グレフィアス歴647年 3
花祭りは今日も続くが、フィリウスはいつも通り、仕事をしている。そして昼。労いの言葉をかけにリアリスとレイの下を訪ねると、それを見越していたかのようにお茶の席に招かれた。 「ちょうどよかったわ。貴女を呼びに行こうと思っていたところだったの」 「そうなのですか。入れ違いにならずによかった」 そうねと可愛く笑うレイは、フィリウスの手を引きいつぞやの東屋へ向かう。仲の良い二人を微笑ましく見つめながら、リアリスも後に続く。 ――レイは、フィリウスと話したかった。フィリウスも、レイと話したかった。 花祭りが無事に終わった。乙女と騎士の選出から春告げまでほとんど二人で考えたようなものだから、喜びもひとしおだ。実を言えばフィリウスの心とてまだ浮ついていて、仕事どころではない状態だ。それを意思の力で抑え込んでいる。 潰れるほどに酒を飲んで、朝起きた時。昨日はあれほど恥ずかしくてどうしようもなかった出来事を、もう思い出として消化し始めている自分に気付いた。 思い出。フィリウスが辿った道のこと。渦中にいる時は、恥ずかしかったりつらかったり楽しかったりと目まぐるしく感情も変化するけれど、過ぎてしまえばそれは、ただ経験として蓄積していく。・・・堆積した経験は、そして愛おしい思い出となる。 「フィリ、昨日は綺麗だったわ。白いドレスも似合っているわよ」 「そう、ですか? 自分では、私に白は似合わないと思っていたのですが」 「そんなことないわ! 貴女の見事な赤髪と透き通った緑の瞳が、よく映えるもの。ねえ、リアリス様?」 リアリスは優しい笑みを浮かべただ頷く。その手にはティーポットがあり、三人分のカップへと、琥珀の液体が注がれていた。気が付いたフィリウスは慌てる。 「あ、リアリス様、それは私がやりますから・・・」 「いいよ。今回一番働いてくれたのは、フィリだろう? その次がレイ、そしてユリ、グラン、オルグ・・・。私は案外、何もしていないからね」 「そんなことは・・・」 「まあまあ、細かいことは気にしない!」 それにお茶を淹れるのは好きなんだ、とそう言われては引くしかない。フィリウスはやや手持無沙汰な感じで席に着き、レイに勧められるままクッキーを一つ頬張る。 緩やかに雲が流れていく。三人の会話は弾んだ。・・・そのうちふと、今さらながら思ったのか、そういえばフィリ何歳? とレイが唐突に口にする。 「あら、知りませんでしたか? 私、十八です」 「ええ! 年下だったの?!」 「何歳だと思っていたんですか? 一体」 苦笑交じりに聞けば、二十歳前半くらいだと思っていた、とのこと。大人っぽいということなのか、老けているということなのか。多少は気になるところだ。 「・・・十八、か。もう二年も経つのだね」 しみじみと、リアリスが言う。フィリウスは無言で頷いた。――十六歳でここに来て、もう十八歳。あっという間に二年も経ってしまった。 (二年・・・あれから、二年。長かった? ・・・ううん) 二年間の記憶を遡る。それは、怒濤のように過ぎた気がする。 「・・・フィリ?」 思考の海に潜っていたフィリウスは、名を呼ばれはっと顔を上げた。 「ごめんなさい。ちょっと・・・ぼんやりしました」 疲れているのかいとリアリスに心配されるが、違うと首を横に振る。 「大丈夫です。思い返していた、だけですから」 リアリスはそうかと頷いて、ここではないどこかを見るように、目を細める。 「・・・フィリ。二年は、早かったね」 「ええ・・・」 二人は目を合わせて微笑みあった。 その様子を脇から見ていて仲間外れにされたように感じたレイは、少し頬を膨らませながら二人の間に割り込む。 「誕生日はいつって訊いているのに無視して二人の世界をつくらないでちょうだい! もう」 そしてレイは、フィリウスを背に庇うような形でリアリスと対峙する。 「特にリアリス様! フィリをかどわかさないで!」 レイに睨まれたリアリスは目を丸くして、 「・・・相手を間違えてないかい、レイ」 そう呟いた。 それはそうと、誕生日はいつなんて訊かれるのは珍しいことだった。フィリウスはいたずらげな笑みを浮かべ答える。 「実は・・・昨日なんです」 その答えにリアリスが大声を上げる。 「昨日?!」 ついで、レイ。 「それを早く言ってちょうだいよ!」 聞かれないから言わなかったのです、と二人の驚愕ぶりに引くフィリウス。 「な、何かいけなかったですか?」 不安になり尋ねると、二人は同時に、いやそんなことないけど、と言葉を濁す。ちらりと交わされた視線が、何やら怪しい。 「何か・・・たくらんでませんか」 二人はまた同時に、いや何も、と首を振る。 ・・・結局フィリウスは追及をそこそこに止めざるをえなかった。気付くと午後のお茶の時間にしては随分経っていて、シリカが探しに来たからだ。慌てて仕事に戻るフィリウスの背中を見つつ、二人はほっと息をついた。 その夜。宰相師弟は執務室内で静かにペンを走らせていた。花祭りの間に溜まった仕事を片付けているのだ。 開いた窓から緩やかな夜風が舞い込む。カーテンと二人の髪をわずかに揺らす程度の自己主張をして、風は過ぎた。静寂の音が聞こえてきそうな気持ちのいい夜・・・をぶち壊して、いきなり扉がばんと音を立てて開けられた。 「っ何?! ・・・シリカ、どうしたの!」 見れば、それはシリカだ。常ならばノックの一つもせずに扉を開けるようなことは絶対しないのに、何事が起きたのかと師弟揃って立ち上がる。 「し、失礼します! リアリス様とレイ様が、巨大なケーキを、この部屋の真下に!」 ・・・は? 報告を受けた師弟は、口をぽかんと開けたまま数秒固まった。 「・・・ごめんなさい、シリカ。もう一度、言ってくれる?」 「わ、私も何が何やらわからないのですが、リアリス様とレイ様が、何段にもなった大きなケーキを用意して、お茶の準備をなさっているのです!」 「ええと・・・」 「窓の下を見てください!」 とりあえず言われるままに窓に寄り、バルコニーから下を見たフィリウスは、そのまままた固まった。そのすぐ後にフィリウス同様下を見やったユリウスは、一回視線を空にやってから、もう一度下を見た。 ・・・確かに、リアリスとレイがいる。巨大なケーキも、ある。 「何を、しているのですか、あなた達は」 驚きより呆れが先行したユリウスは、隣でまだ停止しているフィリウスの思考を取り戻させながら尋ねる。その声に気付いて顔を上げた二人は、いたずらが成功した子どものような笑顔。 「フィリの、十七歳と十八歳の誕生日と、」 「ユリの弟子になったことと、」 「私達と出会ったことと、」 「花祭りが無事終わったことと、」 「これから先を祈って、」 「お祝いだよ」「お祝いですわ」 リアリスとレイは声を揃えて、おめでとうと言った。 ――最後の最後にこんなことがあって、フィリウスの人生で二回目の花祭りは終わった。
|