グレフィアス歴647年 5
王宮では人手が足りなくなった年に、新しい人員を雇い入れている。各々の事情で侍女と下働きの人数が減ったため、四月、その分を補うために面接をすることになり、フィリウスはその様子を見学することとなった。 侍女の格好に扮し、いつぞやの面接官五人の背後、壁際に立つ。その横にまたいつぞやのようにグランが。フィリウスの右手の壁には下働きの青年が騎士服を着て一人、左手の壁には男女が、侍女と騎士の服で立つ。会議室――フィリウスの第一印象の通り、本当に会議室として使う――内に、総勢十人。面接官は各役職の頭だが、その他控えている者はほとんど格好を偽っている。宰相の弟子、次期騎士団長、料理長の弟子、二人の次期文官長候補・・・こうして次代を育て伝えていくことも大切なのだなと感じる。 面接は粛々と進む。いつぞやのように、貴族の三男四男や着飾った街娘などが、決められたかのように同じ言葉を話している。しっかり見ているし、聞いているのだが、いかんせん、どれを見ても同じようにしか思えない。 退屈だな、と思い始めた頃。約二十人目くらいだろうか。失礼しますと入ってきた女性に、フィリウスは何だか意識を引きつけられた。 淡い茶色のウェーブがかった髪、それよりもやや濃い色の目。落ち着いた低い声に、やや高い身長。格好は華美でなく、質素でもない。特段変わったところはなさそうな女性である。 (・・・?) 何が目についたのかわからないで、小さく首を傾げる。だが、よくよく見つめているうちに、面接は終わってしまい、その女性は部屋を出ていってしまった。 (何だったんだろう・・・?) 去り際、一瞬だけ目が合った。波一つない静かな目をしていた。 面接終了後、全員で宰相の執務室に移り、誰を雇うか正式に決める段階となる。まずは、雇わない者を弾く。常識の範囲で判断して、言葉遣いや動作に面接を受けているという意識のない者や服装あるいは髪形が派手すぎる者、また容姿も多少は見る。第一印象の問題は・・・特に容姿などどうしようもないことなのだが、ここが王宮という場所である以上、同じ能力を持つならより見目の良い者を雇うという不平等など序の口で、こうした一種の差別を内包してこそ、王宮という場は成り立っている。 三十六人中、十三人が省かれた。残り二十三人の中から、十人の意見を出し合って侍女を三人、下働きを五人決める。 「私、十三番の方がよろしいと思いましたわ」 「ユリウス宰相、二十八番は決定にしてくれ。手先が器用そうだ」 「四番の女性は子持ちらしいな。選ばない方がよかろう」 積極的に意見を出し合う中に、混じらないのが三人。一人は下働きの青年。これはあまりに場違いなところにいるための恐縮状態。一人はグラン。選任より護衛に重きを置いているためにあえて口を出さないでいる。そうしてもう一人、誰よりも意見を出しそうなフィリウスが、ずっと黙りこんでいる。 「・・・おい?」 話し合いの邪魔をしないようにグランが小さく声をかける。 「どうしたんだ? 話し合い、混ざらなくていいのか?」 問いかけられて視線を返したフィリウスは、何か考え込んでいる様子だった。どうした、と重ねて問えば、どこか戸惑った顔で、呟くように言う。 「ちょっと・・・気になる人物がいたのですけど、何が気になったのか、全然わからなくて」 その人物のことだけで頭がいっぱいなのが、手に取るようにわかる。グランはすぐ、話し合いにいそしむ者達に声をかけ意識をこちらへ向けさせた。 「ちょっといいか。フィリが、気になった者がいるらしいんだが」 急に水を向けられ焦るフィリウスを顎で促し、相談するように仕向ける。フィリウスはやや不満げな顔をしながら、促されるままに口にする。 「話を中断させてごめんなさい。正直誰を選んでも同じようなものだと私個人としては思うのですけど、一人だけ、目に止まった方が。・・・シゼル・リオートという女性です」 ユリウスは手元の紙をめくり、シゼル・リオートの履歴書を上に出す。商人の家庭の娘で、長女。ユリウスとマーラ二人の字で、良と書き込みがある。 「落ち着いた装いの、背の高い女性でしたね。受け答えも姿勢もしっかりしていたので、すぐにでも使えることでしょう。ユリウス様、いかがいたしますか?」 マーラはぱっぱと話を進めて、採用しそうな勢いだ。フィリウスが待ったをかける前に、ユリウスは簡単に頷いてしまった。いいでしょう。 「先生、私一人の意見でなく、ちゃんと皆さんにうかがってくださいよ!」 フィリウスが突っかかれば、ユリウスは苦笑する。 「ちゃんと貴女を含め全員に、話を聞きましたよ? その上で候補を絞った内の一人です、この女性は。貴女が推薦して女官長のマーラ様が承認しているのですから、何の問題もないでしょう?」 確かに、誰も文句はないようだ。むしろ、どうしてフィリウスが渋っているのかがわからないようである。不思議そうな顔をしている。 「フィリ。貴方は、この女性を推薦したいのですか? したくないのですか?」 ユリウスの問いに答えることができずに、結局シゼル・リオートは侍女として雇われることになった。何がそんなに気にかかっているのか、どれだけ考えてもわからないフィリウスは、説明できない苛立たしさに地団太を踏むのだった。 その日の夜遅くのこと。寝る用意をしていたフィリウスは、扉をノックされ首を傾げる。こんな時間に一体誰だろう、と思いながら扉を開けると、そこにシリカがいた。 「シリカ、どうしたの?」 「申し訳ありません、夜分に・・・」 大丈夫よ、と優しく笑う。部屋に招き入れ一脚しかない椅子に座らせ、自分は寝台に腰かける。 「何か話しでも? どうしたの?」 硬い雰囲気のシリカを和ませるように微笑み訊けば、シリカは二拍ほど間を置いてから、実はと話しだす。 「私・・・妊娠したんです」 え、と目を見開く。 「妊娠・・・? え、今、何ヶ月?」 四ヶ月です、と答えるシリカ。逆算すると、その機会があったのは・・・。 「・・・年明けの時?」 かっと顔を朱に染めたので、ああ合ってる、と思う。 「・・・申し訳ありません、フィリウス様」 何を謝るのだろうと首を傾げると、シリカは言葉を付け足す。 「私、家庭に入ります。だから・・・」 ああと思い至り、フィリウスは後を続けて言う。 「そっか、そうね。・・・辞めるんだ?」 目を伏せ頷いたシリカは、役目を途中で放棄することを恥じているようだった。そんなシリカに笑いかけ近付く。 「シリカ、おめでとう。・・・おめでとう」 ぱっと顔を上げたシリカは、泣きそうな顔をしていた。その肩にぽんと手を置き、 「どうして謝るの? ・・・子どもを産むのは、女にしかできない仕事。私の世話をするより、もっとずっと大切で、大変なことよ」 シリカはとうとう泣きだした。その体を抱きしめてあやしながら、 「これで最後じゃないんだから。一度辞めたらもう王宮には入れないけど、大丈夫、私が貴女に会いに行く。だから、元気な子どもを産んで、育てて、旦那様と仲良く、ね?」 シリカは嗚咽の中、ただ頷いた。 ――そして次の日、シリカ・リズは侍女を辞めていった。 女官長マーラからすると、ひとの上に立つ者に専属侍女がいないなんて、信じられないらしい。シリカがやめて次の日にはもう新しい侍女が付けられたが、フィリウスはすぐにマーラに言って、新しい専属侍女なんていらないと突き返してしまった。突き返された女性が可哀想だが、何より十歳以上も年上で、シリカが務めていた時から別にその必要性を感じていなかったこともあり、即決だった。 ユリウスもまた専属侍女をもっていない。師弟揃って、とマーラが嫌そうな顔をしたが、そういえば何故ユリウスは侍女をもたないのだろう。そう疑問に思ったが、あの性格ならば別に不思議ではないかと思い直す。 シリカがいなくて困ったことがある。たいしたことではないが、三食を同じ時間にとらなくなった。自分でお茶を淹れてもあまり美味しく思えなくなった。何より、少し、寂しい。 そんな折、マーラがフィリウスに声をかけた。 「フィリウス様。ひと月ほど前に雇い入れた、シゼル・リオートという者のこと、覚えておりますか?」 はいと頷き、 「覚えていますけれど・・・彼女がどうかいたしましたか?」 雇い入れた直後は、推薦したフィリウス自身も心配して何度か様子を尋ねた。しかしシゼルは何の問題も起こさず、出来も悪い方でない。むしろ良い方だ。本人も意欲的で、はきはきとよく働いているようだった。ああ私は気にし過ぎだったな、そう思ったフィリウスは、もうシゼルという女性に感じた言葉にできない思いのことなど忘れかけていた。 今のタイミングでシゼルの名が出るのを訝しく思う。マーラはやや及び腰に、 「あの者が・・・貴女の専属になりたいと、申し出ているのですが」 そう言う。 「・・・どういうことです?」 詳しく訊けば、シゼルは、フィリウスの専属だった侍女が辞めてしまったということを侍女仲間から聞き、ならば私はどうかと、自己推薦したらしい。年齢もさほど変わらず、まだ侍女として完璧ではないが、多少は役に立てるのでは、と。 「いかがいたしましょうか。いえ、シゼルはまだまだひとの世話をできるほど熟達してはいない者、本来ならば、そのような提案一蹴するところで、貴女にこうして判断を求めること自体間違っているのですが・・・」 マーラの心の内が手に取るようにわかり、フィリウスは苦笑する。・・・専属侍女一人すら使わない宰相とその弟子をどうにかしたいと、マーラはマーラなりに必死なのだ。 さてどうしようかと、フィリウスは床に視線を落とし考える。考えるまでもなく、いらないと一言言えば良かったのだが、どうしても、あの初対面の印象が忘れきれない。 「・・・シゼル・リオートがそう言うならば、専属に、してもいいです」 好奇心から、フィリウスはそう告げる。マーラは驚いたが、一度はっきり許可をしたフィリウスに対して、反論や確認などはしなかった。わかりました、失礼しますと下がる。 マーラは夕方頃もう一度、今度はシゼルを連れてユリウスの執務室を訪ねてきた。シゼルは硬い表情で宰相師弟に挨拶をし、マーラに一通りのことを教えられてから、即刻フィリウスと、フィリウスに付随する宰相ユリウスの世話をすることとなった。さすがに血の引けた様子で、きっと本人も自分の意見がこんなに早く実行に移されるとは、思っていなかったのだろうと予想される。 何はともあれ、この時、シゼル・リオートはフィリウスの専属侍女となった。 シゼルはいつも微笑を浮かべている。弧を描く薄赤い唇。白い肌。淡い色調の髪と目。視線だけが、いつだって人を射抜くように強い。言葉少なで、けれどそこにいるだけで目を引くような、そんな魅力のある女性だ。フィリウスの侍女となってひと月、古参の侍女と大差なく、シゼルはその役目を果たしている。 ・・・ある早い朝のこと。日の明けきる前に、蒸し暑さと雨の音のため起きてしまったフィリウスは、そっと部屋を抜け出し、一人王宮の廊下を行く。目指すは浴場である。この時間なので風呂は沸いていないが、汗もかいたし、少し水でも浴びてさっぱりしたいと思った。 浴場に着くと、そこには先客がいた。侍女服が一着、きちんとたたまれて置かれている。こんな時間に誰だろうとそっと扉を開け中を見ると、ここ最近で見慣れた淡い茶色の髪が、桶でタオルを洗っている。 「・・・シゼル?」 声をかけると、シゼルははっとした様子でこちらに顔を向けた。そして、 「こ、来ないでくださいっ!」 慌ててタオルで前を隠す。 ・・・もしこの時、風呂に湯が沸いていたら。湯気に邪魔されて、よくは見えなかっただろう。あるいは、反射的にでもこちらを向くことがなければ。きっとわからなかった。 あまりにありえないものを見てしまったことで、フィリウスの頭は真っ白になる。 「し、シゼ、ル。貴女、胸が。それに、その、それ・・・。お、おとこ? あなた、何、で?」 ――シゼルの胸には、あるべきものが、なかった。そしてその下肢には、女にはあるはずのないものが、あった。 ちっと舌打ちをしたシゼルはフィリウスの下へ走り寄り、逃げる間も与えずその口を塞ぎ、両手首をまとめてつかまれる。よく思えば、女性にしては大きな、骨ばった手。 「何で、何でこんな時間に、ここに来るんだよ、あんた! ・・・男だなんてバレるわけにはいかないんだ。折角、折角手にした機会なのに。絶対黙ってろよ、いいか!」 シゼルはドスの利いた声でフィリウスを脅し、握る手に力を込める。瞬間、フィリウスの体中が総毛立つ。・・・こうやって男に押さえつけられ、犯されそうになったことがある。あの時は無事で済んだけれど、 (こんな場所、こんな時間に、誰が助けに来るっていうの) 抵抗しなければ、どうなるかわからない。冷静な思考でパニックになったフィリウスは、的確に“自分を捕える男”に対処した。 まず、口を塞ぐ手に噛みつく。怯んで拘束が弛んだ隙に肘鉄をくらわし、力の弛んだ手を振りきってくるりと回転し向き直る。そして・・・急所を、思いっきり蹴り上げた。“男”は悶絶して倒れ込む。 すぐさま浴場を飛び出て、大声を上げた。しばらくして何事かと駆けてきた侍女達に、浴場に不審者がいる、騎士を呼ぶようにと命じる。侍女達は慌てて近くの警護の者を探し走っていった。フィリウスはもう一度浴場をのぞきこむと、まだ男が立ち直っていないのを見て、その急所をもう一度蹴る。その体は一度大きく痙攣して、それから全く動かなくなった。仰向けにすると、失神している。 それから少し後、ようやく警護の騎士が駆けつけた時、フィリウスは気絶した素っ裸の青年を恥ずかしげもなく睨みつけていて、騎士は思わずたじろいだのだった。 シゼルはすぐ捕えられ、牢屋に入れられる・・・はずだった。が、フィリウスは、駆けつけてきた騎士に命じ、シゼルの使っている部屋、元はシリカの使っていたそこへと、彼を運ばせた。もちろんその際、服を着せて。 侍女が報告に行ったのだろう、その途中で寝間着姿のユリウスが駆けつけ、さらにオルグとグラン、マーラにロウタまでもが、次々と合流した。彼らは一様にシゼルの身柄を押さえるようにと言ったが、フィリウスはそうはせず、見張り一人立てずにシゼルをベッドに寝かせた。何故と問われ、フィリウスは答える。 「この方が誰であれ、何か事情があったのは、確かです。ついぶちのめしてしまいましたけど、私に暴力をふるう気なんて、きっとなかったんです。・・・事情を訊きもせず捕えるのは、早計だと思います」 ――シゼル・リオート。この名が実在しようとしなかろうと、フィリウスはシゼルを多少なりと信用している。ひと月という長いけれど短い間、シゼルはずっとフィリウスの世話をしてきた。侍女の仕事に、誇りをもつように。 その姿が嘘だったとは、とても思えない。申し開きの機会もなく牢屋に入れられるほどの罪を犯したとも、思わない。 シゼルが目覚めたら事情を訊くと、フィリウスは集まった者達を自分の持ち場に戻らせた。・・・渦中のシゼルが覚醒したのは、それから半日も後。夕方のことだった。 フィリウスはユリウスの執務室で書類を片付けていた。そこにだだだっと足音が響き、大きな音を立てて扉が開かれる。 「おいっ! お前、何のつもりだ!」 大声を上げるシゼルを見もせずさらさらと目の前の書類を書き上げると、フィリウスはそれをユリウスに渡し、ユリウスはざっとそれに目を通して、処理済み書類の一番上に積み上げた。 「おい! 聞いてんのか!」 シゼルがもう一度叫ぶ。一区切りついたフィリウスは立ち上がり、一度伸びをして、それから扉の方を振り返る。 「そんな大声で、聞こえないはずがないでしょう」 その目はすでに据わっていて、シゼルはうっとたじろぐ。 「ようやく、起きましたね? 待ちくたびれました。それで、私達に、何か説明すべきことがあるでしょう? 漏らさず、洗いざらい吐いてくださいね。・・・シゼル?」 獲物を狩る狩人のごとき鋭い視線に、シゼルは完全に後手に回る。 「お、俺が侍女なんてやってた理由、のことだろ? ・・・別に、女装癖があるってわけじゃないからな」 「わかっています。前置きはよろしいですから、必要なことだけ、さくさくと説明なさい」 「・・・あんたが俺を牢屋に入れなかった理由は、後で教えてくれるのか?」 「・・・それが貴方にとってそんなに大切なことならば、一言で今、お教えしますよ。事情を訊いていないから、です」 シゼルはその言葉に一瞬固まって、それからぽつりと、 「あんた・・・変」 呟く。それを聞いたフィリウスは一歩踏み出て、 「多少は信用してあげている、と言っているんです。もう一度蹴られたいんですか?」 さっと顔色を青くしたシゼルは慌てて謝り、これ以上フィリウスの機嫌を損ねないうちにと、早口で事情を説明し始める。 その様を見ていたユリウスは、フィリウスの脅迫に恥じらいの一つも見られないことに、どうしようもなく居たたまれない思いがするのだった。 商人の三男として生まれた彼は、いわゆる“余分な子”だった。家を継ぐのは長男で、その補佐をするのが次男だ。彼の下に生まれた妹はそのうちそれなりの家に嫁ぐ。三男の彼だけ将来何になるのか決められていなくて、愛されないわけでも冷たくされるわけでもないが、いてもいなくてもどっちでもいい子だった。 彼はだから幼い頃から、どこかいいところで働いていこうと決めていた。金を稼ぎ、貯めた金で商売を起こしてもいい。とりあえずリオート家からは独立しようと、そう思っていた。そのために一番いい稼ぎ場はどこか。できれば、そこで働いていたことが後の誇りにもなるようなところ。白羽の矢を立てたのが、王宮であった。彼は幸い容姿も悪くなく、身体能力的にもひとに劣らず、親に似て頭の回転も速かった。王宮に一度雇われてしまえば、そこで真価を発揮していけばよい。 しかし、大きな問題があった。王宮では、男は全て騎士か下働きになる。彼は騎士にも、庭師や料理人にもなりたくなかった。・・・侍女のような、花型の職に就きたかったのだ。 「そもそも、侍女になれるのが女だけなんていうのがおかしいんだ。アドレアでもゼィレムでも、侍従っていうのがいるじゃないか」 シゼルはそうぼやき、話を終えた。 ・・・聞き終えたフィリウスは、考え込んで沈黙した。ユリウスも同じく沈黙する。シゼルは沙汰を待って口を閉ざし、部屋の中はしばらく、開けられた窓から緩やかに風が吹き込むだけだった。 「・・・いいですよね?」 沈黙を破り、フィリウスはユリウスを見やる。その視線を受けたユリウスは、一つ頷く。 「そうと決まったからには、マーラ様を呼びましょう」 「呼んできていただいてもよろしいですか?」 「ええ。貴女は、どうやって説得するかを考えておきなさい」 「はい」 とんとん拍子に話が進み、ユリウスは部屋を出ていった。残されたシゼルが唖然としていると、その前に歩み寄ったフィリウスが両頬を引っ張る。 「何、呆然としているんですか。主張が認められたのだから、もっと驚いたらどうです?」 フィリウスはとても優しい笑みを浮かべる。 「そんな・・・本気か?」 震える声で、シゼルが呟く。本気だと答えたフィリウスは、 「私を誰だと思っているのです? 私は、宰相の弟子。現状を維持し、さらにより良くこの国を変えていくのが、仕事。正しい主張は考慮するし、認めます。先生も同じ考えです」 当たり前でしょう、と言われ。シゼルは脱力した。・・・初めから、侍従として雇えと言ったらよかったのだ。女装して騙して王宮に上がったりなんかせず。馬鹿みたいだとその場に座り込んだシゼルの上から、くすくすという笑い声が聞こえる。 「確かに、馬鹿ですね。・・・でも、自分の主張が通るはずないって、そう思ったんでしょう? 私や先生の力不足と浅慮も原因です。ごめんなさい」 ぱっと顔を上げたシゼルは、そんなことない! と叫ぶ。 「認めてくれただけで、十分だ! あんた達にはなんの責任もない!」 フィリウスは、ありがとうと笑みを深くする。 それから二呼吸ほど数えて、そういえば、とフィリウスが問う。 「貴方・・・本当の名前は?」 シゼルは慌てて立ち上がり、乱れた侍女服を整え、寝癖の髪を撫でつける。仕事モードに意識を切り替えたシゼルは、 「すいません、失礼をしました。・・・私は、シィザ・リオートと申します」 ――シィザは、勝手に拝借した妹の名を捨て、自らの名と性別で、新たに侍従としての第一歩を踏み出した。 諸々の騒動後、シィザは“侍従”として王宮に雇われ直された。シィザが前例を作ったことで、これから少しずつ、侍従になる者も増えていくことになるだろう。 ・・・そしてフィリウスの意向で、シィザはそのまま宰相の弟子の専属を、続けることとなった。
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