宰相の弟子

グレフィアス歴647年   1





 今年も花祭りの季節がやってきた。年が明けてまだ三日足らず、フィリウスは昨年に続いてその準備に追われているが、今年はさらに忙しさを増していた。

「リアリス様、やっぱり、これがよろしいと思いますわ」

「これ、かい? いや、私は、これはどうかと思うのだけど・・・」

「何故ですか? リアリス様、乙女心をわかってはくださらないの?」

「いや、そういうことではなくて・・・」

 ラブラブモード全開の次期国王夫婦のお望みを、どうしてもきかなければならないから。正確には、その二人の補佐をしなければいけないからだ。

「・・・もう、どうでもいいので、早く決めてください」

 そう口に出してしまう程度には、忙しくてしょうがない。いちゃいちゃしながら話し合っていた二人はぴたりと動きを止めて、疲れた様子のフィリウスを見る。

「早くして、いただけますか? 今日には決めてくださると、約束しましたよね。今決めていただかないと、とてもじゃありませんけど準備が間に合いません。その案の中のどれをとっても、人手がたくさんいるんです。その辺、わかっていらっしゃいますか?」

 キレてはいないが、ぎりぎりの線まで苛ついている。その厳しい目に見つめられて、二人は反射的に謝った。

「す、すまない・・・」

「ごめんなさい、フィリ・・・」

「・・・いいから、早く決めてください」

 こめかみに手をやってため息をついたフィリウス。頭痛でもするのかもしれないが、それを心配するよりも先にやるべきことを、二人は急ピッチで進めた。

 ――リアリスとレイのお披露目を、花祭りに合わせてすることとなった。そしてそれに伴い、何らかの趣向を凝らそうという話が出た。折角やるならば、適当にやって適当に終わるのでは意味がない。印象に強いものでなくては。そんなこんなで二人はそれから十数分意見を出し合い、結局はレイの案で通すことになった。リアリスは申し訳なさそうにする。

「すまないね、フィリ。やはりこれが、一番いいと思う。けれど・・・一番人手と時間と労力がいる。今からで間に合いそうかい?」

「・・・リアリス様は、そんなことを気にしなくてもよろしいのですよ? できるかできないかではなく、やるのですから。大丈夫です、ひと月もあれば」

 フィリウスは苦笑して、二人がまとめたメモを手に取る。

「先生に報告して参ります。その後すぐ準備にとりかかり始めますので」

 フィリウスは急ぎ足で去った。その背を見送って、二人はさらに案を深めるための会話に没頭する。

 

 ――花の乙女と騎士。そんな昔話がある。

 今回、この昔話になぞらえた趣向を凝らすこととなった。具体的な中身は、一日目、まず男女に別れて好きな花を個々人で選ぶ。そして、同じ花を持つ男女が組となる。二日目、その中で一番花の乙女と騎士に相応しい二人を、参加しなかった者と組めなかった者達に選ばせる。選ばれた二人は花の乙女と騎士の代表として、春を告げるのだ。

 ユリウスの承認をもらったフィリウスは、城下にそのイベントを大々的に宣伝し人数を集めたり、グランやオルグを交えて警備について話したり、主催者であるリアリスとレイとの打ち合わせをしたりと、一ヶ月間休む暇もなかった。

 そしてようやく訪れた当日の早朝。・・・何故かフィリウスは、レイにドレスを突き付けられている。

「・・・レイ様? 一体、どういうおつもりです?」

 白いすらりとしたドレス。型としては簡素で、上質な生地だ。だが、そもそも白は着ない。

「フィリ。貴女も出るのよ」

 有無を言わせぬレイと、しばらく睨みあう。レイは引く気はないし、フィリウスはやや苛ついている。自然、声が低くなる。

「何の相談もなく、勝手に決めたのですか?」

「ええ。・・・でも、貴女には息抜きが必要よ」

「余計なお世話です。第一、私が裏で回さないで、一体どうするというのです?」

「大丈夫よ。祭典については全て、ユリウス宰相に頼んでおいたから」

「レイ様っ! ・・・先生だってお忙しいのに!」

「・・・でも、貴女の先生は二つ返事で承諾したわ! できなければ断るでしょう!」

 そのまま喧嘩になりそうな二人の間に割って入ったのは、リアリスだ。落ち着きなさい、と大声ではないが従わざるを得ない声。二人は言い争いをやめ、リアリスを見た。

「フィリ、レイが黙っていたのは悪かったけれど、驚かせようとしただけなんだよ。ユリはそれがわかっていて、快く承諾した。・・・そんなに、出たくはない?」

 フィリウスはその言葉にはっきりと首を横に振った。

「そういうわけでは。ただ、勝手に決められて、知らないうちに先生に迷惑をかけるのは・・・」

「嫌だったのだね、そういうのは。・・・すまない」

 リアリスが真面目な顔で謝罪を述べるから、フィリウスは慌てる。

「いえ、その・・・こちらこそ、申し訳ありません。かっとなってしまって。レイ様、ごめんなさい」

 フィリウスがレイを見ると、レイはたいして堪えてもいなかったようだ。いいえ私も、と微笑んで、まだ手に持ったままだった白のドレスをすっと差し出す。

「・・・着て、くれるかしら?」

 フィリウスは困ったように笑って、

「・・・ご厚意、ちょうだいいたします」

 それを、受け取った。

 

 それならばとフィリウスは、すぐさまバルを駆って王都の外まで走った。そして花を集める。フィリウスが一番好きな花、シアン。雑草にすぎないのだが、花屋に売られているどの花よりも、フィリウスには好ましい。

 花を集めて城に戻ると、元フィリウスの部屋で、レイが用意したドレスに着替える。さすがに王族が用意しただけあって、簡素であっても品があり、生地も良い。ほうとため息をつく。素晴らしい。ただ、白い色なので少し落ち着かない。

 腰元まである髪はいつもまとめるか一本にするかしているのだが、今日は左右の髪だけ緩く編み背に垂らす。癖のある赤髪は炎のように揺れた。常のように軽く化粧をしてから、髪にシアンを一輪差す。束にしたシアンは布に包んで手に持つ。さっさと準備を終えたフィリウスは、一度ユリウスの下を訪ねる。

「先生」

「フィリ? 貴女祭典は・・・これから行くのですか。ああ、綺麗ですね」

 ユリウスはそう褒めた。フィリウスはそれに微笑んで返し、

「先生、すいません。・・・よろしくお願いします」

 頭を下げる。ユリウスはそれに頷き、早く行きなさいと急かす。

「はい。いってきます、先生」

 フィリウスは満面に笑みを浮かべて、階段を下りていった。

 

 

 そして、花祭りが始まった。

 

 

 

 ・・・正直、こんな微妙な花をわざわざ選んだのは、下手な女の子とお近付きにならないためだ。俺、自他共に認めるけど顔いいし。頭の悪い女の子にこれ以上もてたくないんだよね。でもまあ、こういうお祭りには参加しときゃなきゃあれだし。つまりは、ペアを作って騎士になって目立とうとか、あんまり考えてなかったわけだけど。

「・・・そこのお嬢さん?」

 予想以上のがいて、驚いた。思わず声をかけるくらいには。

 

 声をかけられたフィリウスは、振り返って目を丸くした。

「その花・・・」

「うん、俺もびっくりした。同じだよな」

 シアンの花を胸ポケットに差し、その花束を手にした白い正装のとても見目のよい青年。

「うっわ、貴女、美人だね」

 口が軽そうだ。変なのに目をつけられたかと思いながら、答える。

「貴方こそ、すごい美形じゃないんですか? 辺りの女の子の視線が釘付けですけど」

「そっちこそ。周り見てみなよ」

 言われて見てみれば、十数人くらい一気に目を逸らした。

「・・・」

「そんな嫌がらなくても。綺麗なものを見ていたいっていうのは、人間の本能だよ。仕方ないんだ」

 言葉の最後が、やけに悟った風だ。この青年は常にこんな境遇なのかもしれない。だとしたら、悟りもするか。

「それはそうとさ・・・」

 青年が近付く。フィリウスより頭半分ほど背が高い。やや見上げる。

「折角の偶然だから、ペアになろうよ。どう?」

 断るのもノリが悪いので、フィリウスは少し考えてから、頷いた。別に断る理由はないし・・・何より、今日は祭りだ。何事も楽しまなければ。

「決まりだね。俺、アルゼ。アルゼ・クルス」

「私は、フィリウスです。フィリウス・・・ラウル、です」

 今となっては旧姓を名乗って、フィリウスは微笑んだ。

 

 ほとんどが十代から二十代の若者だが、結構多く参加者がいて、しかもペアが出来たようで驚いた。顔見知りか初対面かは知らないが、結構皆話が弾んでいるようだ。周り中をカップルに囲まれた状況はとても珍しい。しかも自分がその中の一つだなんて、さらに珍しい。

「どうしたの? フィリ」

「ううん、ただ、たくさんペアが出来たんだなって思って」

「ああ、まあ、当然の結果だよね。男も女も、出会いっていつも求めてるから」

「そういうもの?」

「フィリは違うんだ。・・・そういうのは、よくわからない?」

「・・・そう、だね。よくわからない」

「そっか」

 短時間だが、話してみてわかった。アルゼは賢い。必要以上に訊かないし、求めない。顔だけでなく、本物のできる人だ。藍色の目は理知に富み、短めに切られた色素の薄い茶の髪のためにやや子どもっぽく見えるが、年齢はフィリウスより二歳上だという。

 こういうデートっぽい状況でとるべき行動がわからないフィリウスは、ずっとアルゼにくっついて歩いている。こうして歩くのも、ペアを組んだ者達の仕事だ。

 参加者は観察されている。参加しなかった者達が誰に投票するかは、見た目だけでなく、ペア同士の仲の良さや行動にもよる。遊びの延長のようなものではあるが、結構誰もかれもが真剣だ。そのせいで緊張しているペアもいるが、フィリウスとアルゼはまるで自然体だ。観察され慣れているのだ。

(アルゼ・クルス・・・何者なんだろう、この人)

 訊いたら答えるだろうが、そうするとフィリウスのことも話さなくてはならなくなる。それは困るので、訊けないでいる。

「あ、フィリ、次はあそこを見ようよ」

「え・・・また買ったりしないよね?」

「似合うのがあれば、買うよ? 大丈夫、そんな高いものは買ってないし。買いたくて買ってるんだから、気にしないで貰っておいてよ」

「・・・でも」

「女の子は遠慮しないで、どんどん男に甘えないと! まあ、俺を練習台だと思って。折角ペアになったんだからさ」

 ・・・とりあえずアルゼのことですぐわかるのは、彼が結構強引だということ。小さな青い石のついたネックレスと、細い銀のブレスレット。普段つけるわけでもないのに買われ、これ以上装飾品が増えても困るばかりだ。次は断固阻止しようと思う。

 

 驚いたことに、俺のペアはデート一つしたことのない子だった。顔はいい、性格も好ましい。男が放っておかないとは思うんだ。だから多分、この子が鈍感なのか、男が奥手なのかのどっちかだと思う。

「ほら、フィリ。これも似合う」

 まあ俺は奥手じゃないし、鈍感だろうが気にしないけど。

 ああほら、また困った顔をする。可愛いね。慣れた女の子だったら、こっちが口を出す前に勝手に自分で買いたいものを決めて、買わせてくるのに。予想だけど、フィリは相手に貸しを作ったり、弱みを持たれたりするのが苦手なんだ。こういうきっちりした性格の子って、元からの性質なのは勿論だけど、結構職業柄なこともある。よくよく観察すれば、ドレスは一ランク上の生地を使っているし、肌も荒れてない。貴族の家とか、王宮とか、そういういいところで働いているか・・・もしくは、そういう家の子なのかもしれない。そう思って見れば、立ち居振る舞いに品がある。うん、きっとそうだ。間違いない。

 

 昼飯を可愛らしいオープンカフェで済まし、それから後もしばらくアルゼと二人で歩いた。夕刻が近付く頃には周囲の視線もだいぶ緩和され、アルゼの衝動買い(フィリウスはそう認識した)も収まって、ようやく一息つく。

(・・・そういえば、私、初対面の人と一日遊び歩いて、よく気まずくなったりしないな)

 気が休まると同時に、ふっと思う。私はそんなに気安い方ではないのに、と。どこへ行くでもなく並んで歩きながら、アルゼの横顔を見上げる。それに気付いたアルゼが、何? と微笑みながらフィリウスを見る。無言で首を横に振る。

 自然と、二人は手を繋いでいた。赤くなる空に向かい、人の少ない裏通りを、何を話すでもなく歩む。春めいてきたとはいえ、日が落ちればまだ寒い。横にいる人の体温と、繋いだ手の熱さ。知りあったばかりの男の人の、見た目よりもごつごつした手。

(・・・ああ、そっか。だからだ)

 腑に落ちた。フィリウスが安心している、その理由は・・・。

 

 繋ぎっ放しの手を一瞬きゅっと握られて、俺は前を向いたまま微笑し握り返した。言葉はいらない。この繋いだ手が、言葉よりも素直に互いの感情を伝えることだろう。そういう微妙なものがこの世にはある。言葉は、触れ合うことで伝えきれない想いを伝えるために、巧みになったのだから。

「・・・今日は、いい日だったね」

 こくりと頷いた横顔はどことなく憂いを帯びて、沈む夕焼けを見つめていた。

 

 ・・・フィリウスを、詳しくは知らない人。アルゼはフィリウスに何も求めるものがない。たった一つの先入観すらない。だから安心できる。フィリウスは柔らかく自然に振る舞える。

 それは、少し寂しいことだ。けれど、仕方がないことなのだ。

 

 

 また明日と約束をして二人は別れた。花祭り一日目が、熱も冷めやらないままに終わった。




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