっけらかんとしたガディスをにらんで、

「・・・本当のことを話さなくていいんなら」

「え? ・・・それじゃ訊いても意味ないじゃん?」

 そうだね、と頷くシルフィラは、むきだしにした不信感を隠そうともしない。困惑して小首を傾げたガディスは、先に騙したのはそっちだろ、そう言われてはっとした。

「あー・・・えっと、あれは不可抗力! と、俺のちょっとしたいたずら。許してくれよー」

 こうして二人、ちゃんと出会えたんだからさ。笑うガディスに、シンパスはそうだなと相槌。シルフィラはため息。そして、

「まあ、いいけどね」

 どこか複雑そうな、苦笑。

「じゃあ・・・答えてくれるか?」

 いいよ、と返したシルフィラに、ガディスは核心をついた質問を投げかける。

「なあ、どうして、シンから逃げたんだ?」

 ・・・いきなりかよ! と思ったシルフィラ、そしてシンパス。直接的で真正面過ぎる質問の仕方がかえって答えにくい。答えをはぐらかせない。目を、逸らす。

「・・・逃げて、ないよ」

「うそだろ? 捜してるって話題を広めたのはそっちなのに、会った次の日には一人で旅に出ちゃうし、本当は来てほしくなかった、とも言ったよな。・・・なあ、なんでだ?」

「こっちにだって、事情はある。一度見つけたんだ。そんなすぐどうこうしなくてもいいじゃないか」

「目を離したらまた消えるかもしれないのに? なあ、本当はどうしてなんだ?」

「そんなこと、アンタに言わなきゃいけない理由が・・・どこにあるんだ」

 殻を被って、牙をむく。どうにか抑えようとしているが、声は震えている。逸らした瞳の中に映りこむ、以前感じ取ったその感情。――おびえ。ナニカに対する恐れ。

 ガディスの追及の言葉を止めたのはシンパスだ。責めるようなガディスの目にだめだと呟いて、シルフィラへと一際優しく微笑みかける。

「お前も、色々あったんだな。言いたければ言えばいい。・・・俺は、訊かない」

 そんな優しさに不安を抱くシルフィラ。口を開きかけたが、言葉は結局飲み込んでしまった。

「・・・わかった。いつかきっと、言う」

 おびえた目に宿る強い光。――“今追ってきてほしくなかったんだけどな”――この、今、に限定された言葉に偽りはないようだと、心中ほっとする。

 ナニカを恐れている、どこか埋められない壁もある、けれど拒絶はしていない。ただ、きっと決心がつかない。自らの問いに答えを導けない、そんな状態・・・シンパスはとても覚えがある。誰かに一押しされれば動けそうな。・・・故郷を去ってから幾数年、心を励ましてくれる相棒を、今はもっているからこそ、わかること。

 なあ、どうして髪茶色いんだ? と話題を変えるように尋ねられて、シンパスは束の間の共感から意識を戻す。

 これはな、木から染料を抽出して・・・と説明する。シルフィラはふとガディスに目をやる。ごめん、と口パクで謝られ、いいよと返し微笑する。こちらこそごめん、と視線に意味を込めたが、それは通じたかどうか。

 ・・・本当は、全部何もかも話そうと。

 思ったけれど、ごめんねと、臆病な自分を謝りたいのはこちらだ。いざこうして巡ってきた機会はふいにして、思いがけない事態には狼狽して、過去に引きずられて。

 ごめんねと、シルフィラは心に思う。この旅に出る前に固めた決心もすぐ鈍って、再会もまともに喜べないで、ごめんねと。

 ――夜になったら火を焚いて。三人は語り合った。色んなことを、たくさん、たくさん。遠く、海鳴りが聞こえる。背景に流れるその音は、話とともに、絶えることはなかった。




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