グレフィアス歴646年 9
残暑厳しい日だというのに、その部屋は何故か少し涼しく感じた。目の前に立つ者達にできるだけ緊張を見せないように微笑しながら、 「今日から、よろしくお願いいたします」 儀礼的に言葉を交わした。 ――この日正式に、フィリウスはラドアリア家の養子となった。 「ねえ、フィリ。新しい家族とは仲良くやっていらっしゃるの?」 出し抜けにそう尋ねられ、一瞬言葉に詰まる。が、いつも通りの笑みを作って、はいと答える。それならよかったわ、と我が事のようにほっとするレイを見て、少し心が痛んだ。 ・・・実際、仲良くやってはいないと思う。フィリウスは養子という関係を結んだだけで、住居を移す予定もないし、挨拶以外の何かをした覚えもない。ラドアリア家の面々もそれをわかっていてフィリウスを受け入れたため、名前を貸すという状態以上のことは、何も求めてはいない。 それでも、家族、なのだろう。レイがそういうならば。 複雑なものである。フィリウスは、そんなもやもやする思いを誰にも打ち明けるつもりはない。それよりも今考えるべきは、あと一週間後に迫ったリアリスとレイの婚約の儀についてである。 「レイ様、何か、特別になさりたいこととか、本当にないのですね?」 「もう、何度言えばいいの。私は、リアリス様の妃となって、あの方を支えていけるならば、他に何もいらないわ。どうしてそう何度何度も聞くのかしら?」 「いえ、だって・・・」 わがまま言わないのがおかしい、なんて言えない。たじろいだフィリウスに助け舟を出したのは、他ならぬリアリスだ。 「そうむくれないで、レイ。怒り顔も可愛いけれど、貴女には笑顔の方がもっと似合うよ」 けれどこれはこれで、部外者にはきつい。顔を引きつらせたフィリウスはレイが側を離れた瞬間、ちょっと先生の下に行ってきますとその場を逃げ出した。 「あの後が怖いのよ・・・あの後が」 「リアは人目を憚らないからな」 「ええ。・・・ってどうして、当然のように横に並んでいるのです?」 いつの間にか横を歩いているグランに訝しんで尋ねれば、お前と一緒に逃げてきたという言葉。ちゃっかりした男である。 ――グランはリアリスの友として。フィリウスはレイの友として。よく彼らは一緒にいる。今回の婚礼の儀にしても、本来あと一ヶ月は先になる予定だったところを、宰相関連・・・つまりは王宮内部を動かしやすいフィリウスと、騎士団・・・警護を担当するグランの地位を目一杯利用して、こうした日程になったわけである。 「全く・・・グラン様、何気に要領良くてがっかりです」 「何だその“がっかり”てのは、おい」 「本当、失望しますよ」 「こんなんで失望されてちゃこっちがたまんないって・・・」 互いに特殊な立場の二人は、ここ一ヶ月ほどでいつの間にか以前より打ち解けて、フィリウスはグランのことをファーストネームで呼ぶようになり、ちょっとした軽口程度は言い合う仲にまでなった。それをすごい進歩だと思っているのは、当人達以外である。当の二人は、細かい所まで話し合っているうちにまどろっこしいのが面倒になったというだけのことだから。 「それにしても、本当にしつこくレイ様に聞いてるな。何でだ?」 グランの何気ない疑問に、フィリウスは非常に嫌そうな顔をした。 「な、何だ?」 そんなこともわからないのか、という様子でため息をついて、 「・・・私も女性の端くれです。あいにくと結婚願望そのものは皆無ですが、式に何がしかの夢を抱いている女性が多くいることくらい、わかりますよ。だから、何度も聞いているのです。たった一度きりのものに、悔いを残してほしくはないではありませんか」 男ってのはこれだからとでも言わんがごときしかめっ面でそれを言うフィリウス。何だか非常に珍しいことを言っているなと思うのは、気のせいだろうか。思わず、 「・・・お前、そんなこと思えるんだな」 そう呟いてしまったグランは、脛を思いっきし蹴られて声もなくその場にうずくまった。 「・・・最低」 フィリウスは吐き捨てて、さっさと先に行ってしまった。 グランは容赦ない蹴りに悶絶しつつ、言動共に過激化の一途を辿るフィリウスのことが、何だか本気で心配になってきたのだった。 “花をまくわ。あの花を。空いっぱいに咲かせる。風に乗せて山の向こうまで届けてみせる” そう、花をまくのだ。言いきれない言葉の代わりに。伝えきれない想いの代わりに。・・・花をまくと、そう約束を、交わしたのだ。 荘厳な式が、ゆっくりと時間をかけて行われる。纏うは質素な白のドレス、白の騎士装。余計な飾り一つない。しかし、それでも少女と青年の美しさは欠片も損なわれない。どれだけ静かにしていようと、そこにいるだけで存在を主張する者。くしくも、此度婚姻する二人は、揃ってそうした才気の持ち主だ。 王家の者と、宰相、文官長、騎士団長。彼らの他にその場にいるのは、フィリウスのみ。特例として、フィリウスはその場への列席を許されている。レイとリアリスの希望もあるし、何より次代の宰相であるからだ。 フィリウスは思う。確かに、綺麗で静か厳かで、良い式だ。王族の威厳を持った、一般人ではとてもできない式である。 (でもやっぱり・・・しっくりこない) 故郷の結婚式を思い出す。あの、一年の半分近くを白で覆われた地域が、その日だけはとても色鮮やかになる。色の洪水だ。その中を、新婦と新郎が渡っていく。幸せそうに、手をつないで、微笑みながら。 ようやく長い式が終わると、フィリウスはいてもたってもいられなくなった。出口に近いのを利用して、こっそりと、誰にも気付かれずにその場を抜け出す。 一言話しかけようとしたレイが真っ先に気付いて、いないと騒いだのはずっと後のことだ。 ぞろぞろと連れ立って儀式の間を出てきた彼らは、一人また一人と別れて、最後には主役の二人だけが残った。部屋への道を歩く。その道筋で、レイが言う。 「リアリス様。未熟な妃ですが、今後末永く、よろしくお願いいたしますわ」 答えるリアリスは、その小さく白い手を握りながら、 「それは私の台詞さ。仲良くやっていこう、レイ」 「ええ、勿論」 それから、握られた手をきゅっと握り返して、レイはやや気落ちした顔で呟く。 「フィリは・・・どうしたのかしら」 祝ってくれないのかしらと、寂しそうな顔。その頭をぽんぽんと優しく撫でて、 「そんなことはないよ。多分フィリは、私達のことを祝ってくれようとして、準備をしに先に出て行ったのではないかな」 実際式の最中不満げな顔を浮かべていたのを、リアリスはしっかり目撃していた。それと今までのフィリウスの言動から考えるに、独自に何かしようとしているのは確かだろう。 「きっと、あんな格式ばった式よりも、素晴らしいお祝いだよ」 レイが、ぎょっとしたように目を見開いた。 「リアリス様。その言い様は、その」 「ああ・・・。仮にも王子が、王家の伝統ある儀式を批判するのは、よくないか」 しばらく考えて、適切な言葉に思い至る。 「そうだね。・・・友人から貰う、贈り物って言い方にしようか」 それだったら語弊はないだろう、と微笑むリアリスに頷くレイ。後は無言で自室へ向かう。 広い王宮を歩いて、次の曲がり角の後の直線で到着、というところで、ひょっこりと目の前にフィリウスが現れた。 「フィリ! 貴女、私を置いてどうしていなくなるの!」 驚いたでしょう、と屈託なく抱きついていくレイを見て、ちょっと嫉妬しそうと苦笑するリアリス。フィリウスの後ろから歩いてきたグランに近寄って、 「あの二人は、本当に見ていて羨ましくなるくらい、仲がいいね」 「・・・お前、妬いてるのか?」 信じられないものを見た、とびっくりする幼馴染の肩にリアリスはそっと手を置く。 「女の子はいいね。ああやって抱き合っていても、微笑ましいだけで済むのだから」 「・・・間違っても真似するなよ。離れろって、おい」 不穏な気配を放つ、常よりも輝いて見える白尽くめの彼を引き離し、グランはフィリウスに声をかける。 「おい、こんなところでじゃれてていいのか?」 レイを宥めていたフィリウスは、はっとしたようにグランを見た。 「それもそうですね。つい」 「・・・お前、レイ様に甘いよな」 呆れてため息をつくグランを軽く睨みつけて、フィリウスはその場の主導権を奪取する。 「レイ様、ささやかながら、私からもお祝いをと思いまして。・・・こちらへ」 先導する。横にグランが並ぶ。その後ろについて、リアリスとレイが続く。 彼らが向かうのは裏庭の方角だ。東屋が一つあって、冬以外は常に花が咲く、そんな場所。 色とりどりの花々が、風に香りを乗せている。綺麗ですわ、とリアリスに微笑むレイの無邪気なこと。それに微笑み返すリアリス。先導していたフィリウスが、つと足を速め、一行から外れた。十数メートル先にある東屋で待機していたシリカから小さな籠を受け取って、それを道にはらはらと撒く。赤、青、黄、そしてそれから派生する、様々な色合いの花びら。 「・・・? 何をしているんだい?」 「あいつの故郷の風習らしい。婚約する二人は、花の道の上を歩いて神の御許まで進むんだとさ」 「へえ・・・。花の道、ね」 耳を澄ますと、フィリウスは何やら小さな声で歌っている。言葉は、聞いたことがないものだった。 「―・・・・・――・・―♪ さあ、神の祝福を」 そう呟いてこちらを向いたフィリウスの手から、最後の一片がはらりと落ちた。 「グレフィアス国を護る霊峰ガエトの神より祝福を受けし子が、神に代わって、この国の益々のご繁栄と、貴方方の幸多き未来を、お祈りいたします。さあ、どうぞこちらへ」 自らはその道の脇を歩く。それに倣って、グランも花の道を避ける。リアリスはレイの手を引いて、ゆっくりと花の道を通過した。 東屋に着いて振り返った二人が見たのは、突然吹いた強い風に、あっという間に吹かれて消えた花の道。その名残の、空に飛んでいく無数の花びら。 「すごい、綺麗・・・」 「一瞬で・・・」 すごいでしょうと微笑むフィリウスはシリカとともにお茶や菓子の準備をてきぱきとこなしながら言う。 「あれは、偶然ではないのですよ」 え? と首を傾げるリアリス、レイ、それにグランとシリカの顔を見もせず、手際よくグラスを並べる。 「偶然と言えば偶然なのでしょうけれど。どんなに穏やかな日でも、また前日の雨に土が重く濡れた日でも、あの道は通るべきものが通った後、必ず、全て風に流れて消えてしまうんです。今まで一度の例外もなく、です。ここで道を作ってもそうなるだろうと、確信はありましたが・・・やはり、風が吹きましたね」 当たり前のように言うフィリウスに、どうしてだとグランが問う。が、答えは、 「そうであるべきだからでしょう。私にはわかりません」 だった。不可思議な現象に首をひねる者達を苦笑をもって見回し、 「いいではありませんか、細かいことは。それよりも、いただいてください。グラン様も。身内で気楽にお祝いしましょう」 いつの間にか目の前に並べられた様々な種類の菓子類にびっくりする。 「まあ、美味しそう!」 「美味しそうでしょう? 召し上がってくださいな」 「じゃあ、遠慮なく」 主役であるリアリスとレイが先に一口食べる。さくっと音をたて口の中で解けるクッキーは、世辞なしに上手い。グランも手を伸ばす。全員が食べる様子を、フィリウスはにこにこと見守る。 「美味しいですわ。フィリ、これ、どこのお店のもの?」 城下かしら、と興味津々なレイに誇らしげに微笑む。 「作ったのは、私です」 えっ?! と一番大声を出したグランに、いつも通りに皮肉が浴びせられる・・・と全員が思ったが、フィリウスはただ機嫌良さげに笑う。 「喜んでもらえたなら、嬉しいです。お菓子なんて滅多に作りませんでしたから、ちょっと不安だったのですけど」 ぶどう酒をグラスに注いで、立ち上がる。 「ケーキもあるんです。厨房に置かせてもらっているので、とってきますね」 シリカが、そんなことは私がやりますと慌てる。それを微笑みで制して、フィリウスはその場を去った。 残されたシリカがおろおろしていると、リアリスが彼女を呼んだ。 「ええっと、シリカ、でいいのかな?」 「は、はい! シリカ・リズと申します」 「そこ座って、一緒に食べよう」 「・・・えっ?! いえ、そんな! 一介の侍女が、殿下と共の席に着くなど」 「別に、いいではないの。美味しいわよ。折角フィリが作ってくれたのだもの、一緒に食べた方が楽しいわ」 「いえ、でも・・・」 「別に、いいんじゃないか? ・・・そんなこと気にしてたら、あいつの侍女なんて続かない気がするけど」 「それは、ええっと・・・」 ・・・フィリウスがいない間に、そんな会話があった。ややあってケーキを携えて戻ってきたフィリウスは、その短い時間に何やら場に打ち解けた様子のシリカを見て、頬を緩めた。そしてこちらに気付いたシリカが慌てて立ち上がろうとするのを、首を振って止めた。 「フィリウス様・・・」 「シリカ。今日は、侍女はおやすみ。わかった?」 「え・・・」 ケーキを机の上に置く。等分、五人分に切り分ける。 「ここでこうしている今は、みんな、私のお客様よ。今日の主催者は私。いいわね?」 面倒な敬語もそっくり省いて、全員に平等に接する。他の臣下、特にオルグ辺りに知られたら間違いなく怒られるだろうが、それはそれだ。 ――身分なんて面倒だけれど、それはきっと、今更取り除けないもの。だから、せめて壁だけは・・・自分が作る心の壁だけは、どうにかしたくて。 そんな理由も一割込みの、ちょっと特別な午後のお茶会。
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