宰相の弟子

グレフィアス歴646年   3





 花祭り二日目。今日も今日とて、フィリウスはオルグの下にいた。

「・・・」

「・・・」

「・・・何か文句でもあるのか」

「・・・失礼ですが、一言も言葉を発していませんが?」

「・・・」

「・・・」

 ぴりぴりした空気が流れている。それを発するのはもちろんオルグで、フィリウスは静電気のようなその空気を上手にいなしている。年齢もそれに伴う経験もオルグははるかに勝っているが、フィリウスはそうしたものを補って余りある“大人と付き合う方法”を身に着けていた。言葉の応酬による喧嘩に慣れていない根っからの騎士であるオルグにとって、まさに天敵のような、口の達者な小賢しい少女というわけだ。

 ――昨夜、祭りと酒に浮かれた男が二人、ある酒場で喧嘩を始めた。それは周囲に伝播して結構大きな騒ぎとなり、騎士が取り締まり、検挙者まで出た。他にも数件同じような事態が起こり、また窃盗や暴力事件なども起きた。すでに解決した事件も調査中の事件も、書類を作って宰相に見せなければならない。もちろんオルグ一人で作成できるのだが、経験を養うことを名義としてフィリウスは手伝いにいるのである。オルグは渋い顔をしながらも、追い返すような無意味な行動はとらない。ただ、相変わらず二人の溝は深いが。

 ぎすぎすした言葉の応酬を昼前まで繰り返した頃、ようやく書類ができあがった。

「・・・これで終わりだ」

 お疲れ様でしたと形式的にオルグを労って、フィリウスは書類十数枚をとんとんと揃えて右手に持つ。

「ではハイレン様、これはユリウス様に渡しておきますので」

 失礼しますとさっさと部屋を出て行こうとするその背に、足掻くかのようにオルグが嫌味を投げる。

「お疲れ様などと、心無い言葉を口にするな。ちょっとは本気で年上を敬ったらどうだ。・・・いや、ようやっと成人したばかりの小娘では、敬うという考えすら浮かばないか」

 いつもは適当にかわすフィリウスは、珍しく不機嫌そうに眉を寄せる。

「・・・私はもう、十七です」

 ぱちくりと瞬きをしたオルグを肩越しに睨みつけながら、

「騎士団の最年少入団記録は十七歳でしたよね? だからもう、年のことで貴方にとやかく言われる筋合いはありません。これ以上その手の侮辱をするのならば、ハイレン様は団長の地位にいるべき心の持ち主ではないと、ユリウス様に進言させていただくことになりますよ。・・・大切なのは年齢ではなく実力。その程度、貴方はわかっているでしょう? あまり失望させないでください」

 オルグが何か言葉を返す前に、不機嫌を表に出したままフィリウスは退室していった。

「・・・」

 無言で見送ったハイレンは、しばらくの後大きく深いため息をついた。

 

 夜。一人で酒を飲んでいたユリウスを訪れる者がいた。

「はい。どなたですか?」

 答えて扉を開けた人物を見て、驚く。珍しい人がそこにいた。

「これはこれは・・・オルグ様。どういたしました?」

 ソファに招いて、酒とつまみを前に出しながら聞く。オルグはそれに手をつけようともせず、ただ黙っている。机を挟んで対面する形で腰を下ろしたユリウスに目も向けず。

 ユリウスは苦笑した。オルグがユリウスのことを認めてくれていることは、言葉にされなくても十分わかる。だから、こうして時々訪ねてくるのだ。たいていは酒を飲みながら色々話す。今日の様子だと、愚痴か悩みでも言いにきたようだ。

「・・・何も言わないのなら、私はそろそろ寝ますけれど?」

 あまりに黙りこくっているので、ユリウスは会話を促した。うむと頷いたオルグはやっと酒に手を伸ばす。一口含んで喉を潤すと、その鋭い瞳でユリウスを射抜いた。

「ユリ、お前の弟子のことなのだがな」

 当たりをつけていたユリウスは、やっぱりと思いながら相槌を打つ。

「ええ。フィリが何か?」

 お小言をもらうことを覚悟して、自然苦笑い。けれどオルグの顔は不満を言いにきた人間のそれではなかった。ユリウスはそれに気付いて、首を傾げる。

「・・・あの娘、もう十七になったそうだな」

「そうなのですか?」

「ああ、そう言っていた」

 一体何を話し始めたのか。そんな感じだった。

 ――グレフィアス国では誕生日を祝う習慣はない。正確にはあるにはあるのだが、祝うという形ではなく、あくまで“生んでくれてありがとう”と母親に感謝を捧げる日なのだ。家族や親しい友人などを招いてお祝いをする者もいるが、そう多くはない。一般的には、花を飾って夕食を家族全員でとる程度のものである。

「・・・それが?」

 いつ十七歳になったのか知らないが、本人が言わないのだから別に興味はなかった。オルグは何を気にしているのだろうか。ユリウスは傾げたままの首に左手の平を当てて、前屈みに膝に肘をつく。

「オルグ様。・・・もしかして、誕生日を祝おうとか、そんな用件で来たのではありませんよね?」

 うっと言葉を詰まらせるオルグに、まさか図星ですかと目を見開く。

「・・・何かありました? 貴方はフィリのことを嫌っているではないですか」

 それはそうだがと頷いて、オルグは思慮深げに右手を顎に当てる。

「確かに生意気な、気に食わない小娘ではある。だが自身の役目を放棄したりはしないし、向上心もある。そこは認めているのだ。・・・今日はとりあえず、あの娘に適度に休みをとらせるよう言いにきた。全く休みをとっていないだろう? それにな、私が誕生日を祝うなどと考えたのにも、ちゃんと訳があるぞ」

 その訳とはと、ユリウスは先を促す。

「・・・あの娘、多分親無しだろう。もしや祝ってもらったことがないのではないかと、そう思ってな」

 祝われることも祝うこともできないのは、悲しいことだと。余計な世話だがな、と自嘲気味に笑うオルグの、その複雑そうな、どこか愛おしい者を見るような目に、この人はどうしようもないと、ユリウスは苦笑した。

「全く貴方は・・・どうしようもない、子煩悩人間ですね」

 オルグは否定もせず、自分でも嫌そうな様子で黙り込んだ。

 ――オルグは鬼の騎士団長だが、実は子どもにめっぽう弱い男でもある。妻子は別格だが範囲は家族だけには留まらず、その深い愛情は自分より年下の全てに向けられる。一旦自分が子どもと思ってしまったら大切に守ってやらないと気のすまない、困った癖があるのだ。

「なんで、よりにもよってフィリが、子どものくくりに入っているのですか?」

「知るものか」

「・・・そうですか」

 段々不機嫌になっていくオルグ当人にも、本当にわかっていないらしい。いつどんな事情で“守ってやらないといけない”対象になってしまったのか。・・・きっと、きっかけは些細なことだ。

「・・・誕生日など祝っても、フィリは喜ばないと思いますよ。それにきっと、亡くなったという祖父に祝ってもらっていたでしょう。心配することではありませんよ、オルグ様」

 ただ、休みは必要ですね。本人が何も言わないから放っておいたのですが、今度からは一ヶ月に一度はとらせるようにしましょうね、と。そうオルグの言葉を受け入れて、ユリウスはゆったりと微笑んだ。

(フィリ。貴女は頑張っているけれど、やっぱりまだ大人にはなりきれていない)

 弱音を吐かない、度胸のある、聡いフィリウス。年の割には大人びて、誰の助けも必要としないように見えるけれど・・・どんなに頑張ってはいても、大人に心配されるうちはまだ子どもなのだ。

「オルグ様。理由はどうとして、フィリのことを子どもだと思ったならば、少しは優しくしてあげてください。喧嘩は止してくださいね?」

 ぐっと言葉に詰まったオルグに満面の微笑みを向けて、ユリウスはグラスを傾けた。

「・・・まあ、飲みましょう?」

 

 ユリウスはその後久々に、次の日軽く二日酔いになるほど酒を飲むこととなった。というのも、オルグがやけになったように酒を呷るのに付き合ったせいである。しかしそれもまあ、自業自得のようなものであった。




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