fate and shade 〜嘘と幻〜

<風>   四章 “旅立つヒト”   4





 夜明けを待たず、人影一つ。

「・・・シンパス」

 プラス、一つ。じとっとした目でにらみつけられて、一人先に行こうとしていたシンパスはぴくりと肩を竦めた。

「どこ行く気だ。お得意の単独行動か? シルフィラに続いて、お前も結構好き勝手してくれるよな」

「・・・ランドール」

 シンパスが旅慣れていないカーヤトッニとランドール、そしてアイシークを放っていくことは、半ば以上予測されていたようだ。ランドールが、全く変わっていないようでありながら、よく見るとやや険しくなった視線で彼を射抜く。

「足手まといだから、置いてくのか」

「・・・違うんだ、ちょっと聞いてくれ」

「何が違う? 旅慣れてない俺らが一緒より、お前一人の方がより迅速に動き回れるのは事実だろ」

「それは、そうだが・・・」

 事実だから頷いたわけだが、ランドールは明らかにむっとした。でも、と何か続けようとするシンパスに、隠しきれない怒りと悲しみを込めた言葉を覆いかぶせる。

「俺らは、いなくても大丈夫なんだよな、本当は! だって、シンパスとシルフィラ、強くなったからな! 俺らがいなくても・・・むしろいたら、邪魔になるだけでさ?! ――二人を助けたい、って思ってもさ、助けられてばっかりで、その思いの一つだって、俺らは、聞かせてもらえない!」

 馬鹿みたいだ、そう笑ってみせたランドールの声は震えて、目の奥には、沈んだ光。笑いの形を浮かべた口元は、けれど作るのに失敗して、引きつり歪んでいる。その、完璧さとはほど遠い微笑みが、何より能弁にランドールの気持ちを語る。・・・シルフィラにはない、その笑顔。

 シンパスはしばらく黙り込んで、考え込む。シルフィラのために、そして自分自身のために、ランドールにカーヤトッニにアイシークに、唇をかみ締めてじっと耐えるような苦痛を味あわせて、それでも一人で行くのかと。だがやはり、その決意は変わらない。

 深呼吸をして、シンパスは静かに言う。

「・・・俺は、逃げた。ずっと逃げていた。だから」

 逃げようと思う者の気持ちを知っている。知っているからこそ、わかる。

「シルフィラは、何か俺達に話していないことがあって、それが怖くて・・・逃げたんだ」

 怯えた目に、張り付けたような微笑みに、気付かないはずがない。

 お前にもわかってるんだろう。その確認に、ランドールは逡巡の後浅く頷く。

「見てれば、わかる。俺と会ったのは半ば偶然だったけど、その時だって・・・シルフィラは嬉しそうじゃなかった。今みたいに逃げたりはしなくても」

 そのくらい、わかるんだ。

 真っ直ぐシンパスを見つめる目の中に、かすかな痛み。――自分だけが信じていて、大切な人は忘れてしまった・・・そんな約束をしたかのよう。

「・・・それで、どうして俺達は置いてかれるんだ?」

 仮に足手まといじゃないって言うんなら、どうして。ランドールの問いは、その答えを信じていない者が尋ねる疑問だ。納得させてみろよ、と痛みと怒りを帯びた瞳がシンパスを射抜く。

 シンパスは一呼吸数える。・・・ランドールを納得させる答えでなくても、仕方ないと思った。

「逃げる気持ちがわからなければ、追っても追いつけないと思うんだ。だから、俺が行く」

 しかし、それに・・・の後に続く言葉には詰まった。もう一呼吸置き、意を決して、言う。

「俺になら追われてもいいと、シルフィラは言ったんだ。・・・きっと、俺以外の、お前達の誰が追いかけても、シルフィラは逃げ続ける」

 足手まといなのではなく、むしろ来ないでほしいのだ、とシンパスははっきりと告げる。

「・・・そうか」

 怒りも責めもしない、静かな声は硬い。すっと表情が消え去って、ああ、傷つけたとわかっても、シンパスは言葉を補うつもりも、撤回するつもりもなかった。真実そうだと、思っているから。

「・・・一つだけ、聞かせてくれ」

 シンパスの単独行動を黙認したランドールは、情報屋の顔を完璧に脱ぎ捨てて、幼い頃のように、純粋に訊いた。

「・・・なんだ?」

 それは、本当は答えを聞きたくない質問。

「シルフィラは・・・俺達が、嫌いになったのかな」

 シンパスはただ、首を横に振った。何も言わず、背を向ける。

 どこに重きを置いているか知らないが、シルフィラが逃げる理由の一つは間違いなく・・・怖いのだ。何をと問われれば詳しくは知れない。けれど、傷つけるのが怖いのだろうか、とは予想出来る。自分のせいで誰かが傷つく。そしてそれは、大切なヒトであればあるほどに、己も相手も傷が深い。時には、守れるかどうか不安になる。些細なことに、臆病になる。怖いのだ、崩れるのが。怯えるのだ、守りたいから。

 自分自身が怖いから、逃げたんだ。

 いざとなれば大事な幼馴染さえ見放せる、そんな自分がシンパスは怖かった。けれどそれは、誰もが当てはまっているはず。・・・守るために何かを犠牲にする、そんな当たり前の行為。彼が逃げたかったのは、自分の影からだった。

「・・・皆、守りたかったんだ」

 後悔は、決してしたくない。だから、逃げるのもまた、一つの守り方ではあるのだ。

 

シンパスの姿が視界から消え去るのを待って、ランドールは振り向いた。

「・・・泣いてすがって、引き止めなくてよかったのか?」

 アイシークの服の端をぎゅっと掴んで、うなだれたカーヤトッニ。一人で行っちゃいやだよ、と呟いたのは、間違いなく本音だ。けれど、

「いいんだよ・・・」

 この気持ちもまた、本当なのだろう。シンパス、変わったけど変わってないな、と苦笑するアイシークの、相反する言葉に不思議と矛盾はない。

 面倒見が良くて、責任感が強く、一人で解決しようと全て抱え込むクセは、全く変わらない。小さな頃から、ちょっと子供離れした子供だった。――けれど少し変わった。自分の意見・・・わがままのようなものを、通そうとするようになった。相変わらず色々抱え込むけれど。

「・・・いいんだよ、これで。あたしは、わかってる」

 待つのも、一つの覚悟。――それもまた、信じるってことだと。

 カーヤトッニ、ランドール、アイシーク・・・彼ら全員、本当は追いかけたいに決まってる。けれど、待つのも大切なことだと知っている。

 ご飯を食べて、掃除をして、洗濯をして・・・明日を祈って毎日眠る。

 だから、戻ろう。カーヤトッニは、笑顔を見せた。

「あたし達は、毎日笑っているの。シルフィラとシンパスと、二人がいつ帰ってきてもいいように」

 そして、夜明けを迎える彼らの故郷に、足を向ける。

 先を行く二人と少し離れて、ランドールは一度振り返る。今はもうない、シンパスの後ろ姿にぽつりとこぼす。

「・・・俺達だって、守りたいんだ」

 せめて、せめて、その心だけでも。

 彼らの拠り所と、なるように。・・・そう、願う。




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