<風> 四章 “旅立つヒト” 6
ふと目の前に現れた姿に、目を見開いて立ち上がる。喉が痛むほどの大声を上げる。 「メシアっ?!」 いつもの姿より大きい。地面に足をつけていれば、シルフィラの腰辺りまで背はあるだろう。ただし今は浮いているので、立ち上がったシルフィラと、目線がちょうど合った。 メシア・・・コウを守る黒精霊は、小さい姿の時よりも人間臭い、淡い微笑みを彼に向けた。 「そっか・・・やっぱり、いたんだ、君」 「やっぱり、って・・・」 一人得心したメシアに、胡乱な目つきを送る。メシアはシルフィラの周りをゆっくり回転しながら、暗い木立と空を背にして、 「今日は特別な夜。ぼく達精霊にとって、始まりとも終わりとも言える日・・・」 ちらと月を仰ぐ。二つ揃って丸を描いて、その中心ばかりがぽっかりと、真空のような黒を浮かべる空の穴。 「シルフィラ」 そして、ふと微笑を消し去る。 「はじめまして、風の子供」 喜びに顔を綻ばしていたシルフィラが、音を立てて固まる。伸ばしかけた手は、途中で止まる。 ――黒精霊は、もう一度笑みを浮かべた。 「ぼくは、メシアじゃない。でも、君を知ってる。・・・はじめまして、シルフィラ。風が人との間に生んだ、子供。ぼくは君のこと、何て呼ぼうか? 異端の王、半精霊、風の子供、・・・世界の申し子」 シルフィとギルトの間に生まれた、命の子。 ・・・裏切られたようだった。針の先ほどの可能性すら、打ち砕かれたようだった。 呆然とするシルフィラに、地に足をつけた黒精霊が話しかける。 「どうして、ここに来たの? ここに来なくても、君はいいのに。・・・たった一夜の楽園にその身を浸すのは、精霊達だけなのに」 君は、どうしてここにいるの? 純粋な疑問が胸を刺す。シルフィラは答える言葉を持たず、息をするのも忘れて口を閉ざした。 やや下から見上げるようにシルフィラに尋ねる、黒精霊の言葉は責めるような強いものではないのに、その目を見つめ返せない。 君の居所はここにはないよと、暗に言われて。 「・・・じゃあ、俺はどこに行ったらいいんだ?」 どこにいたらいいんだ。尋ねる言葉が、震える。 知るわけがない、誰がそんなこと知るものか。ヒトに決められた居場所が自分のものにはならないように、シルフィラ自身が見つけられないそんな場所を、一体誰に答えられよう? 一人ぼっち。 暗闇で、ほんの欠片の光もない。差し出される、腕もない。一つの音さえ、聞こえない。 バッカじゃねえ、と一蹴する声は、もう二度とない。 一人だ。 目の前すら、暗くなる。ぼんやり、ぼんやりと、霞み始める。 「・・・ねえ」 すると、どこか遠くから、声。 「かわいそうにね、シルフィラ。悩んで、迷って、こんなところまで来ちゃって・・・」 こんなところ?と問うと、ここは迷いの森だと答えが返る。迷子だけがたどりつく場所だと。人間にとっては、深く暗い、どうしようもない森なんだ、と。そして・・・。 ――会わせてあげると、声が言う。 「コウは、もう世界にいないけど・・・」 一度だけ、会えるから。 え、とシルフィラは再度目を見開く。・・・霞が一瞬で晴れていた。 やや下にある黒精霊の眼差しは、親が子に向けるそれのように、ただ優しかった。 「話して、笑って、泣いて・・・好きな風にして。ぼく達はただ、君達ヒトの望みを叶えたいんだ」 大好きだから。 ・・・生きていれば、親しい友ならば余計に言えない言葉があり、大切なヒトであればあるほど表現出来ない愛の形がある。 その枠すら乗り越え、黒精霊は言う。ただ純粋で単純で、そうであるからこそ真っ直ぐ届く想い。 「悔いは残さないで?」 ――そして、想いが、つながる。
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