宰相の弟子

グレフィアス暦647年   6





 夏の盛り、秋との狭間の数日。四年に一度の“白の祭典”が始まる。

 

 街中が一面白に染まる。壁は塗り直され、白の旗や布が掲げられ、新しい真白の服に身を包んだ人々が通りに溢れかえる。どこもかしこも白、白、白。始まりの色だ。いつから始まった祭りかはわからず、起源については諸説あるが、グレフィアス国の興りを祝った祭りだという説が最も一般的である。

 この祭典を企画し、実行するのは、民だ。国が管理しない、民自身の、民のための祭りだ。祭典の期間は四日。初日の今日は、人々もかなり浮かれている。

 フィリウスは窓辺に立ち、その歓声を遠く聞いていた。

「・・・あの集団は、大丈夫でしょうか」

 独り言のように漏らせば、背後から茶化すような声。

「そんなに気になるのなら、貴女も行けばよかったのでは? 行っておいでと言ったのに」

 憮然とした顔で振り返り、お祭りではしゃぐほど子どもじゃありません、とフィリウスはユリウスを睨む。

「私は、遊びに行きたいわけではなく、ただ単に心配なだけです!」

 ムキになって言えば、そういうことにしておきましょうかと、ユリウスはくすくすと笑う。先生っ! と怒るも、堪えた様子はまるでない。

 ――白の祭典。花祭りとはまた違った趣のあるこの祭りでは、様々な出店や大道芸が見られる。子どもは勿論、大人だってわくわくする。だから当然ライディアが、アレクリットと一緒に街で遊びたい、とユリウスにわがままを言った。

 ユリウスとフィリウスは少しの間相談して、二人を変装させ、さらにある役目を与えた護衛をつけることで、そのわがままを許可した。無論、街に出るなんて危ないことは言語道断、と切り捨てることもできたのだが、それではあまりに可哀想だ。相手は子どもなのだ。

 ライディアとアレクリットには茶色のカツラを被せ、ライとアレクという兄弟にした。そして二人の父親役に、ザギを。年の離れた兄として、グランを。また姉として、女装のシィザをつけた。シィザとグランは何となく不満げな顔をしていたが、王子とその側付きの護衛と世話が仕事だと告げれば、渋々ながら頷いた。街に住んでいるザギは、フィリウスの使いに呼ばれ父親役を任ぜられた時、面白いこと考えるなぁ、と笑って快諾した。ちなみにザギは現在、おばあさんが一人で管理している宿の一室に住み込み、その手伝い兼警護の仕事をしている。

「ザギさん。皆さんの監督、お願いしますね」

「おう、任せとけ。子ども達の面倒は、しっかり見てやるよ。父親としてな」

 妻を失い四人の子ども達を男手一つで育てている父親、という大変な状況の父親役を抜擢されたザギだが、気負いは全くない。この傭兵はいつでも自然体だ。はしゃぐライディアとアレクリット、そしてザギを中心に、まるで本当の家族のように見えてくるから不思議なものだ。フィリウスは微笑んで彼らを街へやった。

 ・・・それが、午前中のことだ。昼も越えた今、二人は静かな王宮内の、さらにひと際静かなユリウスの執務室で、静寂に浸って時間を過ごしている。

 休憩時間、窓辺から外を眺めてどこかそわそわした様子のフィリウスに、ユリウスは小さく微笑み、ペンを置いて席を立つ。

「フィリ。・・・私達も、祭りに行きましょうか」

 そう言ったユリウスは、一つ大きくのびをした。

 

 師弟は街を歩いている。白で覆われた通りを、人の間を縫うようにして進む。通りにを歩く人々も白で、フィリウスとユリウスの服も白。もし空の上から見る者がいたら、季節外れの雪が積もったように思うかもしれない。

 それはともかく、ユリウスの平民服というのも中々目新しい。フィリウスはその格好を見て、何とも言えない顔をする。

「何ですか?」

「いえ・・・はっきり言ってもいいですか?」

「どうぞ?」

「・・・そういう服、似合いませんね」

 ちょっとは怒るかと思ったが、予想に反し、ユリウスは真顔で黙り込む。

「・・・先生?」

 訝しんで問う。ユリウスは硬い顔で何事か考え込んでしまい、フィリウスは困惑し、

「あの、私、ちょっと茶化してみようとそう思っただけで、その、心の底から似合わないなって思ったわけでは・・・」

 そう焦って言葉を重ねれば、ユリウスはようやく笑顔を見せた。

「ああ、大丈夫ですよ。その・・・少し思うところがあっただけで、怒ったとか、落ち込んだとか、そういうわけではありません」

 その言い様に何か言葉を呑み込むフィリウスを察し、ユリウスは優しく微笑する。

「貴方には、言っていませんでしたね。・・・私は、平民出なのですよ」

 え、と目を丸くしたフィリウスの腕をつと引き寄せるユリウス。・・・大柄な酔っ払いの男が、フィリウスのいた場所を豪快に歩いていった。

「あ・・・ありがとうございます」

「いえ、ひとが多いですから、気を付けて。・・・場所を移しましょう。寄りたいところがあるのですが、よろしいですか?」

 勿論、どうぞと返し、歩き出すユリウスの背についていく。二人は人込みを抜け、やや薄暗い裏道を通り、古びた外見の住宅――それでも祭典に合わせて白に塗られている――が立ち並ぶ区域を抜ける。下草が生え、木々が育つ、そんな丘を少し上る。

(・・・あれ、こっちって)

 フィリウスはやや眉をひそめる。・・・以前、ここに街が形成され始めた頃を記した、つまりは六百年以上前の文献を蔵書室で見たことがある。人々がどのように力を合わせ、ここが首都の形を整えていったのか、そんなことが書かれていて、中ほどに手書きの文字と絵で、挿絵が一つ書かれていた。その時司書のロハは、昔はこんな街並みだったのです、今でもこの辺りは変わっていませんよ、とある一箇所を指して教えた。街の中、そこには緑が広く残されている。

「・・・先生。この方向には、墓地しかないのでは?」

 躊躇いつつ尋ねると、肩越しに振り返ったユリウスは、ひどく穏やかな目をしている。

「ええ。そうですよ」

 久しぶりに、姉の墓参りに来たのです。そう告げる。

「・・・お姉さん、亡くなって、いらしたのですか?」

 ユリウスは薄く笑むだけで答えず、丘を上りきり、美しい墓地へと踏み入る。今日は祭りだ、そこには誰もいない。静かで暑い夏の日射しだけが、柔らかな風を伴って射す。生没年と名前だけが書かれた石が、下草の中に半ば埋もれるようにして等間隔に並ぶ。ところどころに咲き誇る花。墓石の前に植えられた苗は花を咲かせて、そのうち墓地全体に広がっていくだろう。

 ある一つの墓の前で、ユリウスは立ち止まった。墓石の周りに咲き誇る白の花はその辺にあるような雑草で、故意に植えたのか、こぼれ種なのか、楚々として美しい。

 ――その墓石に記された名は“ルカ・ローディス”。生年はグレフィアス暦六〇九年、没年は同暦六二七年で、逆算すると享年十八歳。

「お久しぶりです、姉さん・・・」

 愛おしそうに墓石を撫でるユリウスの横で、フィリウスはぽつりと呟く。ルカという名は、よく知っていた。

「ユリウス・ルカ・オルフェレア・・・。“ルカ”は、お姉さんの名前だったのですね?」

 ユリウスは顔だけをフィリウスに向け、ええ、と頷く。言うべき言葉が何も見つからず、それきりフィリウスを黙る。何をするでもなく、そっと墓石を撫で続けるユリウス。フィリウスは何だかいたたまれなくて、そっと目を逸らす。

 ・・・知らなかった。ユリウスが平民出であること。姉がいたこと。ローディスという姓であったこと。何一つ。

「・・・全部、教えますよ」

 だから、そう言われて、大げさなまでにびくりとする。

「私は! 聞くべきことでなければ、聞きませんから!」

 知らなかったから何だ。ひとの事情を何でも教えてもらえると思ったら、大間違いだ。少しでもそんなことを思ってしまった自分が恥ずかしくて、フィリウスは叫ぶように言う。ユリウスはそれに苦笑して、

「いえ、言いますよ。聞いてください。・・・そのつもりで、今日はここに、連れて来たのですから」

 なだめるように一度、肩を叩く。

「・・・木陰に行きましょうか。風が通って気持ちいいですよ」

 フィリウスはそれでもうかがうようにユリウスを見たが、ユリウスは有無を言わさず木陰にフィリウスを引っ張って行く。近くの木陰に腰を下ろした二人。

 そしてユリウスは、唐突に、微笑しながら、昔話を始めた。

 

 ――この王都の一画、貧民区にほど近いところに、ルカという少女が、母親と二人で暮らしていました。母親のお腹の中には赤ちゃんがいましたが、父親はもういません。だからルカは、母親を助けて働いていました。八歳の子どもですから、たいした仕事はありません。しかし、日銭でも構わないからと、ルカは毎日必死で働きました。

 そのうち時が満ちて、ルカに弟ができました。ルカと母親によく似た、紫がかった青の目をしていました。弟が生まれると、ルカは一層張り切って働きました。可愛い可愛い弟と、大切な母親のためにと。母親も娘に負けじと、頑張って働きました。そうして一年が過ぎ、二年が過ぎ、三年が過ぎました。赤ん坊はすくすくと育ち、生え揃った髪は父親と同じ色です。姉と母親は赤がかった茶色でしたが、ルカの弟は灰がかった茶色の髪です。鼻や眉の形も父親に似て、まだ小さな時から、この子は将来かっこいい男の子になるわ、父親もとってもかっこよかったんだから、と母親は自慢げに言いました。

 その頃になると、母親は暇を見つけては文字や数字を教えるようになりました。ルカもちょくちょく弟の勉強に付き合いました。そして、この子は少し他と違うと気付きました。教えていない単語をいつの間にか読めるようになっていたり、小さな子には難しい計算をすらすらと解いたりするのです。この子はもしかして天才かもしれない、そう思ったルカは、弟を学校に入れるために働く時間を倍に増やしました。自分は学校に行けなかったけど、弟は行くべきだ、そう考えたのです。母親もまた骨身を削って働き、赤ん坊は六歳になった時、学校に通い始めました。

 ルカの思った通り、弟はめきめきと才覚を表しました。そして、勉強は勿論、その容姿もまた人目を引く少年になりました。

 

「・・・その少年の名は、ユリウスといいます」

 ユリウスはそう言って、言葉を途切らせる。しばらくしてもう一度口を開いた時には、昔話は独白へと変貌した。

「私は、姉にとっては自慢の弟だったでしょう。私は姉が好きでしたし、姉も年の離れた弟を大層可愛がってくれました。母もそう、とても可愛がってくれました。母の腹の中にいる時に父は事故で亡くなってしまったそうで、その亡くなった父に私はよく似ているらしいですから、きっと置き土産とでも思ったのでしょうね。・・・家族から大切にされて、私はとても嬉しかったし、とても辛かった。お金なんて無かったのです。日々の暮らしだってぎりぎりなのに、私のために大変な思いをさせたくはなかった。けれど姉は、母は、しっかり勉強をするのが私の仕事だと、そう常々笑っていました。ゆくゆくは学者か何かに、とでも考えていたのかもしれません。勉強するのは楽しかったですから、私はその言葉通り、よく学びましたよ。働きもせず、毎日毎日本を読み、知識を深めました。その結果、私が九歳になった頃に母が病み、十歳の秋には、姉が死にました。事故、でした。階段を踏み外し、頭を打って、死んだのです。・・・母は、まだ生きています。けれど私は、合わせる顔がない。いえ、母に会いたくはない。姉が死んだのは、私のせいではないでしょう。けれど、病気になった母の代わりにあの頃家庭を支えていたのは、姉です。私は姉と母の言葉に唯々諾々と従い、ずっと学校に通い続けていました。学ぶよりも優先すべきことがあったのに、です。・・・何も変わらなかったかもしれませんが、私は、あの時、姉を、母を助けて、働くべきだったと思うのです。ただの自己満足ですが、そう、思っているのです」

 もっとも、私がずば抜けて頭が良く、かつ姉が死んで生活に窮したから、前の宰相、つまり私の師が、弟子に迎えてくれたのですが。

 ――ユリウスの話は、そう締めくくられた。

 

 何を言うべきか、フィリウスは言葉を探した。けれど思いつかない。ただ、ルカの墓を見る。ユリウスが今のユリウスとなる、布石を置いた人。・・・今は亡き人。

「・・・貴族に二つ名が多いのは、多くは祝福の意です。尊き祖先にあやかり名を付けます。けれど元々は、弔いの意だったのですよ。自分より先に死んだ妻や子、兄弟の供養として、二つ名を自ら付けたそうです。まあ今では、二つ名は貴族の象徴のようになってしまいましたけれど」

 ユリウスはそう説明を加え、ふとフィリウスの顔を覗き込む。

「私は・・・後者です。姉の弔いのために、ルカを名乗っています」

 それから、言いにくそうに言葉を詰まらせる。

「・・・フィリ、ごめんなさい。ザギさんから話を聞きました」

 突然言われ、ぴんとこなかった。首を傾げると、ユリウスは申し訳なさそうな顔で、

「春先の、カディアの件について、です。貴女が故郷に戻り何をしてきたのか、言わないならば聞かないつもりだったのですが、ザギさんに聞いてしまいました。・・・おじい様の残した遺産の権利を捨て、血縁の方との縁を切ってきたのですよね」

 フィリウスはその言葉に絶句する。ユリウスは無論、ザギにだって話した覚えはない事柄。

「・・・やはり、知られたくはなかったことでしょう。ごめんなさい、フィリ」

 本当に申し訳なさそうにもう一度謝るユリウスに、

「い、いえ・・・。その、こちらこそ、ごめんなさい」

 何を言うべきかわからないが謝罪の言葉を口にしたフィリウス。ユリウスは苦笑する。

「何を謝っているんです、貴女。全く、本当に・・・」

 狼狽するフィリウスの手をそっととり、落ち着かせるように優しく握る。

「・・・つらかったでしょう」

 言葉少なだが、ユリウスの声色ににじむ、確かな温かさ。触れる手の平からそれを直に感じたフィリウスの肩から、ふっと力が抜ける。

「心配・・・してくれたのですか?」

 ユリウスは伏目がちに微笑む。ただただ優しく。

 しばらく、二人は無言でいた。柔らかな時間がゆっくりと過ぎる。

「・・・先生は、本当に優しい」

 そよ風に乗せるようにそっと、フィリウスは声を出す。

「先生、私と対等であるように、教えてくれたんですね? お姉さんのこと・・・」

 ユリウスは緩く首を振り、ただ私が話したかっただけですよ、と言う。だが、

(それは、嘘だ。話したい、はずがない。・・・あんなに、辛そうな顔をしてまでも)

 ・・・ユリウスは気付いていなかったかもしれない。だが、姉の話をしている時のユリウスは、とても悲しそうな顔をしていた。淡く微笑んでいたけれど、ただ悲しそうだった。

 フィリウスはそれ以上何も言わず、黙ってユリウスの横にいる。ユリウスもまた、フィリウスの隣でまどろむように、夏の涼風に髪を揺らしていた。

 

 

 ――フィリウスはその日から、エディを名乗ることにした。最期まで愛してくれた祖父。時折思い出しとても寂しく悲しくなるその存在に、弔いと感謝の想いを込めて、フィリウス・エディ・ラドアリアと、名乗ることにする。そう決めて、ふと思う。

 名には、想いが込もる。それは果てなく続く空のように、フィリウスをずっと見守っている。両親は何故、フィリウスという名を付けたのだろう? どんな願いを受けて、私は“フィリウス”になったのだろうか。

 その答えを知る者は、もういない。フィリウスは、父母を想う。顔すら覚えていない父と母、きっと二人の愛の果てに生まれた、自分という存在を、彼らはどのように慈しんだのだろう?

 ・・・久々に、本当に久々に、フィリウスは父母を、懐かしく思った。




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