fate and shade 〜嘘と幻〜

<風>   三章 “ヒト殺し”   9





 ラーデまで残り一日あまりの昼頃。そこまではわきあいあいと何事もない日々が続いた。

 本日二回目のザコ魔獣を倒して一息ついた時。

「・・・っ! シルフィ、避けろ!」

 賞金がついてそうかな、と呟きながら死んだ魔獣のそばにしゃがみこんだシルフィラに、ガディスははっとして叫んだ。先ほどまで感じなかった新たな気配が、一つだけ、ある。

「え?」

 気配はシルフィラの真ん前にある。だが、忠告されても気付かなかった。気付けなかった。

 シャアッ、と刃物を研ぐような音とともに魔獣の死体の中から何か飛び出す。驚きで一瞬動きを止めたシルフィラの喉元向けて、新たな魔獣の、生まれたてでも鋭いその爪が振り下ろされる。

「シルフィラっ!!!」

 シンパスはさっと顔色を青くして、叫ぶ。手を伸ばす。届かない。ガディスは魔獣に向けて剣を投げる。だがそれも・・・遅い。

 首に爪がかかる。同時に、どっと音を立てて吹く強風。

「わ、うわっ?!」

 一番体格のよいガディスでもずずっと後ろに下がってしまう。咄嗟に体勢を低くして耐え忍んだ。シンパスは風に煽られ、受身も間に合わず背後の木におもいっきり叩きつけられた。その、激突した瞬間のすさまじい衝撃音すら、ごうっと鳴る突風が吸収していく。

 風は吹いた時同様、すぐに収まった。過ぎ去った後はまるで嵐のよう。周囲の木々は根元からなぎ倒され、地面は抉れ、遠くの空に破片がぱらぱらと散っていく。がしゃんっ、と騒々しい音を立てて、投げつけたはずの剣はガディスのすぐ横に地面に落下した。

 その嵐の中心に、シルフィラがいた。吹き乱されてぐちゃぐちゃになった髪。残り風にはためく服。へたりこんだその周りには、魔獣の存在の欠片もない。剣で切り裂いた際の血の跡だけが、地面に染みこんで残っている。

「シルフィ・・・。今、のは・・・?」

 無事を喜ぶとともに、ガディスはいぶかしむ。お前がやったのか? と尋ねるまでもなく、この場に魔術師はシルフィラ一人しかいない。風を、自然現象を従えるのは魔術師だけだが・・・。訊かずにはいられない。

 ――シルフィラは、真っ青だ。口元を押さえて、目を見開いて、はためにわかるほど震えている。どこを見ているのか・・・その目は何も映していないようだ。

「・・・シルフィ」

 いまだそのままの、シルフィラの女装時の呼称。こうして怯えていると、全く違和感を感じない。子供か、守るべき女性のようだと思う。そう思えてしまうほど、支えてあげなければ倒れてしまいそうなほどに、どこか危うい。

 呼ばれて、シルフィラの意識がぼんやりと戻る。その目がガディスを捉え、ゆっくりと、彼を通り過ぎて右に向く。そして、見開かれた。

「シンパスっ!!!」

 名を叫び、立ち上がろうとする。足が萎えてしまったのか、一度派手にひっくり返った。だがそんなことは意にも介さず、次はしっかり両足で立った。わずかな距離を全力で駆け寄る。その時にはガディスの放心状態も直って、シルフィラの後を追ってシンパスの下へとたどり着いた。

 出血はないようだった。ただ、その目は閉じられてぐったりしている。どうすればいいかわからないとシルフィラが焦る傍ら、ガディスは冷静に状況を判断して、その体を静かに横たえた。頭に大きなこぶ、木にぶつかった時に背中を強打している。

「頭と背中を打ってるはず。・・・シルフィ、治癒魔法使えないか?」

「え・・・あ、う」

 シルフィラは泣きそうな顔で肯定も否定もしない。いつも柔和で明るいガディスでもさすがに苛立った調子で、どっちなんだと強く問う。

「・・・で、出来る、と思う」

「なあ、はっきりしろよ! 出来るのか? 出来ないのか?」

「・・・やる、よ。少し下がってて」

 問いつめた結果返ったのは、出来るでも出来ないでもなく“やる”。ああそっか、とその返事の意味に思い至り、ガディスは付け加えるように無理はするなよと忠告する。

 日によって、使えたり使えなかったり。だから今は魔法が使えないんだと、そう言われていた。すっかり忘れていたと反省。しかし、多少無茶してもらうのはいたしかたない。頭を打ってるということは、もしかしたら一大事かもしれないのだ。

 言われた通り、ガディスは数歩下がった。それを確認してから、シルフィラは唱える。

我は求め乞う 等しき優しさと許しを 癒しの糸

 ぱあっと光が舞う。そして同時に、赤い、粒。光とたわむれるように、きらきらと踊る。

「シ、シルフィっ?! お前・・・!」

 頬に当たった赤い水滴を親指で拭い、その正体にぎょっとしてガディスはシルフィラの肩へと手をかけた。が、その手もかまいたちか何かにすっぱり切られ、咄嗟に引っ込める。

 ――赤い粒は、シンパスにかざしたシルフィラの手の平から二の腕まで、幾箇所も切れて宙に舞った血。光に反発するように起きたかまいたちが、術者自体を傷つけているのだ。

 暴発、という単語が思い浮かんだ。シンパスの顔色が徐々に良くなるのを見るに、治癒魔法はちゃんと発動しているようだ。しかし同時に、致命的な失敗をしているのではと。今のシンパスの状態よりこれはよほど危険なんじゃ、と思ったガディス、シルフィラに魔法を使わせたことを海の底ほど後悔した。

「もう、いいっ! 止めろ!」

 その言葉を合図にしたか、ふっと光が消えた。同時に、宙を踊る赤も地に落ちる。

「・・・これで平気だと、思う、よ。俺が痛い、けどね」

 自信なさげに振り向いたシルフィラの顔は痛みで引きつった苦笑い。そして両手が真っ赤だ。これで体中血だらけだったらホラーである。・・・しかしそうでなくともスプラッタに代わりはない。

「・・・自分の魔法で自分が怪我するって、どんなんだよ、一体!」

 疑問、呆れ、恐怖。シルフィラの手首をとって袖を乱暴にまくり、痛みに顔をしかめるシルフィラに包帯を荒く巻きつけながら、言葉に出来ない様々な思いでガディスは尋ねずにいられない。シルフィラは困ったように首を傾げる。

「しかも治癒魔法で。治癒じゃねえだろ、それじゃ。意味ないだろ」

 まあねと応えるシルフィラは、視線を下げて目を合わせようとしない。ガディスは大きくかぶりを振り、深くため息をつく。かまいたちはどうやらさほど深くはない。それに安堵しつつも、両腕全体に渡る傷跡に後悔の眼差しを向ける。

「・・・そんな風になるんなら、最初から言っとけよ」

 無理矢理やらすんじゃなかった、強制するんじゃなかった。自身の手に出来た傷跡は後回しにして、シルフィラの両腕に包帯を巻き終える。ありがとうと礼を言うシルフィラは、ちらりとシンパスの方をうかがって、心配そうだ。

「大丈夫だろ。・・・すぐ、目を覚ますさ」

 ここまでしたのに目覚めなかったら怒鳴ってやる、とやや逆恨み的に、ガディスは心に決めた。




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