グレフィアス歴645年 1
希望者四十人ほどの半数以上が貴族の子弟であった。服装立ち居振る舞い顔立ち全てが一般庶民とはやはり違う。下級貴族や中・上級貴族の二、三番目の子息なのだろう。残り半分の庶民も化粧をしたり精一杯高価そうな服を着たりして自分を飾り立て、どうにか目立とうとしていた。これを見ると、フィリウスは自分の不利をひしひしと感じる。貴族のような洗練された外見の良さも、庶民連中のように飾りを買うお金もない。それどころか王宮に勤めたいという願いが、そもそもない。フィリウスはただ、金が欲しいだけだから。 (失敗、したかしら・・・) 一日休みをもらってまで来るべきところではなかったかもしれないと、少し後悔する。それでもやるだけやってみようと、名を呼ばれるのを静かに待つ。 「次。フィリウス・ラウル、入りなさい」 呼ばれて、前に入った少年とすれ違いに扉へ向かう。ノックをして、中からの返事を聞いて扉を開ける。閉めて振り向き、真っ直ぐ前を見て立つ。 大きな部屋の中央に、向かい合って二十人は座れるだろう会議用机がある。その向こう側に、五人の人間が座っている。 「どうぞ、座りなさい」 五人の真ん中に座っている青年・・・五人中一番若いだろう彼が、どうやら一番偉いようだ。そんなことを考えながら、その青年の正面に座った。 フィリウスの履歴書を見ながら、まずは事務的な質問がされる。 「名前は」 「フィリウス・ラウルです」 「年は」 「十六歳です」 「出身は」 「カディアです」 「何故王都へ?」 質問内容が変わる。フィリウスはいらない説明を排除しながら、明瞭に答えを続ける。 「五ヶ月前、私を養ってくれていた祖父が亡くなったので、職を得ようと思い参りました」 「それは、お辛いことですね」 「はい。ですが、いつまでも悲しんではいられませんので」 「何故、カディアで職を探さなかったのです?」 「探しましたが、私のような若輩者を雇ってくださる方はいませんでした。それに私は、王都という洗練された素晴らしい場所に憧れていたので・・・」 その折王宮に勤められるという掲示を見て、これは絶好の機会だと思ったのです。と微笑みながら嘘八百を並べ立てていたら、ぶっと誰かが吹き出した。 笑うポイントなどあったかと驚いて、目の前の五人に左から順番に目をやる。全員フィリウスと同じような顔をしていた。中心核の青年が肩越しに後ろを向く。今まで気付かなかったが、壁際に騎士が二人立っていて、その片方が笑いの残る顔を隠そうとして失敗していた。 「グラン、何か?」 グランと呼ばれた騎士を見て、フィリウスは声を上げそうになった。 (あの巡回騎士・・・何でいるの!) それで、彼が何故笑ったかわかった。 ――彼は、とにかく金が欲しいという、フィリウスの独り言を生で聞いている。そして何より、彼がこの情報を教えたのだ。 はかられた、と思った。どれだけ綺麗な言葉で動機を飾ろうと、本音を知る者がいたらもう意味がない。 グランはつとフィリウスに視線をやる。揶揄するような、そんな目。それで? と笑われた感じがして、カチンとくる。同時にすっと頭の芯が冷えた。気付くとフィリウスは、口を開いていた。 「・・・失礼しました。先ほどの言葉は嘘です。取り消させてください」 グランに向いていた五人の視線がぱっと戻る。 「嘘・・・ですか?」 はいと頷く。そして徐々に微笑みを浮かべながら、先の言葉よりもっと自分らしく言葉を紡ぐ。 「私、王都に憧れてなんかいません。別に王宮で働きたいとも思っていません。ただ、普通に働くよりお金がたくさん稼げるからと、面接を受けただけです」 フィリウスにこう言わせた原因であるグランですら、いきなり直線的な物言いをしだしたフィリウスに目を丸くしている。当たり前なことに、面接官の五人は驚いて、左端に座った壮年の男性は怒気すら露わにした。 「フィリウス・ラウル!! なんだ、その態度は!」 机をバンと叩いて立ち上がり、怒鳴りつける。その左腰には剣。年と気迫とこの場の雰囲気から、騎士団長か何かだと判断した。 「申し訳ありません。ですが、偽りない言葉です」 フィリウスは怯むことなく男性を睨みつけた。 しばらく、無言。男性は怒りに顔を真っ赤にしていたが、深呼吸を一つ、どかっと乱暴に腰を下ろした。 「・・・フィリウス・ラウル」 それを待っていたかのように、中心核の青年が名を呼ぶ。視線を前に戻す。青年は机の上にゆっくりと手を組んで、口元だけの笑顔を作った。 「何故、金を求めるのですか?」 自分の呼吸を一つ数えてから、フィリウスは同じように笑い返す。 「一人で、生き続けていくためです」 青年は、そうですかと言って質問をやめた。 「面接は終わりです。採用かどうかは三日後に掲示いたしますので、心の準備をして、お待ちください」 ありがとうございましたと立ち上がり礼をして、踵を返した。扉の前でもう一度深く礼をして、出る。静かに扉を閉める。 かちゃりという音を聞いて、初めて、やっちゃったと思った。 面接を控えた者は、あと十数人。フィリウスの次の者が名を呼ばれ立ち上がるのを横目で見ながら、その場を後にした。 「あーあ、失敗しちゃった。残念」 後悔の中に、清々しさも少し。フィリウスは一度も背後を振り返ることなく、その場を後にした。 どんな端部屋でも王宮に入ることなど二度とないだろう。しかし別に、泣いて悔しがるほどの未練はなかった。 晴天が続いている。フィリウスはここ数日機嫌が良かった。 「フィリウス、三番に」 「はい」 出来上がった料理を三番テーブルに運び、別のテーブルの客に呼ばれてそのまま注文をとる。ここで働き出して、やることは毎日同じだけれど、断然面白くなってきた。 ――二日ほど前。老夫婦の態度はフィリウス自身のそれと同じものなのだと、ふっとわかった。フィリウスが警戒していたから、彼らは彼女に対しての鏡となっていたのだ。それに気付いたのは、面接を受けるために休んだ一日の夜のこと。老夫婦は言った。 “お前がよく働いてくれるから、私達はとても助かってるよ。いたいだけここにいなさい。もし何か欲しかったりしたかったりするなら、遠慮はしなくていいんだからね。たまには、今日みたいに休みをとって、羽を伸ばしなさい” 思い返せば、働き始めてそろそろ二ヶ月、フィリウスが何かを彼らに頼んだのは初めてであった。雇われた時には金はもちろん着るものもろくになかったが、フィリウスは働くことでもらった正当な金で必要なものを買い、老夫婦の情を決して受けようとしなかった。 ちゃんと見れば、彼らはとても心根の優しい人間だ。フィリウスは反省し、ありがとうの言葉とともに、いつの間にかまとっていた警戒を解いた。 それからだ。色々と楽しくなってきたのは。 「おーい、注文」 「はい、ちょっと待ってくださいね!」 フィリウスが笑うと客も笑う。今まで軽口一つ言わなかったよく食べに来るおじさんが、楽しそうだねぇと声をかけてくれる。 フィリウスはとても充実していた。だから、王宮で面接を受けたことなんて、実はもうすっかり忘れていた。 「フィリウス、ちょっと」 注文を書いたメモを厨房に渡しつつ出された料理をテーブルに運んでいこうとしたところ、裏口の方からリーオに呼ばれた。彼女は慌てた様子で、来なさいと激しく手招いている。首を傾げつつ、そちらに寄る。 「女将さん、どうかしたんですか?」 するとリーオは、よくわからない、とりあえず出ろと、裏口を指し示す。 「・・・?」 誰か、フィリウスに用がある客のようだ。訝しみながら戸を開ける。 「・・・どちらさまですか?」 全く見覚えのない青年がそこに立っていて、フィリウス・ラウル嬢ですねと問う。それに頷いて用を尋ねれば、青年は苦笑した。 「掲示をご覧になったでしょうか? 三日前からずっと、王宮に上がるようにと命令が下されていましたのに」 「王宮? ・・・あ」 思い出す。そういえば面接を受けていた。頭の中で勘定すると、あの面接の日から六日が過ぎている。今の今まで面接を受けたことすらすっかり忘れていたのだが、 「採用、されてたんですか? 私」 まさかと、思いっきり疑う。けれど青年は、はいと軽く頷いてみせた。 「いつまでたってもいらっしゃらないので、こうしてお迎えにあがりました。王宮にお上がりください」 どうして私がと問いただしたかったが、それを理性で押しとどめて、フィリウスは結局、はいと言った。 混乱する頭でリーオに事情を話した。彼女はずいぶん驚いて、面接を受けたことを黙っていたフィリウスを叱った。それからダンを呼んだ。今日はそこで店じまいとなった。まだ裏口で待っていた青年にリーオが、夜までに自分達が王宮へ連れて行くから少し準備の時間をくれと話した。青年は承諾して去っていった。 準備といってもフィリウスの持ち物など大して多くない。故郷を出る時からずっと使っている汚れた肩かけの大きい鞄に、全部つまってしまった。 「全くもう、あんたって子は!」 リーオは鞄を肩からかけたフィリウスの背を押して、二階から一階、通りへ出て、王宮に向かってずんずん進んでいく。ダンはその隣に付き添って黙々と歩く。 気付けば、もう日が暮れるところだった。赤い日に照らされて、三人の影が長く伸びる。 「本当に、ごめんなさい。迷惑をかけてしまって・・・」 リーオとダン。彼らの下を離れることに、少し寂しさを感じる。ようやく慣れて、楽しくなってきたところなのにと。けれど同時に、採用されて良かったとも思う。フィリウスは、自分の根底に根付く願いを押さえきれない。 (そう、私は、お金が欲しい) あれだけ無礼な口を聞いたのに何故採用されたのかとか、これから自分は何をしていくのかとか、疑問も不安もたくさんある。それでもフィリウスはただ挑むように前を向く。 王宮の門のすぐ前で、リーオの手が離れた。慣性のまま数歩進み、一度足を止める。振り返り、頭を下げた。 「少しの間でしたけど、ありがとうございました。女将さん、旦那さん」 寄り添ってフィリウスを見送る二人に向かって微笑む。老夫婦は応えて頷き、ダンが一歩前に出る。 「今日まで働いてくれてありがとう。これから王宮で働くお前には大した金じゃないだろうが、これを」 受け取った袋は、重かった。 「ダンさん・・・こんなにいただくほど、私働いていません」 困るフィリウスに、餞別だと老夫婦は柔らかく笑う。 「フィリウス、王宮に勤めるなんて、栄誉なことだよ。しっかりおやり・・・」 「体に気を付けてな・・・」 休みの日には訪ねておいで、美味しい料理を食べさせてあげる。 そう言われて、フィリウスは笑顔で、もう一度頭を下げた。 そして、門番の騎士に告げる。 「王命に従い参りました。フィリウス・ラウルです」 大きな門が、彼女のために、大きく軋みながら開かれた。
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