魔王の弟子の物語 〜Tales of the Dragon's Pupils〜

五話   変質・城





 満ち足りた夜。穏やかな気持ちで眠りについたのは、確か。

「・・・」

 寝ぼけているのか、と自分の目をこする。だが、手の平に触れた感触は消えない。

「・・・何、これ! どういうこと?!」

 叫んだ声までも、少し違う音となって耳に響く。

 ――今自分は、間違いなく、女の性を受けていた。

 

 赤い髪を炎のようにたずさえて廊下を疾走する。その頬は上気して、発散できずに溜まった鬱憤が厳しい眼光となって前に向けられている。

 青の魔王の四番弟子として城に来てから早五年。頑張って兄弟子達に追いつこうと努力をしている。なのに何故、こんな仕打ちを? 自分が一体何をしたか、と猛り狂う。

 だから・・・角を曲がって、そこにセグレットがいるとは、思わなかった。

 のしかかるように、勢い良くぶつかった。青い姿が床に向かって仰向けに倒れていくのを見てフォウルは咄嗟に手を伸ばし、その腕をつかんだ。

 妙に急接近。腕をつかまれたまま座り込んで息を上げているセグレットに、出来るだけ低い声で言い放つ。

「・・・何、してるの」

「・・・そっちこそ、何をしてる、フォウル」

 思いがけず強い言葉が返ってきて、驚いて手を離す。見ると、その表情は泣きそうなほど歪んでいて、ぎょっとする。セグレットは焦っているように立ち上がった。

「まさか・・・。セグレット、あなたも何かあったの?」

 少し声を震わせながら、燃えるような目で見る。泣きそうな顔を驚愕へと変えて、「あなた、も?」とフォウルを見返した。

 二人は見つめあう。そして、決定的な違和感を感じた。

「・・・なんだか、視界が違うわ」

「・・・ぼくも、そう思うよ」

 フォウルは、セグレットを頭一つ分は低い位置に見ていた。セグレットは同様にして頭一つ分高いところにフォウルの顔を見る。

「・・・セグレット。あなた、縮んでる・・・」

 言われて、気付く。フォウルの頭の位置は常よりも高い位置にあった。

「これじゃ、まるで・・・」

 信じられない、とフォウルは緩く頭を振る。途切れた言葉の先は、セグレットが続けた。

「・・・逆転・・・?」

 それでお互い、思い至った。――違和感と、今の状況に一番当てはまるその言葉に、二人はそろえたように顔色を青くした。

「た、大変だわ!」

「早くオネさんとトウさんのところに報告しないと!」

 そして、猛烈な勢いで駆け出す。

 ・・・二人の“逆転”状態。城の中まで及ぶこれが、白の弟子の仕業であったら。その可能性が高いほどに、身の危険は大きくなる。

 青と白は、敵同士だから。

 

 一番弟子・オネの部屋までに一箇所、吹き抜けの渡り廊下がある。

 廊下の右手には、紺色の大輪の花が一輪と、青々と繁る大樹があるが、それは、走っていたせいか見えなかった。

「・・・オネさん!」

「オネ様、大変なんですっ! 私とセグレットに逆転の術がかけられました! 白の弟子が・・・」

 部屋に入るなり、言い募る二人。その声を低い声音が止める。

「黙れ」

 その声に二人はぴしっ、と動きを止め、聞こえた方向に目を向け・・・固まった。

「オ、オネ、さん・・・」

 掠れた声を出す。オネは不機嫌そうに、顔にかかる髪を耳の後ろにかけた。

「まあ、その姿見たら、驚くよな」

 もう一つの声。二人はその声の方向に振り向き、さらに固まる。

「お前もだろう、トウ」

「・・・あ、やっぱり?」

 へらり、と笑みを浮かべるトウの顔を、セグレットは見続けた。しばらくして先に硬直から回復したフォウルが、深刻な表情で前に出る。

「オネ様、トウ様。・・・その姿は?」

 オネが同じく、一歩前に出る。薄暗い部屋の隅から出て、その姿が鮮明に現れる。

「これは、砂時計のようなものだ。私の年月が、トウへ流れた」

 ・・・そう静かに分析するオネの姿は、達観したような声に合わず幼いものであった。

 オネの姿は、ひどく幼い。足首辺りまであった漆黒の髪は腰ほどまでになり、背はセグレットよりさらに頭一つ分小さい。湖水を宿した目だけが、厳しい青をたたえて変わらなかった。

「・・・で、お前達は何が変わったんだ?」

 トウの尋ねる声に、はっ、とセグレットが正気に返った。

「あの・・・、性別が」

「性別? じゃあ、セグレット。お前今、女性体か?」

 トウが露骨に驚いた様子をするのに嫌な予感を覚え、すす、と自然な動作でフォウルの後ろに回りつつ、

「はい、そうです。それでフォウルは・・・男性体、でいいんだよね?」

 確認をとると、フォウルは背後にいるセグレットの腕をつかみ前に引きずり出しながら、そうよ、と言い切った。思いがけない力の強さにたいした抵抗も出来ないまま、トウの前に立たされる。

 いたずらを思いついたような黄色の目は、セグレットを真っ直ぐ見ている。少ししわの寄った目元は、優しい。

 青混じりの黒髪の中に、新たな色が発生している。白いそれは、やけに目立つ。顔や手に浮かぶしわと、前屈みな姿勢が、どこか覇気を薄く感じさせた。

 トウはしばらく見つめて・・・あまりに見つめられるので不安になり、セグレットが身じろぎすると、やっとその視線を外した。

「そのまま成長したら、さぞかし美しい女性になるだろうな、セグレット」

 その言葉に、セグレットは頬を紅潮させ怒鳴った。そしてトウは、豪快に笑った。

「・・・トウ。お前がこの状況を楽しんでどうする?」

 呆れているような静かな、声。ばつの悪い顔でトウがオネを見ると、フォウルもまた、嫌悪すらこもったような表情を二人に向けていた。

「あ、まあ、怒るな。な?」

 年老いた顔で笑うと、しわがさらに深くなった。オネは表情も変えず冷たく見ていただけだったが、フォウルはそこで、小さくため息をついた。

「・・・対策を話してもいいか?」

 間が落ち着いたのを見て、オネが告げた。瞬時に、空気が緊迫したように張る。

「ああ。言ってくれ、オネ」

 トウが返事をする。セグレット、フォウルも大きく頷く。オネも一つ頷き返した。

「白の弟子の攻撃か、この城、土地の異常かは、私には判断がつかない。・・・トウ、お前は私と共に、城内を確かめてくれ。セグレット、フォウル、お前達は人界に行け」

 二人はともに顔を引きつらせた。

「・・・人界へ、ですか?」

「・・・人界に下りる利点が、本当にあるんですか、オネ様」

 代わるがわるに言い、嫌そうに顔をしかめる。その仕草はよく似たもので、共に人界に良い思いを抱いていなかった。

 オネはだが、その表情にも意見を変えない。そうだ、と強く主張する。

「・・・わかりました」

 セグレットはそう答えたが、フォウルは自分の感情を割り切れずに憮然とした様子で、だが首を縦に振った。

「では、行け」

 オネの言葉は強靭で揺るがない。姿が子供になろうと、二人を射抜く冷たく厳しい視線は変わらなかった。

「「はい」」

 二人は揃って返し、くるりと後ろを向いて扉を開けた。

「行ってこい、セグレット、フォウル」

 その背に優しくトウの声がかかる。扉を閉める瞬間少し振り向いて、セグレットは微笑を返事に代えた。

 静かに、扉が閉じられる。

「・・・城、だな」

 閉じた扉に見向きもせず、オネは呟く。

「珍しいな。お前が見極め切れなかったなんて」

 オネは黙り込む。沈黙が二人の間に漂う。

「・・・弁解はしない。私の落ち度だ」

「別に、責めてるわけじゃなくてさ・・・。ただ、珍しいと思っただけだ」

 オネは、幼くなった自分の腕を組んで、下からトウを見上げた。その青い目にある光は、依然強い。しかし、間違いなく自分を責めていた。

 トウは苦笑する。ずっと昔人界の弟にしていたように、思わず、その頭を撫でる。途端、不機嫌丸出しにオネの視線がぐっと険しいものになった。

「・・・なんのつもりだ」

「落ち込む暇があるなら、早く動こう、ってことさ」

 それもそうだな、と素直に賛同するオネにかすか笑みを浮かべ、やるか、と一言。オネは長い髪を揺らして大きく頷いた。

 

 

 三の門が、地理的にオネの部屋から近かった。

「じゃあ、開けるよ」

 フォウルは少し後ろに控え小さく頷く。黒い茨に手を差し入れるとすぐ、セグレットの血に反応して茨が脇へ避け始める。同時に、細く門が開いていく。

「・・・っ!! フォウル、下がって!」

 隙間から門の向こうをのぞき見て、命じる。反射的に従い後ろへ大きく下がったフォウルは、セグレットの苦悶の表情を見て叫ぶ。

「何?! 一体・・・」

「絶対来ないで! 門が、“道”につながってる!」

 ずるずると門の内側へ引き寄せられていく姿を見て、フォウルはけれど、思わず一歩、踏み出した。

「来る、な!」

 セグレットの強い拒否を耳に入れ、はっ、とその場にとどまる。

「セグレット・・・どうすればいい?!」

 引き込む力に抵抗しながらセグレットはフォウルへ目を向けた。

「門は、使わないで・・・人界へ。オネさんの言葉に、従って! ぼくは大丈夫だから!」

 そして、抵抗も空しく、三の門の向こうへつながった次元の道へと、姿を消した。

 門を隠すように戻っていく茨を見ながら、フォウルは拳を握りこんだ。

「大丈夫に、決まってるわ。心配なんか元々しないわよ!」

 走り出す。本当に言おうとした言葉は、飲み込まれたまま、喉の辺りでつっかえていた。

 

 暗い。いや、黒い。

 凝視したわけではなかったが、はいりこんだ道はそう思えた。ところどころに瞬く光はある。それは、あるいはどこかへ繋がる扉なのかもしれないが、近付くことは出来ないし、動くことすらままならない。どこかへ、流されているのだろうか。自分一人、停止しているのだろうか。わからない。漂う、が一番正しいのかもしれない。

 足を前に踏み出す。・・・踏み出しているのだろうか。目を周囲へ向ける。・・・何が見えているのだろうか。

 次元の道は、セグレットにとって鬼門であった。兄弟子達――特にトウはよく使うが、自分はどうしても慣れない。扉を見つける方法も、道の中でやってはいけないことも・・・頭にはしっかり詰まっている。知っているのだ。しかし、いざその場にいると、何もかも抜けてしまったように、使い物にならない。

 だからこそ、鬼門。手も足も出なくなる。

 恐い?

 漠然と浮かぶ感情。それは恐怖に似ている。

 固く瞑った目の裏も、闇。今、声を出しているのだろうか。喉がある辺りに痺れるような痛みを感じた。

「おいっ! 掴まれ!!」

 その時、紛れもなく、声。セグレットははっと意識を集中させ、いつの間にか閉じていた目を開けた。

「おい、聞こえてるか!! 手を伸ばせ!」

 声は反響し、場所が特定出来ない。必死の思いで視線をめぐらす。辺りは、暗い。飲まれそうなほど、黒い。手の平に爪をたてて痛みで意識を正常に保つ。

 何も、ない。セグレットの瞳には、けれど、何も映らなかった。

「手を、伸ばせ!」

 三度、声がした。それに追い立てられるように、何もない空間へ、つと手を伸ばした。声のおかげで戻った感覚が、また薄れ始めていた。

「・・・っ!」

 予期せぬ力が、伸ばした腕に加わる。がくん、と崖から足を滑らせたかのように下方へ体重がかかり、その体重を支えるように、闇に腕が一本伸びて、それはセグレットを掴んでいた。

 引っ張られる痛みに、声なき悲鳴が漏れる。腕はだが力を緩めず、さらにぐっと掴む。闇に生えた腕は一気にセグレットを引っ張り上げ、途端、目を射す光。痛みを覚えて、耐え切れずに苦痛の声を出す。瞑ってもなお容赦なく射し込む光。そして、何かに勢い良く激突する。

「いって・・・。なんだよ、一体、全くもう」

「荒い。精進しな」

「酷い言い様じゃないか? 練習内容よりはるかに上のことなんだから、誉めてもいいくらいだと、俺は思うけど」

「誉めてのびるなら、常に誉めてる」

「・・・レジィ、酷ぇ」

 くっくと小鳥のように、片方が笑った。目を瞑ったまま身じろぎすると、その笑い声の主が話しかけてきた。

「・・・目が見えない?」

 そっとまぶたに手が添えられ、身を後ろに引く。と、すぐ真後ろにもう一人の身体がある。どんっ、と勢いよく当たって驚き、ごめんなさい! とまた身体を前に戻した。自分から近付いたようなかたちで、再度まぶたに手が触れた。

「じっとして。危害は加えない」

 怯えととられたか。その声に宿るひどく優しい響きに反抗するように、セグレットはその手をごく軽く払いのけた。

「大丈夫です、自分でやります」

 言葉通りに、自らの手をまぶたに当て、しばらくの間の後静かに目を開ける。ふ、と息を吐き、それから表情を引き締めた。

「・・・あなたは?」

 そして、目の前にしゃがみ込んでこちらを覗き込む者に、そう問いかけた。

 それは、純粋に黒。ざっくりと切られた短い髪に、切れ長の瞳。漂う雰囲気は優しげだが強い。オネやトウと、外見的には同じ程度だろう。黒い女性だった。

「名を尋ねる時は自分からと、兄弟子に教わっていないのかい?」

 口元に浮かべた笑みが、怒っているわけではないとわからせる。セグレットは自分の失態にいらつく。焦って、混乱しているのだろう。一度大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた。

「失礼いたしました。ぼくは、青の魔王の三番弟子・セグレットです。ここは、黒の魔王様の城と見受けられますが」

 女性は大きく頷いた。

「私は、黒の魔王の二番弟子・レジィだ。後ろにいるのが、三番弟子のロジィ。以後よろしく頼む」

 言われて視線を後ろに向ければ、そこには所在無さげに突っ立っている青年の姿があった。髪はクセなのかツンツンと立っていて、石炭のような黒。黒い大きな目がこちらを見る。セグレットはにっこりと笑いかけ、礼を述べる。

「助けてくれたのは、あなたですか? ありがとうございます」

 青年はなぜか頬を赤く染めて、視線を逸らした。その様子に、レジィはほほうと感嘆めいた声を漏らす。

「さては、ロジィ。この可愛らしく聡明な青の弟子に、惚れでもしたか」

 言われ慣れない言葉の羅列に、一瞬、誰のことを指しているのかわからなかった。しかし、青の弟子は今この場に一人である。

「ま、待ってください。それは絶対勘違いです」

 なぜだ、とレジィは首を傾げる。予想外の展開に慌て、だって男同士ですよ?と大前提を考えるに至り、あ、と気付く。

「・・・あの、ぼく、男ですから」

 すると、黒の弟子二人の目が驚きに見開かれた。セグレットは一つため息をついて脱力する。

「だ、だって・・・、お前、女じゃないか! どう見たって女だろう!」

「一番弟子は幼くなり、二番弟子は年をとり、四番弟子は女から男になりました。青の弟子全員が、なんらかの変化をしています。ぼくは原因を探しに人界に下りようとして・・・」

「それで、次元の道に入ったら出られなくなった、ってことなのか?」

「いえ、正しくは、引きずりこまれました。道そのものに」

 男だったという事実に混乱する黒の三番弟子は放っておかれ、レジィは真剣な顔でその話を訊いた。セグレットは話し終えると立ち上がり、服の乱れを直し、身体が縮んで少し余る裾を何回かまくった。それから、黒の弟子に丁寧に頭を下げる。

「ありがとうございました。ぼくは、急がないといけないので・・・」

 頭を上げると同時に、二番・三番弟子両名から待てと声をかけられた。

「私も手伝うよ。黒と青との間は中立のはずだよ。見捨てておくのは自分が許さない」

「俺も! せっかく助けたのに、またあんなことになったらどうするんだよ」

 セグレットは困ったように笑う。

「でも・・・黒の魔王様や弟子方とはまったく関係がありませんし」

「いいんじゃないか? 二人にとってもいい経験になるかもしれないし、手伝わせてやってくれよ」

 そこに、さらに新たな声が加わる。だが、聞き覚えがある声だ。

「ルジィさん!」

「また会ったな、セグレット。今は女の子? 可愛いじゃないか」

 軽い口調で笑いかけられて、言うべきを失った。困った顔はそのままに黙り込んだセグレットを見て、黒の魔王の一番弟子・ルジィは実に晴れやかに微笑んだ。

「レジィはいいとして、ロジィ。お前はまだまだ経験が足らない。ちょうどいい。見たことが、訊いたことが、感じたことがないような現象に、少しでもぶち当たってこい」

「・・・わかった」

 ロジィは不遜、とも言える兄弟子の言葉に、深く頷いた。セグレットはただ事態の成り行きを見つめて傍観するのみ。だが正直に言うと、ちょっとでも救いの手は欲しかった。

「レジィ。とりあえず、セグレットに服をやってくれ。ロジィが目のやり場に困ってる」

 告げられたリジィは、ははと笑って、わかったよ、と返事をする。言われた本人が呆けて視線を下げると、だぼんと開いてしまった胸元から中がのぞけそうだった。

 

 セグレットが渡されたのは、黒の上下。スカートではなく七分丈のパンツだったのは随分と助かった。

「すいません、色々と・・・服まで借りてしまって」

「いいんだ。私が弟子になった当初に来ていた服だから、もう着る者もいないし」

 むしろ使ってくれて嬉しいよ、と屈託なく笑うレジィの背を追いかけながら、セグレットは気ばかり焦っていた。先程着替える時に見た小さなものではあるが、その胸のふくらみに、わかっていながら一瞬時が止まった。早くどうにかしなければ、と思う。

「人界へ行けと言われたのだろう。ならば行こう。この機会にラジィ、リジィも連れて行きたいところだが、ロジィ以上に役立たないだろうからな。さて、何を調べればいいか・・・」

 どこか面白げな様子に閉口しつつも、新たな名前に興味を抱く。

「レジィさん。ラジィ、リジィというのは・・・」

「ああ、四番弟子と五番弟子の名だよ。二人とも女だ。黒の弟子は、女の方が多いんだ」

 そうなんですか、と答えつつ、ふっと思う。

 青の魔王の最後の弟子は、一体誰なのだろうか、と。

 

 この場所は、城の庭に当たるらしい。だが周りを見る余裕が出てきたセグレットは、その荒れたるを見て言葉を失った。

「お、来たか。じゃあレジィ、よろしく頼んだ」

「ああ、了解した」

 黒の一番弟子、二番弟子の言葉を頭の端で訊きながら、全く手入れのされていないひどいそれに怒りすら感じた。

「セグレット、どうかしたのか?」

 一番弟子、二番弟子の話から弾かれた三番弟子が声をかけてくる。はっと、険しくなっていた表情を緩める。

「あ、いえ・・・立派な庭なのに、もったいないなと思いまして」

「・・・立派、か?」

 訝しげに眉を寄せるロジィを見て、ふう、と小さくため息をつく。この庭の日当たりの良さ、広さ、元から備わった土質、世話の必要がないからか植えられている木々がつくる適度な日陰が、わからないのだろうか。

「立派ですよ。ぼくが自分で開拓したいくらいです」

 実に、実に真剣な声音でそれを告げた。ロジィは一瞬呆けた後、にかっと笑う。

「じゃあ、世話してくれよ。黒の弟子は、そういうことには全く無頓着なんだ」

 驚いてロジィを見る。外見は十代後半の若い青年だ。しかしその笑みはどこか子供っぽく、あけっぴろげだ。ごく軽い、一般で言うところの世間話のようなものなのだろう。しかしその内容は・・・思わず尋ねた。

「またここに来る機会があると、そう思っているのですか?」

 ロジィはおおげさなほど目を見開いた。

「ないのか?」

「いえ、それは・・・あるともないとも言いかねますが。けれど、青と黒は元来、中立。敵同士ではないというだけで、親交を深める理由はないのではと」

 言葉を失ったように、ロジィは黙り込んだ。真っ当な意見だと思うけれど、とセグレットは首をひねる。

「・・・冷めてるな、セグレット」

 呆れたような声音に振り返る。下手をするとロジィよりも若く見えるルジィは、明らかに二十歳過ぎな姿のレジィに、なあ、と同意を求める。レジィは一つ頷いた。セグレットは、首をひねったまま、意味がわからないと感じる。

「そうでしょうか」

「中立って立場の捉え方が、お前と俺達の間で違うんだろうな。敵じゃないなら、仲良くなっていた方が無関係ないよりましだと思う」

 ルジィはきっぱり言い切り、セグレットの顔をじっと見つめる。不可解な言葉に眉をひそめつつも、言われたことを頭の中で反駁する。

「そうでしょうか?」

「きっと、な」

 判断は個人個人で違うだろうが、とセグレット自身にその見解を求めるルジィに、消沈したようにうなだれるロジィに、その背中を豪快に叩いているレジィに、嫌な思いはもたない。仲良くというのもしっくりこない言葉だが、知り合って助けてもらうのだから、感謝の気持ちはもつ。無関係ではないな、と小さく笑みをこぼす。

「そうかもしれません」

 だろう、とルジィが得意げに笑った。レジィは一際強く、ロジィの背を叩いた。

 

 人界へ三人を送ったのはルジィだった。彼らが風に巻き上げられるように消え去った後、彼はその髪を片手でかきあげながらどこか物憂げに、

「青の一番弟子・オネが見誤る・・・か。おかしなことが起こるもんだな」

 誰にも知られず、そう呟いた。

 

 人界には、実に様々な色が満ち溢れている。時に、その氾濫に意識が朦朧とするほど。

「いつ来ても、青赤黄色とかすっごい色合いだよな・・・」

 うんざりしたように言ったのはロジィだ。しかしその目はどこかきらきらとして、色の洪水に辟易(へきえき)しながらも人界を嫌ってはいないらしい。その感情は、セグレットには理解出来ない類のものであった。

「色に属する私達には一色一色が深い意味合いを持つが、人間にはそうでないのだろう。もしくはそうであっても、私達のように、自分を捧げた、ただ一つの色というものがないからだろうね」

 冷静な視点で説明するレジィもまた同様に、人界を嫌っている様子はなかった。

「・・・色には力があります。意味があります。知らない、忘れたと行動で示されるのは、いい気分ではありません」

 敵意すら含む言葉を呟けば、黒の弟子二人はセグレットを見つめる。

「セグレットは、人間が嫌いなのか?」

 ロジィが尋ねれば、はっきり一つ頷く。

「嫌いですし、苦手です。理解出来ないものですから」

 その言葉こそ理解出来ない、とばかりにロジィは緩く首を振る。レジィは口を挟まず訊いていたが、会話を打ち切るように、パンと手を叩いた。

「目的は何だったかな、二人とも。緊急の事態に、これほどのんびりとしていても構わないのだろうか?」

 あたふたと慌て始める青と黒の三番弟子に、レジィは鮮やかな笑みを浮かべた。

 

 

「いつ見ても、すごいものだな」

 トウは目の前にそびえたつ大樹の、その溢れ出る生命力に圧巻され、思わず呟いた。

 城の、ちょうど中心に。そんな場所に生えるこの大樹の意味を、セグレットやフォウルはまだ見つけることが出来ない。しかし自分にはわかる、とトウは主張するかのように、幹へ片手を添えつつ、オネへと向き直る。

「花が枯れかかってるじゃないか。やはり、この力・・・これほど大きくなってしまったものをお前一人で支えるなんて、元から無理があったんだ」

「・・・」

 大樹は、魔王の無限に放出される力の顕れ。それを城の形に固定するのが、一番弟子・オネの役目。彼自身から訊いたわけではなくても、それがわかるくらいには、トウもまた、魔王の弟子として生きていた。

「いざという時、花が枯れるほどに力を削がれていて、お前は何が出来るんだ?俺のこと、少しは頼ってくれてもいいだろう」

 そして、勝手に大樹についた手から力をすくい、新たに形を定め始める。オネは一瞬止めろと口を動かしかけたが、何も言うことなく、自身もまた、大樹に手の平をあてた。

「・・・魔王様にその気がなければ、私が拒否する理由はない」

 大樹は、魔王の影。触れた手を弾かれないのは、一人前と認められた、真の証。

 証はさらに色となって、その寄る辺に花咲く。

 

 

 三人は何の手がかりもなく、黒の領域の街から始まって青の魔王の領域へ向かっていた。

「・・・はぁ」

 空を飛んでいくのが一番の近道だが、セグレットには長い距離、時間を飛び続けるだけの力がない。今は黒の二番弟子・レジィが二人を連れて飛んでいるのだが・・・。

「情けない、なあ」

「何がだ?」

「色々と・・・」

 セグレットの言葉にレジィはかかと笑い、ロジィはさらに何がと問い返す。ため息一つ、返事は保留した。

 三人の足元遠くそびえる街。黒の領域の街よりも大きく盛んな様子に、ロジィが隣で目を輝かせる。

「下りるぞ」

 一声かけてから、レジィは街から少し離れた場所に下りた。

「よし。では、行こうか」

 颯爽と歩き出すレジィにセグレットは苦笑を浮かべる。

「ここは青の領域なのですが・・・全く、動じませんね」

「・・・悪い。レジィはいつどこでもあんな感じなんだ」

 ロジィが申し訳なさそうに首をすくめるのに、セグレットは淡く微笑みを返した。

「悪いことではありませんよ。ただ、驚いているだけです」

 そうか、とロジィはほっとしたように笑った。

 

 何も収穫がないままに、日は暮れ落ちていく。濃い赤をした夕日を街の高台から見ながら、セグレットはただ落ち込んでいた。

「そんな落ち込むなよ、な。今すぐどうにかなってしまうような、そういう類の変化じゃないんだろう?」

 ロジィが横から声をかける。レジィは“成果なし”の連絡を兄弟子に伝えるため、一度黒の魔王の城へ帰っていった。

「それはそうかもしれませんけど・・・もし白の弟子の攻撃だったら、逆転の他に一体何を仕掛けてくるか、わかりません。青の弟子はいつも後手になってしまって。危機に陥るのは、ぼくがしっかりしていないから・・・」

 つい漏れた弱音に、驚いた言音が返される。

「お前がしっかりしていたら、危険は全て避けられるのか? 違うだろう」

「けれど、ぼくは三番弟子なのに。四番弟子のフォウルにさえ、この力は敵わない」

 慰めるだけ逆効果でも思ったのか、ロジィはそれ以上何も言わなかった。

 明日はきっと、晴れるだろう。鮮やかに赤い夕日は、その前触れ。もし月に雲がかかるならば、曇りに。鳥が低く飛んだなら、雨に。けれどそんなことを知っていても、役には立たないのだ。

「ぼくがいてもいいと言ってくれたけれど・・・」

 やはり、何も出来ないままではいられない。

 今の自分には、足掻くことだけが出来る道だと・・・セグレットはため息の中に、決意をもう一度固めた。

 

 ――そして、日が完全に暮れ、夕闇が空を覆う頃。人影も数えられるほどに減った時、それは突如訪れた。

「あ・・・?」

 まず感じたのは、どことない違和感。身体中がざわめくような気持ちの悪い感触に、思わず声が漏れ出た。

「どうした?」

「あ、いえ、なにか・・・」

 それから、無理矢理翅を伸ばされた蝶のように、身体を作り変えられるような感触。すぐそばに立つロジィが、息を呑んだ。

「おい! もしかして・・・」

 そして、一瞬でそれは通り過ぎた。

「戻ったみたいだぞ!」

 固く握ってしまった手をゆっくり開く。違和感はまだ背筋の辺りにわずか残っていたが、ほとんど去っていた。

「・・・そう、みたいですね」

 今まで見ていた視点より、少し高いところに景色がある。服の上からそっと触れてみると、胸のふくらみもなくなっていた。

 ほ、と息をつく。逆転の術は、回避されたのだ。

「オネさんとトウさん、かな・・・」

 漠然と脳裏に浮かぶのは、兄弟子達の姿。遠く及ばない、憧れの彼ら。

「良かったじゃないか!」

「はい、ありがとうございます」

 ロジィの素直な言葉に、安堵から微笑む。早く帰ってみろよ、と優しく付け加えられ、頷く。自身の指を噛み切り、その血で空中に印を描く。それは描いたその場から淡く発光した。

「移動陣か?」

「はい、城が近いので、助かります」

 描き終えると、セグレットはロジィへ視線を向けた。

「ここまで来ていただいて、大変悪いのですが・・・一刻も早く城へ帰りたいので」

「ああ、帰ってやれよ。俺はどうせ、ここでレジィを待たないといけないから・・・」

 屈託なく、我が事のように喜ぶロジィに、セグレットは満面の笑みを浮かべた。

「ありがとうございました。また後日、お礼にうかがわせていただきます」

 待ってる、という言葉を背に訊きながら、セグレットは陣に手を触れた。

 

「遅いっ!」

 第一声は、猛々しい赤髪を怒りに燃やした四番弟子・フォウル。少し離れた場所で二番弟子・トウが気楽に手を振ってくる。半ばフォウルを無視してトウに駆け寄り、問う。

「あの、術は・・・」

 トウはにかっと笑って、セグレットの頭にぽんと手を置いた。

「白の攻撃ではなかった。もう平気だ」

 本当は、ならばどうして引き起こされたのか、誰が解いたのかと重ねて質問したかったのだが、意思の力で、出かかるそれを押し留めた。

「ありがとう、ございました」

 代わりに精一杯の礼を述べる。トウは驚いたように目を見開くと、次には満開の花を思わせるほど鮮やかに笑う。

「どういたしまして? ・・・ところで、セグレット」

 その服はどうしたんだ、と問われて気付く。

 常の青い服ではなく、黒の二番弟子の服を、着たまま帰ってきてしまったことに。

 

 事が終わってしまえばいつも姿を見せなくなってしまう一番弟子・オネ。

 その部屋の外には、青々とした大樹と、紺色の花が大輪で一輪、咲いていたが。・・・今はその花が、二輪になっている。

 この花の意味を知るのは、大樹に認められし者達だけ。

 今は、まだ二輪。いつか五輪そろう日が、訪れるまで。大樹は待ち続ける。




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